タグ別アーカイブ: 心理

心理・意識・精神について

状況によって変わる意識の身勝手さ

状況によって変わる意識の身勝手さについてでも書いていこうと思います。 意識の中に信念や考え方の傾向を持ってはいますが、そうした意識の向き方やモノの見方、いざというときの考え方や環境への対応というものは状況によって変わっていきます。 そう言えば先日、ナニワ金融道、新・ナニワ金融道、新・ナニワ金融道Rと、ナニワ金融道シリーズを読破しました。 お金を借りに来る人については、お金を貸す人借りる人で、ある程度触れていますが、ナニワ金融道を読むと改めて状況によって変わる意識の身勝手さについてヒシヒシと実感したりします。 前回の

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自由意志と洗脳

自由意志と洗脳ついて書いていこうと思います。 自由意志を尊重したいのは山々ですが、まず基本的に自由意志というものはありません。もし、自由意志があるとすれば、それはアイツこと自我の領域を脱しています。 自由意志とは何かを捉えるとすれば、「意志が自由である」ということになりますが、哲学的に見るとそうした意志自体がオリジナルであるのかどうかが疑わしいはずです。 行為を客観的に見た場合、選択肢としての自由はあるように見えますが、意志決定における方向性として「どの選択肢を選ぶか?」というもの、主観的な意志、主観的な選択は本当

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さよなら2017

さあもうすぐ2017年が終わります。 一応2017年を少し振り返っておきましょう。 急に仕事のやる気が無くなったり、養子が死んだりということもありましたが、急に大掛かりな仕事が舞い込んできたり、急に沖縄に行っていたりと、急な展開がよくありました。 最も大きな変化は養子のうさぎが亡くなったことですが、それは彼の死と同時に彼と出会う前の僕の意識との再会があったことも含まれています。 思えば我が家にうさぎがやってくる少し前の僕は、毎日が楽しかったように思います。もちろんうさぎのせいではありませんが、ちょうどその頃くらいに

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隣人を愛する前に愛を思い出しなさい

「隣人を愛する前に愛を思い出しなさい」という謎の命令形タイトルになっています。一応新約聖書にちなんでいますが、特にそうしたものの解釈について触れてるわけではありません。 うつを治そうというようなテーマで語られる時、自分の殻に閉じこもらずに他人と接し、他人を愛しなさい的なことが言われることがあります。「自分を愛するように隣人を愛しなさい」というようなやつです。 それはそれでいいのですが、単に他人を愛そうと思っても十中八九失敗に終わっているのが実情でしょう。 ということで、なぜ他人を愛そうと思う時に失敗に終わるのかとい

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モテる秘訣とモテない理屈

さて、モテる秘訣とモテない理屈について書いていきます。 世間では様々なモテテクやモテるための条件、モテる秘訣、そしてモテない理由としての理屈が並べられています。 しかしながら、そういうものを鵜呑みにしてしまうと、婚活業界、結婚相談業界のお客になってしまうだけです。 どのような分野でも同じですが、具体的な事例自体を知ること自体はいいですが、そんな具体的な領域にとどまっていると、そのレベルの内側に居続けることになります。 そんな浅い領域から高い地点にまで視野を高めて俯瞰すると、そんなそれぞれの細かなモテテクなどバカらし

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他人を喜ばせる

人を喜ばせることはなぜすべての喜びにまさるのか?― われわれはそれによって自分自身の五十もの衝動を一度に喜ばせるからである。ひとつひとつのものは極めて小さな喜びであるかもしれない。しかし、もしわれわれがそれらすべてをひとつの手の中に入れるなら、これまでかつてなかったほどわれわれの手は一杯になる。― そして心も同様である!― 曙光 422 人を喜ばせる最たるものは、自分が喜ぶことです。 人が喜んだところを見て喜ぶのが正しいのであれば、他人のそうした行動を受け入れて、その人の行動の正しさを示すことも逆説的に「人を喜ばせ

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忘れるな!

われわれが高く上昇すればするだけ、飛ぶことの出来ない人々にとっては、一層われわれが小さく見える。 曙光 574 世間の人は客観的データによって人や物を相対的に判断しています。だからこそ広告物などにおいて、データや権威が役立つのです。 何の肩書も持たない人が、何かを話し出すよりも、大学教授という肩書を持った人が話すほうが耳を傾けられ、信憑性が高いという風に判断されるという感じです。 それはひとつの偏見であり、人を盲目にしてしまうものですが、膨大な量の情報が浴びせられる中、日常そうした枠組みを元に情報を取捨選択している

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遠くへの展望

よく定義されているように、他人のために、しかも他人のためにのみなされる行為だけが道徳的であるとすれば、道徳的な行為というものは存在しない! 曙光 148 序 人生設計やキャリアビジョンというような概念がありますが、そうしたものが語られていると知った時、なぜそうした狭い枠組みの中で夢を見させるのだろうというようなことを思いました。 以前、子供に将来の夢を聞くことは、ほとんどの場合その人の潜在可能性を潰すというようなことを書いたことがあります。 日々使い古される人々 現状知っている中の具体的にカテゴライズされたような対

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他人を通して

他人を通してちらちら光る以外には、見られることを全く望まない人間がいる。そしてこれには深い思慮がある。 曙光 421 他人を通して自らを高めようとすること、それほど醜いものはありません。 例えば、学校か何かで一番の成績を取った人が「僕が、僕が、僕が、一番なんだ!僕が一番なんだ!僕ってすごいよね?みんな僕をもっと褒めてよ!」と連呼している人がいたとすれば、その姿は美しく見えるでしょうか? 「ひとりでやっておけ」 そんなことを思うのではないでしょうか? しかしそれと同じようなことをしている人は多くいます。 先の例ほど露

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不機嫌な人々の治療法

すでにパウロは、罪に対する神の深い不機嫌が取り消されるためには犠牲が必要である、という考えであった。それ以来キリスト教徒たちは、自分自身に対するその不快を、ある犠牲にむけて洩らすことをやめなかった。― それが「世界」であろうと「歴史」であろうと、「理性」であろうと、喜びであろうと、他の人々の安穏な平和であろうと― 何らかのよいものが彼らの罪のために死ななければならない(姿においてだけであっても)! 曙光 94 不機嫌な人々を見ると、その不機嫌をなんとかしてあげようと思ったりして、その不機嫌さに同調してしまうというこ

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脱皮する

脱皮することの出来ない蛇は破滅する。その意見を変えることが妨げられた精神の持ち主たちも同様である。彼らは精神であることを止める。 曙光 573 「脱皮する」ということで、人の成長について書いていきます。 十代の頃は、小学生から中学生、その先は人によりますが、高校生や大学生などになったり、働きだしたりと、その度に何となく違った世界が広がっていって成長しているような感じになります。 人間で言う脱皮という表現に当てはまるのが、世界の見え方です。 大きく成長というか脱皮する感覚になる時は、概ね自分の周りの環境が大幅に変化し

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真理とは何か?

神がまさしく真理でないとしたら、そしてまさしくこのことが証明されたとしたら、どうだろう?神が人間の虚栄心であり、権力欲であり、短気であり、恐怖であり、喜びと驚きの妄想であるとしたら、どうだろう? 曙光 93 後半 「真理とは何か?」 といきなり胡散臭いカルトのようなタイトルですが、特別企画なので仕方ありません。 カルトもよく真理という言葉を使いますが、「教祖に財産をお布施しないと地獄に落ちる」等々、それは真理ではありません。 しかしながら、そんな変な宗教や宗教まがいの自己啓発セミナーなどにハマってしまう人たちがいま

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最初に病が治った思い出の地へ

最初に病が治った思い出の地へということで、近々約10年ぶりに奈良県吉野郡天川村に行くことを予定しています(来週に行きます)。 行ってきました⇒「大峯山(大峰山・山上ヶ岳)2017」 いつも涙とともに何か大きな気付きをする時は、桜井市の長谷寺だったり、今回の予定地である天川村の大峯山だったりと、なんだか奈良県が多い気がします。 と言っても、今回お伝えする第一の覚醒のような事が起こった時は、天川村ながら時間の関係上大峯山(大峰山)こと山上ヶ岳(さんじょうがたけ)には登らなかったときです(その翌年に独りで行って登りました

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われわれは人生に安心を望む

思索家のように、通常は思想と感情との大きな流れの中で生き、夜の夢すらもこの流れを下って行くのなら、われわれは人生に安心と静けさとを望んでいるのである。― 他の人々は、彼らが省察に身を任せるとき、まさに人生から離れて休息したいと思っているのに。 曙光 572 安心と安全こそが、人生の最大のテーマであったりします。安心とはもちろん不安がない状態のことを意味します。 普通はそれを思考上で解決しようとしますが、思考上で考える安心や安全は、本当の意味での安心や安全を叶えてはくれません。 なぜでしょうか? 頭の中でいかに考えよ

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党派の中の勇気

あわれな羊たちはその隊長に言う。「とにかく先に立って行ってくれ。そうすればわれわれは君について行く勇気を決して無くさないであろう。」あわれな隊長はしかし心の中で考える。「とにかく私の後をついて来てくれ。そうすれば私は諸君を導く勇気を決して無くさないであろう。」 曙光 419 「会社組織の中で」などなど、ある組織の内側にいる間は、その組織の内側で勇気を振り絞り、様々な知恵を巡らせ、何とかその組織を変えようとしたりすることがあります。 概ね創立から時間の経った組織はどこでも内側は腐っていたりします。仮止めの仮止めが常識

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魂の野戦薬局

一番の特効薬はどれか?― 勝利だ。 曙光 571 一番の特効薬はどれか?― 勝利だ。と、すごくシンプルでわかりやすいですね。 あれこれうじうじ言っていた人も、勝利のようなことが起こるとそれまでの陰鬱が全て吹き飛んで、周りを辟易させていたことなどすぐに忘れたりします。 「勝利」により陰鬱が全て吹き飛ぶ 借金体質の人の勝利、それはお金を借りれた瞬間です。 フラれた人の勝利、それは新しい出会いです。 就活難民の勝利、それは内定です。 そのような瞬間にそれまでの陰鬱が全て吹き飛びます。 しかしながらその程度と言っては何です

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損失

悲嘆を抑制し、ちょうど高く暗い糸杉の下のように沈黙して歩む崇高さを、魂に分かち与える損失が多々ある。 曙光 570 損失ということで、人生の無駄についてでも書いていきましょう。 世の中にはたくさんの無駄があります。結果的にそんな無駄な経験があとになって良い経験として解釈されることもありますが、特に大人になってからの無駄な経験は身を滅ぼすようなものがたくさんあります。 そしてそれが無駄だということを頭ではわかっていてもやめられないということもよく起こります。 動機は無意識的であり情動が最優先される その原因は無意識の

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悲惨に耳をふさぐ

他の人たちの悲惨と苦しみのためにわれわれが陰鬱な気持ちになり、われわれ自身の空を雲で覆うのなら、だれが一体この陰鬱の結果を引き受けなければならないのか?まさしくやはり他の人たちである。 曙光 144 序 ある感情が起こった時、その感情を自らが受け入れぬまま人と会うことによって「感情から目をそらす」ということをよくやっている人がいます。 人の暗い話を聞くと、聞いた側までも暗くなってしまいます。ということは、いつも周りにグチグチ言っているような人は、一種の害ということになります。 人から暗い話をされたときに取る対応は、

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健康保護のために

犯罪者の生理学を考察し始めるや否や、犯罪者と精神病者の間には本質的な区別がない、という避けがたい洞察の前にすでに立つことになる。 曙光 202 序 思考によって生じた嫌な感情、抑圧されたエネルギーが吐出口を求める時、その人の気質が外向的であれば暴力的に、犯罪の方に走り、内向的であれば自傷行為に走る傾向にあります。 そう考えると、犯罪者も精神病患者も元のエネルギーの質としては同じようなものを抱えているという感じになります。 うつ病などにしても、それが一瞬で治ることがあるケースにおいては、一般にイメージされているような

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あらゆる謙遜の限界

不合理なるがゆえに私は信じると語り、その理性を犠牲に供するような謙遜は、おそらくすでに多くの者がなしとげたであろう。しかし私が知るかぎり、それからともかく一歩だけ離れていて、私が不合理なるがゆえに私は信じると語る、あの謙遜をなしとげた者はいない。 曙光 417 あらゆる謙遜(けんそん)の限界ということで、謙ることについてでも触れていきましょう。 慇懃無礼(いんぎんぶれい)という言葉があるように必要以上の謙りは一種の皮肉となり、時に相手に対して失礼になったりします。 謙遜はマナーのひとつとして考えられていますが、己の

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貴族の将来

高貴な人々の挙動は、彼らの身体の中で、絶えず力の意識が魅力的な演劇を演じていることの表現である。そこで、貴族的な風習の人間は、男性であれ女性であれ、さも疲れたようにして椅子に腰を下ろすことが嫌いである。 曙光 201 序 先日の投稿「貧困に耐える」で触れた貧乏マインドの反対にあるのがこうした貴族的な風習です。「さも疲れたようにして椅子に腰を下ろすことが嫌い」という感じです。 まあまた新約聖書マタイ6章的ですね。引用しておきましょう。 断食を人に見せようとする偽善者 「断食をする時には、偽善者がするように、陰気な顔つ

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貧困に耐える

貴族の素姓の大きな美点は、その素姓が貧困をよりよく耐えさせることである。 曙光 200 貧困と貧乏マインドは相関関係どころか因果関係ですらあります。 寄付をすると金持ちになる、というようなことが囁かれる場合がありますが、問題はその行動ではなく、その行動時のマインドにあります。 実際の行為行動よりもその時の精神状態の方が重要です。 貧乏マインド その理屈は非常に簡単で、貧乏マインドなら「惜しい」と思い、「数限りあるお金が減っていく」ということや「その分を稼ぐにはまたあれほどの辛い思いをしなければならない」というような

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この衝動が荒れ狂いさえすれば、禍いなるかな!

他人たちに対する愛着と配慮の衝動(「同情的好意」)が現在の二倍の強さになるとすれば、地上では全く耐えきれないであろう。日々刻々、各人が自分自身に対する愛着と配慮からどんなに数々の愚行を犯すか、またそのとき彼がいかに耐えがたいものとみられるかを、まあちょっと考慮するがよい。 曙光 143 前半 人に止められてでもやってしまうこと、それが良い方向に動けば偉業が成し遂げられ、悪い方向に向かえば我が身を滅ぼすことになりかねません。 悪い方向に向かった場合は、まさに「この衝動が荒れ狂いさえすれば、禍いなるかな!」です。 やる

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共感

他人を理解するために、すなわち、彼の感情をわれわれの内面で模像するために、われわれは実際しばしば、彼のしかじかの一定の感情の起因を尋ねて、たとえば、なぜ彼は悲しんでいるのか?と問う。― そうすると同じ起因にもとづいて自分でも悲しくなる。しかしそれよりもはるかに普通であるのは、そうしないで、感情が他人において及ぼしたり示したりする結果に従って、その感情をわれわれの内に引き起こすことである。 曙光 142 「他人に共感する」ということがよく推奨されていますが、相手を理解することと同調することは別物です。 普通はある人と

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われわれの方が高貴である

忠実と、寛容と、名声への羞恥心。この三つがひとつの心情に合一すると― われわれはそれを、貴族的、高貴、高潔と呼び、これによってギリシア人を凌ぐ。 曙光 199 序 「高貴」という字を見ると、どうしても10代の頃にオールディーズライブハウスで見かけた「軽快にステップを踏む髭のおっさん」を思い出してしまいます。 「こうしたものの嗜みもあるぞ」という感じで得意げです。高そうなスーツに口髭、「ステキですね」の一言を欲して仕方ないという感じでしょう。 そう言えばその頃くらいに、メディアが「セレブ」という言葉を浸透させようと躍

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