アフォリズム 481-490
- 481.善悪の判断
- 482.悪趣味な芸術
- 483.手放せそうにないものを手放す
- 484.腹具合と精神
- 485.しっかり者の堕落
- 486.第四の権力の傲り
- 487.小学生の帰り道
- 488.大人の不純物
- 489.知識と無矛盾
- 490.過去の因
481.善悪の判断
社会全体としての善悪を考えると行き詰まるが、様々な角度から考えて、この心にとって苦をもたらすか否か、というところを中心にして考えると、善悪の判断は比較的シンプルなものとなる。
482.悪趣味な芸術
「感情を動かす」という点を芸術と結びつけたとして、気持ち悪さ、嫌悪感を呼び起こすことを芸術と結びつけている者は、定義上の一種の正しさがあったとしても、ただの悪趣味であり、相手の嫌がることをして「自分は他人を精神を動かすことができた」と、コントロール感に酔うだけの狂人である。
483.手放せそうにないものを手放す
10年後の価値、10年後に自分がそれをどのように取り扱っているのか、10年後までの間のそれらの変化をイメージすると、手放せそうにないものを手放すことができる。対象が物やサービスなのであればなおさらであり、対象がゲームなどであればさらに一層手放しやすい。
484.腹具合と精神
腹具合を整えることは、意識の乱れ、暴走を抑制するという面では一役買うことになる。ただし、根本問題を解決するものではない。
485.しっかり者の堕落
印象として小学生当時自分たちよりもしっかりしていた女子が思春期を経て年々まともな思考力、論理性を失っていくという姿を見るのは一種の憂いである。
486.第四の権力の傲り
第四の権力としてのメディアの傲りは、相手が勝手に恐縮してくれたり出たがったりすることによって加速する。メディア以外の者がカメラを向けると怪訝な顔をしたり怒りが生じたりするのに、同じことをメディアがやるとやたら恐縮がる者が多い。
487.小学生の帰り道
記憶する限り、小学生当時、帰り道が億劫だったことは一度もない気がする。
488.大人の不純物
大人が関わると、大人が持つ不純物によって、それそのものの楽しみが失われていく。
489.知識と無矛盾
一般的な知識というものは増やせば増やすほど、未知のものや矛盾に当たっていく。ひとつの未知のものが解消されると、2つも3つも知らないことが増えていく。一つの矛盾を解消しようとすると、他の矛盾点をいくつも発見するハメになる。
490.過去の因
過去に遡って因をどうにかしようと思っても、その因は今現在に果と因として潜在的に機能しているため、今の状態の方に目を向けなければならない。
その因果はその因果で放っておいて、ひとまず心を逃がすというのはどうだろう?
それはそれでどのような現象として現れようが、それを他人事のように扱い、心は集中によって何となくの空だけを捉えるような、そのような感じでひとまず避難するというのはいかがかしら?
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