倫理の否定者には二種類ある
「倫理を否定する」― このことは第一に、人間の申し立てる倫理的な動機が実際に彼らを行為に駆り立てたのだ、ということの否定を意味しうる。 ― 第二に、それは倫理的な判断は真理にもとづく、ということの否定を意味しうる。ここで付け加えられるのは、倫理的な判断が実際に行為の動機であるということであり、しかしこの仕方で誤謬が、あらゆる倫理的な判
最も厳密な理論の効用
人々は、ある人間の多くの道徳的な弱点を大目に見、その上粗い篩(ふるい)にかける。彼が最も厳密な道徳理論を信奉するといつも公言しているとしてのことだが!これに反して人々は、自由精神の道徳学者の生活を、いつも顕微鏡で調べてきた。その生活に過失があれば、ありがたくない認識の最も確実な反証になる、という底意を抱きながら。 曙光 209 「その
最も古い道徳的な判断
われわれの身近で或る人間が行為をした場合、われわれは、実際どのようにするか?さしあたりわれわれは、われわれにとってその行為がどんな結果になるのかを注目する。― われわれはこの視点下においてのみその行為を見る。 曙光 102 序 本当は違うはずですが、人は外見や行為で人に判断されます。 真の意味での行為について判断されるのであればいいの
道徳の変化
道徳にはたえず変形が施されて手が加えられている。― このことを引き起こすのは、上首尾の結末に終わる数々の犯罪である(たとえば、道徳的な考え方を新しくすることはすべてその一つに数えられる)。 曙光 98 いつでも決め事は解釈によっておかしくなっていきます。「道徳の変化」ということで、決め事など明文化されたもの、道徳など明文化されない不文
道徳的になるのは、道徳的であるからではない!
道徳に服従することは、君主に服従することと同じように、奴隷的でも、思い上がりでも、利己心でも、諦めでも、陰鬱な熱狂でも、無思慮でも、絶望の行為でも、ありうる。それ自体としては、それは道徳的なものではない。 曙光 97 つまりは校則に書いてあるからとか、上司にそう聞いたからという理由で「道徳」を守っているかのようなギムキョな言動は、道徳
感情とその判断からの由来
「君の感情を信頼せよ!」― しかし感情は最後のものでも最初のものでもない。感情の背後には判断と評価があり、それらは感情(傾向、嫌悪)の形をとってわれわれに遺伝している。 曙光35 感情は今の状態の一つの指針で、「その場」に限って言えばそれが全てみたいなものですが、それはすぐに流れていきます。 たまたま訪れた感情にも、その原因があります
道徳的な感情と道徳的な概念
これだけ道徳、道徳、と繰り返していては、道徳が好きなのかと思われそうですが、繰り返したくないのに繰り返さざるを得ない、これが特別企画の醍醐味です。 道徳の厄介なところは、それを教え込まれてきたから信じ込んでいる、という側面を持ちつつも、その要素に気持ちがスッキリするというものが含まれている点です。また、社会的に見た時にはそれが妥当、と
精神に対する誇り
「誇り」というものは、勝手に内側にとどめておくか、第三者への賞賛の場合に使うようなものです。この言葉の使い方を間違えれば、誇りはただの優越感であり、高慢であり、後ろめたさへの自己説得になってしまいます。 本来自分自身が持つ誇りは、自分自身で納得しておくようなものです。また、誰かを勇気づける時に用いたりするという場合もあるでしょう。しか
徳としての高尚な残酷さ
優越への衝動に全く依存している道徳がここにある。― それをあまり立派だと考えてはならない。 ― まさしく彼が自分の残酷さをぶちまげてやりたいと思うある人々がいる。そこに偉大な芸術家がいる。彼が偉大になるまでは、征服される競争者の嫉妬心を痛切に感じる快楽が、彼の力を眠らせなかったのだ。― 偉大になるために、彼は他の人々にどんなに多くつら
ブラウザ系ウイルス(広告系)
親友から電話がかかってきて、なんのことかと思えばブラウザに変な広告がバンバン出てくるということでした。ゾゾを見ていて商品詳細に飛ぼうと思ったら変なサイトに飛ばされる、つまりは内部リンクですら外部扱いされるみたいなパターンでした。 三日間くらいあれこれ対策を練っていたそうですがイマイチ根治には至らず、「お金を払うから直してくれ」という感
論拠としての気分
昔までは、約束の時間に1分でも遅刻する人を嫌っていました。 完璧主義というわけではないのですが、そういう人がどういう神経をしているのかわかりませんでした。そして、盗人にも三分の理ということで、どういうことか真剣に考えたことがあります。 すると訳を聞くと「楽しみに来ているのに、そういう細かいことを言われると気分が台無しになる」というもの
動物と道徳
拝金主義というのはどこまでも拝金主義に徹していきます。だからこそ一部の動物を「経済動物」という呼び方をしたりします。 経済動物という表現は、つまり「儲かればいい」であり、「儲けもできない上に、金がかかるなら殺す」です。 疚しさに対しての自己説得でしかなく、動物に対して経済動物や産業動物という呼称を用いる人間にロクな人間はいません。 経
法の履行
本来的に罰則規定のない努力義務規定というものは、民事的な賠償問題に発展した時に加味されるようなもので、特に「白い靴下しか履いてはいけない」というような義務教育の「校則」というものは、何の拘束力もないようなことです。 学校教育においては、一応相談室に呼び出して、拘束し、指導することが「正当」になる根拠として置かれていますが、その「校則」
倫理と愚化
風習とは、利益になるあるいは害になると思われるものについての、昔の人間の経験を代表する。 ― しかし風習のための感情(倫理)は、ある経験そのものに関係しないで、風習の古さ、神聖さ、明白さに関係する。そしてこれによってその感情は、人が新しい経験を重ね、風習を修正することに反対の働きをする。 ― 倫理は人を愚化する。 曙光 19 株式会社
文明の最初の命題
野蛮な民族にあっては、その意図するところが要するに風習であるように思われる一種の風習がある。 綿密すぎる、そして根本において余計な規定がある。 曙光 16 序 余計な規定はこの世の中にたくさんあります。 「それがみんなのためになる」とか、「地球温暖化防止のため」など、なんでも理由をつければ相手は従うだろう、というようなもので、自分の都
道徳の歴史における狂気の意義
狂気という言葉は、「みんながやっていないことをやっている」という意味で、常識はずれの範疇にあります。 その常識はずれの中でも自分に害がありそうなものは「狂気」になり、自分の利益になりそうというようなことは「偉業」などと言われたりします。 無害というかほとんど自分とは関係なさそうならば、印象は「変な人」くらいのものです。 それくらい人の
倫理の感覚と因果関係の感覚との相互運動
倫理の感覚と因果関係の感覚との相互運動ということで、ニーチェはまさに曙光のこの項目で、核心に迫るようなことを言っています。 「必然的な作用を把握する」、つまりあるがままの因果関係だけ把握できれば、アイツの特性である、空想的な因果関係が破壊されるということについて触れています。 空想的な因果関係を観察する 「空想的な因果関係」とは先に触
風習の倫理の概念
倫理とは、いかなる種類の風習であるにせよ、風習に対する服従より何ものでもない―。 風習とはしかし行為と評価の慣習的な方式である。慣習の命令が全くない事物には、倫理も全くない。 曙光 9 一部抜粋 さて、風習とはいったいどのようなものでしょうか。 「風習とは、行為と評価の慣習的な方式である」という感じでニーチェは語っていますが、まあたい
感謝しなさい!
どうして命令されなければならないのか、多感なティーンの頃には悶々と考えなければなりません。 感謝というものはこちらが一方的に即時的に、わき上がってくる性質のもので、「感謝しなさい!」の一言は、感謝している素振りをしなさい、ということになってしまいます。 どれだけありがたい状況か考えてみなさい もしくは「どれだけありがたい状況か、考えて
友達申請とお知らせ
「人脈を広げたく友達申請をさせていただきました。よろしければよろしくお願いいたします」 SNSはほとんど触りませんが、こういった類のメッセージがよく送られてきます。月に数件でしょうか。それどころか社長同士の集まりに行ったりすると、その名簿を見て検索してただ友達申請してくる人もいます。 名刺交換すらしていないのに友達申請をしてくるという
なぜ、人をいじめてはいけないのか
なぜ、人をいじめてはいけないのか、いじめがいけない理由について、その根本理由を考察していきます。善悪に関することについて触れる場合、社会的な議論の上では、即時的に「悪」「排除すべきもの」という前提が議論されることなく置かれ、また、「いじめ」などは「悪であること」と、当然のこととして、それに関する社会学的考察、自分たちが取るべき立場が定
タイヤの細いチャリとロハスな人
おそらく昔に比べてかなり安価になったのでしょうか、ウェーイの矛先としてタイヤの細いチャリンコが街にたくさん現れるようになりました。 また、SNSが普及した影響からか、「ロハスな人」に生活スタイルを語られたり見せつけられることも多くなりました。 ということでタイヤの細いチャリとロハスな人についてでも書いていきましょう。 タイヤの細いチャ

若いうち 改
僕は「夢」という言葉が苦手です。睡眠中の夢は大好きですが、「はみだした目標」的な方の夢という言葉には寒気がします。昔からです。 若者に「夢を持て!」と義務教育と体育会系はよく言いますが、「一生たまに遊んで、あとはほとんど寝て暮らす」ということに近いようなことを「夢」と定めると「ふざけるな」と叱ってきます。でも現実にこういうようなことを

正しい「思春期」 改
思春期には、正しくトンチンカン期を過ごさなければなりません。 つまり、何事も悶々と「一人で考えて答えを出す」、ということをこの時期に満喫するということですが、これを怠ると、義務教育上は問題ありませんが、後に「からのー、からのー、からのー」などと、安易な笑いに走ろうとして、大顰蹙を買うような大人になってしまいます。 ただ、最近気付いたこ

オカンとの勝負
お母さんというものは不思議な存在です。 もともと体がつながっていたのだから、その時点から不思議が始まります。 会社を作った時です。 僕は男に生まれたので、子を産むということができません。遺伝子的に。 でも、なんとなく我が子を産んだような心持ちになりました。おそらく実際のお母さんの気持ちとは別物なのでしょうが、世の男性クリエイターや起業

やさしくてもかまわない 改
「自分は損をしている」 そう思いながらも「それで誰かが幸せになるなら」と思ってしまう場合は、何かを変な目で見ています。 自分は損をしている、という点も変ですが、そういうふうに思うのも100%避ける必要はありません。損をしているという感想もまずは肯定しておいた方が無難です。 損をしていると思うのは、どういった理由だからでしょうか。 そこ

覚えやすい誕生日
なぜか未だにいろんな人の誕生日を覚えています。 覚えやすい誕生日の人が多いのもその理由ですが、やはり身近な人の誕生日は嫌でも覚えてしまいます。 覚えようとしたことはありません。 でも、未だに覚えています。 誕生日が何かしらの祝祭日と同じであったり、月の始めや終わり、ゾロ目といった感じであれば覚えやすいですが、個別に覚えるのではなく、一

LITTLE BUSTERS
トルコのレストランで昼食をとっていると、その前の大通りを盲人が通っていきました。 レストランの店員は少し走りながら、彼に近付いてその肩を抱いて、次の交差点まで彼を誘導しました。 そして走って戻ってきて仕事につきました。 「できる範囲でやる」 いい手本を見せてもらった気がします。 With the kids sing out the f
先物取引の電話
以前、自宅に先物取引の営業の電話がかかってきました。 素人のふりをして話を聞いてみました。 ひとまず業者の名称だけは伏せておきましょう。 でも、「やっぱり脇が甘いねー」、と思いました。 まずは適合性の原則。 電話口が誰かも確認せずに商品や市場について説明を始めました。 父の同窓会名簿から電話してきたことも遺憾ですが、電話口が父である確

若いうち
「若いうちはこうした方がいい」 「まだ若いんだから」 そんなことをいうのはどこかで体育会系、いや、儒教的な発想があるからです。 「年上の方が優れている」 「目上を立てろ」 そんなことは、統制のために悪用された妄想です。 ミスター脳筋「孔子」 僕は孔子をミスター脳筋くんと呼んでいます。 体育会系を筆頭に、年齢を根拠に優遇されたいという思