愛と真実
愛するあまり、われわれは、真理に対する悪い犯罪者であり、われわれにとって本物だと思われるより以上を本物にしてしまう習慣的な故買者(けいずかい)であり泥棒である。 曙光 479 前半 相手が物であれ人であれ、何か考え方のようなものであれ、愛著のような「好き」という感情、「何を犠牲にしてでも」というような自己犠牲の精神などが含まれるような
良心的な人々の悪用
つい先日喫茶店に行った時のことです。何やら思想団体のような団体が、デモ行進について会議をしていました。といっても若い人たちです。京都といえば昔からその気が多いのですが、やはり例に漏れず群れたいだけのB層でした。 耳を欹ててみると、「デモ行進中の差し入れに感動した」ということを女性が語っていました。しかしながら、自分たちの代弁者である思
「原因と結果!」
われわれは実際は「原因と結果」の像以外何ものも見なかった。そしてこのような像であることこそ、継起の結合よりも本質的な結合を洞察することを、たしかに不可能にするのだ! 曙光 121 後半 原因と結果、というドストレートなタイトルになっています。曙光においてニーチェがたまに「!」を加えるところは意気込みを感じますね。熱がこもっています。
労働の讃美者
「労働」が称賛され「労働の祝福」について倦まず語られる場合、私は公益的であって個人的でない行為が賞讃される時と同じ底意を見てとる。あらゆる個人的なものに対する恐怖という底意を。 曙光 173 前半 労働自体がよく賞賛されることがありますが、そうした労働を含め、社会的な物事においては、個人的な利益よりも公益のほうが賞賛される傾向にありま
普通は誤解されている
会話で気がつくことだが、ある人は他の人の陥るわなをかけようと努力する。これは、人が考えるかもしれないように、悪意からだけではなく、自分自身の滑稽さを楽しむことからなのである。さらにまた、他の人に洒落を言わせるために洒落を準備しておく人々や、他の人が結び目を引き出すために輪を結んでおく人々がいる。これも人が考えるかもしれないように、好意
通り過ぎよう!
彼を大切にせよ!彼を孤独にまかせておけ!諸君は彼を完全にこわそうと思うのか?突然熱すぎるものがそそがれたコップのように、彼にはひびが入っている。― そして彼はとても貴重なコップだったのだ! 曙光 478 中学1年生の時です。真夏の窓辺に一週間放置した森永マミーを「いける!」といって飲み干して、最大級の下痢になった時です。 お母さんに付
懐疑から救済されて
甲。他の人たちは、不機嫌になり、弱気になり、腐蝕され、むしばまれ、それどころか半ば喰い破られて、一般的な道徳的懐疑を脱する。― 僕はしかし、以前よりも勇敢になり、健康になって、獲得し直された本能で持って脱する。(略) 乙。君は懐疑家たることをまさしくやめたのだ!君は否定するからだ!― 甲。だが同時に僕はもう一度肯定することを学んだのだ
精神の収穫祭にて
経験や体験や、それらに関する思想や、さらにこれらの思想に関する夢などが、日々集積し、湧き出る― 測りがたい、魅力ある富である!それを眺めるとめまいがする。どうして心の貧しい人たちは幸いであると賞讃できるのか、わたしはもはや理解できない!― しかし私は、時々疲れたときに彼らをうらやむ。というのは、そのような富の管理は困難なことであり、そ
悲劇と音楽
たとえばアイスキュロスの時代のギリシア人のように、心情の根本的な調子が戦闘的である人々は、なかなか感動しない。しかし同情が一度彼らの厳しさに打ち勝つと、それは彼らを夢うつつのように、「魔物の力」のように感動させる。 曙光 172 前半 アイスキュロスは、古代アテナイの三大悲劇詩人の一人とされ、悲劇を確立させたとされる人のようです。 さ
新しい魂の医者はどこにいるのか?
慰めという薬は、それによって人生が、現在人々が信じているあの苦しみにみちた根本的な性格をはじめて手に入れるようになったものであった。人間の最もひどい病気は、彼らが病気にうち勝つことから生じた。 曙光 52 前半 今まで一度も入院はしたことがないのですが、ちょくちょく身体がおかしくなることがよくありました。 特に胃腸です。毎年このシーズ
重くなる
諸君は彼を知らないのだ。彼は多くの錘(おもり)を身体に吊るすことができる。しかし彼はそれらをみんな一緒に高く持ち上げる。そこで諸君は、諸君の小さな羽ばたきに応じて、彼はこれらの錘を身体に吊るしているのだから下に留まりたいのだ!と結論する。 曙光 475 ニーチェはたまにこういった曖昧で対象を名指しせずにつぶやいたりするので文学的だと言
ただひとつの道
「弁証法は、神的な存在と現象の面紗(ヴェール)の背後とに到達するためのただひとつの道である」― プラトンはこのことを、ショーペンハウアーが弁証法の反対を主張するのと同じように荘厳に、情熱をこめて主張する。― だが、二人とも間違っている。なぜなら彼らがそれに至るひとつの道をわれわれに示そうとしているものは、全く存在しないのであるから。
人はどこにその家を建てるべきか
現在、賃貸物件を探しながらもなかなか決まらず不動産屋さん泣かせの日々を送っています。家を買ってもいいのですが、別に買う気も特にありません。 お金をすぐに借りてしまう人の習性として、ある程度の所得があると見込んだ場合すぐに不動産を購入しようとしますが、買った瞬間に買った価格では到底売れないようなものです。 すぐに賃貸の家賃と比較して、家
弁明しない
甲 しかしなぜ君は弁明しようとしないのか? ―乙。この点でも、百の事柄でも僕は弁明できる。しかし僕は弁明の中にひそむ満足を軽蔑する。というのは、これらの事柄は僕にとってあまり大したことではないからだ。 曙光 472 前半 ニーチェ しかしなぜ君は弁明しようとしないのか? bossu それでは軽く類型ごとに示してみよう。 パターン① 相
別の隣人愛
激し易く、騒がしく、むら気で、神経質な人は、大きな情熱の反対である。 曙光 471 序 「隣人愛」といえば、新約聖書を読んだことのない人でも知っているような「あなたの隣にいる人を愛しなさい」というものですね。 隣人を愛する前に愛を思い出しなさい しかし相手の要求には応えても応えなくても構いません。 愛することと、何かの要求に応えること
曙光(ニーチェ)がようやく折り返し地点です
ニーチェ全集7「曙光」の各節題目表からタイトルを拝借するという旨で始まった特別企画 その5ですが、予想通りロングランです。現在575の節のうち半分通過の288の投稿が終わったところです。 スタートは昨年2014年の10月27日です。第一発目の「つけ加えられた合理性」からだいたい10ヶ月が経ちました。 10ヶ月で半分です。やはり途方も無
大勢の饗宴で
社長同士の集まりというのは、従業員時代には想像もつかないほどたくさんあります。商工会・商工会議所のような団体の集まりもありますし、その他単発のビジネス交流会のようなものもあります。 年末年始の忘年会・新年会などはすごい数のお誘いを受けますし、普段でも何だかんだで宴会・懇親会のようなものがたくさんあります。おそらくその気になれば毎日何か
最もよい約束の仕方
ある約束がされるとき、約束するものは、言葉ではなく、言葉の背後にあって言い表されないものである。それどころか、言葉は約束を弱めるのである。約束をするあの力の一部分にあたる力を放出し、消費することによって。諸君はそれ故に手をさしのべ、同時に指を口にあてよ。― そうすれば諸君は最も確実に誓うことになる。 曙光 350 最もよい約束の仕方と

心にググっと群馬県 2015 番外編(京都から群馬・栃木まで)
さて、「心にググっと群馬県 2015 番外編」と題しまして、昨年と同じく番外編です。 昨年の記事 心にググっと群馬県 2014 番外編 毎度のことながら、「心にググっと群馬県」と言いながらほとんど道中のことについてばかりになります。しかしながら、まずはやはり、関連したような事柄から。 初めて見る野菜たち 尾瀬市場農産物直売所にて いつ

やすらぎの栃木路 2015 いろは坂
人生初めての栃木県、そして日光のいろは坂です。と言ってもイニシャルDのエンペラーのエボ3乗りの須藤京一やMR-2・MR-Sの小柏カイのホーム「いろは坂」のみなので栃木県に行ったと言っても入り口だけです。 今回向かった「いろは坂」は、栃木県日光市にある中禅寺湖畔と栃木県日光市馬返までの間の国道120号の坂道で、下りが第一いろは坂、上りが

心にググっと群馬県 2015 赤城山と大沼
妙義山、榛名山と並んで上毛三山残るひとつの赤城山です。赤城コースは群馬県道4号線ですね。とにかく勾配があり、「標高500m」というモノが見えたかと思えば、すぐに「標高600m」「標高700m」と、上りの時はぐんぐん標高が上がって行くのがわかります。 急な気圧の変化が激しく、進む度に二リットルの水のペットボトルが、「ポコッ」っと音を立て

心にググっと群馬県 2015 伊香保温泉
「秋名下り」こと群馬県道33号線(渋川松井田線)を榛名湖から渋川方面に下ると伊香保温泉街に着きます。県道33号線から15号線に行くと水沢うどん街に行くこともできます。 伊香保温泉の存在を初めて知ったのは、ビジュアルバムの「都」です。 伊香保温泉には、「黄金(こがね)の湯」と「白銀(しろがね)の湯」がありますが、元祖黄金の湯だけ三回入っ

心にググっと群馬県 2015 榛名山と榛名湖
毎度の事ながら榛名山にはもちろん行くのですが、「秋名下り」の溝落としは夜のお楽しみということで、昼間の榛名山・榛名湖に行きました。 溝落としとか溝走りとか言われる側溝に引っ掛ける走り方は、この付近に行かないとあのタイプの側溝自体がありません。イニシャルDの実写版も「秋名」の撮影は新潟のようですが、このタイプの側溝はおそらく近畿圏にはあ

心にググっと群馬県 2015 妙義山
「碓氷と妙義は目と鼻の先だ」と言ったことを妙義ナイトキッズのR32使い中里毅が言っていたような気がしますが、碓氷峠と妙義山は確かに目と鼻の先です。 ちなみに「富岡市妙義町中里」という地名もあります。初めてこの辺りを通った時に偶然標識をみつけて思わず微笑んでしまいました。 昨年は、碓氷と妙義をひとまとめにしてしまいました。 昨年の記事

心にググっと群馬県 2015 碓氷峠「アプトの道」
なぜか毎年恒例になりつつある、盆明けの「群馬ツアー」です。 今回は1500キロほど走りました(4日半、1515km)。 さて、「心にググっと群馬県」第一発目は、長野県軽井沢から群馬への玄関口、中山道の「碓氷峠」です。碓氷峠には当然昨年も行きました。 昨年の記事 心にググっと群馬県 2014 碓氷~妙義 碓氷峠といえば、有名なのがやはり
賢者の非人間性
すべてのものを粉砕する賢者の重い足どり― 仏教の歌によると、「犀のように孤独に歩む」― には、時々和解的で穏やかな人間性が必要である。しかもあのいっそうすみやかな足どりや、才気あるあの愛想のよい社交的な言い回し方ばかりでなく、機智や一種の自己嘲笑ばかりでなく、矛盾さえも、世に行われている不合理へと臨機に復帰することさえも必要である。宿
美の国は一層大きい
「美しい国」という表現がたまにされることがあります。中国語などでアメリカを「美国」と書きますが、日本のことを「美しい国」と表現するということがたまに起こります。 しかしどこの国も美しいものです。美しさは受け取り手の感性の問題ですから、実態として「美しい」という属性自体は持っていません。見る人の感性によって「美しいとされる」だけの問題で
二度の忍耐
「それによって君は人間に苦痛を与える。」― 私はそれを知っている。そしてまた、私はそのために二重に― 第一に、彼らの憂苦に対する同情によって、第二に彼らが私に返報するであろう復讐によって― 苦しまなければならないことも知っている。しかし、それにもかかわらず私のようなやり方をするのもやはり必要である。 曙光 467 世の中には同情する割
懐疑家を安心させるために
「私は、私のなすことが全くわからない!私は、私のなすべきことが全くわからない!」― 君は正しい。しかし次のことは疑うな。君はなされる!いかなる瞬間にも!人類はいつでも能動態と受動態とを取り違えてきた。それは人類の永遠の、文法に関する誤りである。 曙光 120 懐疑家とは、もちろん何でもかんでも懐疑的に見て懐疑的に思考し懐疑的に判断する
そんなに重要ではない
人の死を見守ると、われわれには通常ある考えが浮かぶが、われわれは直ちにその考えを作法通りという不適切な感情によって心の中でおさえつけてしまう。すなわち、死ぬという行為は、一般に畏敬の念で主張されているように重要であるのではなく、また死んでゆく人は、彼がここでまさに失おうとしているものよりも、おそらくもっと重要なものを生きている間に失っ