
哲学の道の黄昏
哲学の道の黄昏ということで、昨日行ったばかりの哲学の道について触れながら、道行く人を見ながら感じたようなことについてでも書いていきましょう(ついでに、たった今の出来事ですが、なぜか、「みちゆくひと」と打っても通行人としか変換が出ません)。 このシーズン、哲学の道は桜吹雪の大乱舞という感じなので、人でいっぱいです。外国人だらけで、地元の人はほとんどいないような感じでしたが、想像よりは人が多くなかったので、程よく散歩することができました。な
祝四周年
なんだかんだで本ブログも四周年です。これで1140記事目になります。今回も祝三周年の時と同様に、単純に祝四周年というタイトルです。祝三周年の時点で、842記事だったのでこの一年で298記事を書いたことになります。過去分の転載等もありましたが、この一年はまあまあ書いた方になるのでしょう。 … さて、常連さんいつもご高覧ありがとうございます。コメントを寄せていただいた方やcontactからご連絡を頂いた方、また、ひっそりと読んでいただいてい
洗脳カルト宗教の勧誘に来た人を逆に説法して脱洗脳を試みた
洗脳カルト宗教の勧誘に来た人を逆に説法して脱洗脳を試みてみました。宗教勧誘を論破して撃退するという感じではなく、相手のフレーム合わせて、対機説法をしてみるという感じです。 普通は宗教勧誘に対して上手く断るという感じだったり論破して撃退するという感じだったりするでしょうが、僕の場合は目的が少し違っていて、追い返すことではなく、短時間で脱洗脳のタネを撒いておくことです。 先日、X(Twitter)でこっそりつぶやいてみましたが、ほんの少し前

うめぼしの謎
今回は「うめぼしの謎」特集です。同世代の方にしかほとんどわからないと思いますが、「うめぼしの謎」は90年代半ば、スクウェアエニックスになる前のエニックスより出版されていた「月刊少年ギャグ王」で連載されていた伝説的4コマ漫画です。 やはりなんだかんだで少年期の頃に人格の基礎ができるような気がします。コロコロやボンボンから背伸びする同級生は、ジャンプやマガジン、サンデーの方に行きますが、僕たちの小学校では少年ガンガンと少年ギャグ王が圧倒的に
虚栄心の原因と心理の裏側
虚栄心の原因と心理の裏側ということで、虚栄心について書いていきます。 虚栄心(きょえいしん)は、つまるところ自分を大きく見せたいということであり、その裏の心理としては生存本能としての恐怖心があります。見栄を張ることで自分を大きく見せたい、実力以上に評価されたいと思う心理の根本動機は、生命としての恐怖心ということになります。 虚栄心というと、大げさな話や嘘、そして虚飾により見栄を張る心という感じになりますが、その目的が自尊心を高めることや

マルチ商法(MLM)と洗脳
マルチ商法(MLM)と洗脳ということで、正確にはマインドコントロールにはなりますが、マルチ商法に洗脳されてしまった若年起業家について書き記しておきます。 最後に会ったのはもう数年前ですが、その時にもう少し踏み込んで止めておいたほうが良かったかなぁということを思います。 ということでそんな思いの昇華の意味を込めて、マルチ商法、マルチネットワーク、ネットワークビジネス、マルチレベルマーケティング(MLM)と呼ばれるものへの警鈴と、その本質的
「やる気を出す」以前にやる気は出すものではない
「やる気を出せ!」なんてなことを言われても、やる気なんて出ません。 ところがやる気を出して欲しい方の人は、相手にそうしてもらわないと都合が悪いからこそ、やる気を出せなどと言うのでしょう。 特にうつ状態の時は、やる気なんて出ません。やる気が無いこと自体がうつ状態の代名詞のようなものですから、出るはずがないのです。 外からやる気を出せと言われても出ないのが自然 そこで考えてみたいのがやる気の出し方です。 やる気を出す方法として、たいていが体
合理化や最適化が機械にできる限界
AIがすごいとか、少し前であればIT化がすごいとか、そうした事が世の中でよく囁かれますが、「合理化」や「最適化」が機械にできる限界であり、結局大切なことは文語ではなく口語でないと何ともならないというようなことについて触れていきます。 哲学カテゴリでも会社経営と商いカテゴリでも良かったのですが、抽象的な感じなので雑記にしておきます。 まず最初に、新世代に対する旧世代的な後ろ向きの考えではないということに注意してください。 合理化や最適化の
克服という目線は対象の肯定と意図の抵抗になる
克服という目線は対象の肯定と意図の抵抗になるという感じで、よくありがちな「克服しよう」という方向性自体が、目的と逆行してしまうというパラドクスについてでも書いていきます。 「うつを自力で克服する」では方便的に便宜上克服という言葉を序盤に使っていますが、苦手の克服にしろなんにしろ、「克服する」という考え方自体が、対象に対する執着と「自分への影響力の肯定」になってしまい、結果的により盲目的に克服とは逆行した働きをしてしまうという感じです。

フリーターから上場企業へ
僕自身の話ではないですが、フリーターから上場企業へということで、同じ様な境遇の人たちへのメッセージとして、30代フリーターのステップアップ成功事例について書いていきます。 他人の成長で触れていますが、ここしばらく人をサポートしています。といっても今回のお話に関しては数年前からのお話になります。 僕たちの世代付近は、バブル崩壊後の不況の中思春期を過ごし、社会に出る頃には、「フリーター」という言葉を誰かが流行らせ、まさに負の遺産の代償を若者
進化と退化
「テクノロジーを筆頭に、社会は目まぐるしく進化を遂げています」 そんなことがよく言われますが、僕はそうした表現に違和感を覚えています。 いつの時代でも、「進化に甘えて、現実が疎かになっている」というようなことを言いたがる人は出てきます。 「便利さに自由を奪われている」 みたいな感じで世代間のギャップに違和感を覚えている人ですね。 しかし僕の違和感はそうしたものとはまた異なったものです。 そういう人たちが言いたいことも理解することはできま

ゆるい仕事
初めてのお客さんからの難題案件を即日で対応したり、出し忘れていた書類を片付けたり、経理担当並みに数字を処理したりと、今日一日はすごく活発に動いたはずですが、なぜかいつもより断然体が楽で、全く疲れた感じがしません。 するとふとイージュー★ライダーが頭の中から流れてきました。 ということで奥田民生氏のイージュー★ライダーを久しぶりに聴いてみたところ、中学生の時の同級生で当時唯一凄腕だったギタリストのN君が、普段はB’zやイングウ
父への勝利
なぜかふと父から受けた最高の影響を思い出すので、あえてお父さんとの思い出についてお話しましょう。 僕の体育会系嫌いの原点です。 「生まれた順序で人に差をつけること」 その根拠なき差別に対する思いは、哲学的思考による論証だけに裏付けられているわけではなく、幼少期の体感が背骨となっています。 お正月の一悶着 確か小学校低学年くらいの時だったと思いますが、あるお正月に我が家で一悶着ありました。 それはおじいちゃんが僕のお年玉を1万円と設定した
活字の世界と感情の世界
何かをしたり人とやり取りをする上で、活字の世界の比重と感情の世界の比重というバランスがあることは案外見落とされています。 いくら感情的になったところで、活字の世界である学校のテストで良い点をとれるわけはありませんし、逆に恋仲になろうと思った時に活字ベースで事を進めることもできません。 たまに思考の世界と感情の世界をごっちゃにしてはいけないというようなことについて触れる時がありますが、もう少し具体的に考えて思考の世界の中でも活字の世界があ
ネット空間での人格
古くは掲示板、最近では動画共有サイトや匿名系SNSなどなどでの振る舞いがよく問題になっていますが、考えてみるとネット空間においては、少なからず人格が変容しているのではないかということを思っています。 一部の人において、それは「その人のその部分」というような一部的なものではなくて、インターネットに触れている時は全く別の人格になっているというような感じです。 匿名性がある方が、普段の主要な社会的役割の制限なく自由に活発な議論ができるというメ
見ることを意図してから絵を描く
見ることを意図してから絵を描くということで、「絵を描く」という表現をしていますが、本当に絵画を絵の具で描くわけではありません。頭のなかで計画を設計することというくらいの意味合いです。 最近ナニワ金融道を読んでからと言うもの、実は自分の周りでも「絵を描く」という言葉を使っている人が結構いることに気づきました。たいていは社長仲間ですけどね。ということで、見ることを意図してから絵を描くと言う感じで、認知的な話について触れていきましょう。 先日
他人の成長
ご無沙汰しています。bossuです。 久しぶりに頭を休めるために書こうかと思いますが、寒さのせいか、俗世間に触れたせいか少し頭の働きが悪くなっているような気がします。 思えば、昔は「他人の成長を喜ぶ」ということが本当のことかどうか半信半疑だったように思います。 おばあちゃんが孫の成長を喜ぶというようなものならば何となくわかりましたが、「部下の成長や後輩のような人の成長が嬉しいというのは本当だろうか?」ということを考えていました。 それは
状況によって変わる意識の身勝手さ
状況によって変わる意識の身勝手さについてでも書いていこうと思います。 意識の中に信念や考え方の傾向を持ってはいますが、そうした意識の向き方やモノの見方、いざというときの考え方や環境への対応というものは状況によって変わっていきます。 そう言えば先日、ナニワ金融道、新・ナニワ金融道、新・ナニワ金融道Rと、ナニワ金融道シリーズを読破しました。 お金を借りに来る人については、お金を貸す人借りる人で、ある程度触れていますが、ナニワ金融道を読むと改
自由意志と洗脳
自由意志と洗脳ついて書いていこうと思います。 自由意志を尊重したいのは山々ですが、まず基本的に自由意志というものはありません。もし、自由意志があるとすれば、それはアイツこと自我の領域を脱しています。 自由意志とは何かを捉えるとすれば、「意志が自由である」ということになりますが、哲学的に見るとそうした意志自体がオリジナルであるのかどうかが疑わしいはずです。 行為を客観的に見た場合、選択肢としての自由はあるように見えますが、意志決定における

美しくたくましく福井県 2018 越前町&若狭町
年の始に福井県の越前町、そして若狭町に行きました。 特に何の目的もないのですが、久しぶりに海沿いに行き、一年分の磯の匂いを嗅いでおこうと思った感じです。先月は山なので今月は海という感じです。 「磯をかぐ」で触れていましたが、越前町は遠い親戚がいて、毎年大量の越前ガニを送ってもらっていたという関係性があり、若狭町は小学校の時に学校から「臨海学校」的に泊まりに行った事があります。 そんな感じで幼少期を懐かしむために行ってきました。 越前岬

ほんの少しの旅に出よう
一人旅は非常に良いものです。 で、家に引きこもっていて寝たきり状態になっていても、もう十分に身体は現時点の限界まで休まっているので、それならばいっそほんの少しの旅に出てみましょう。 予算は1000円か2000円位でどうでしょうか? 僕はそんな低予算の旅によく出掛けました。 21歳か22歳位の頃です。 それでは、それくらいの時に出かけた旅の様子をご紹介していきましょう。 少しの準備 当時は携帯電話のカメラ機能も大したものではなかったので、

新年 2018
みなさま、あけましておめでとうございます。 2018年になりました。 早速白味噌の雑煮で杵つき餅を5つ食べました。 新年ということでひとまずは抱負のようなものを書いていきます。こうしたものを普段あまり意識することはありませんが、あえて意識してみましょう。 新年の抱負 2018年新年の抱負ですが、まずはもう少し間口を広げるためにということを含みつつ、少しはモテてみようかなぁという感じです。 これは、つい先日年末ということもあって、X JA

さよなら2017
さあもうすぐ2017年が終わります。 一応2017年を少し振り返っておきましょう。 急に仕事のやる気が無くなったり、養子が死んだりということもありましたが、急に大掛かりな仕事が舞い込んできたり、急に沖縄に行っていたりと、急な展開がよくありました。 最も大きな変化は養子のうさぎが亡くなったことですが、それは彼の死と同時に彼と出会う前の僕の意識との再会があったことも含まれています。 思えば我が家にうさぎがやってくる少し前の僕は、毎日が楽しか
哲学と解釈
哲学することと哲学を学ぶことは大きく異なり、また哲学することと解釈することは大きく異なっています。 ではそれらは何か違うのでしょうか? その根本的な違いは、ある具体性を持ったものの内側を見ようとすることと、具体性を突き抜けて、より抽象化していくことにあります。つまり、具体性を包括しつつより全体的で統合された地点から自己解釈を再構成するということです。 特別企画の曙光(ニーチェ)完了記念ということで、何かニーチェっぽいことでも書いてみよう
隣人を愛する前に愛を思い出しなさい
「隣人を愛する前に愛を思い出しなさい」という謎の命令形タイトルになっています。一応新約聖書にちなんでいますが、特にそうしたものの解釈について触れてるわけではありません。 うつを治そうというようなテーマで語られる時、自分の殻に閉じこもらずに他人と接し、他人を愛しなさい的なことが言われることがあります。「自分を愛するように隣人を愛しなさい」というようなやつです。 それはそれでいいのですが、単に他人を愛そうと思っても十中八九失敗に終わっている
見渡せば秋冬生まれの文化系
12月です。僕は12月生まれです。 見渡せば秋冬生まれの文化系ということで、昔からずっと秋冬生まれの友人が多く、文化系の人ばかりが友だちです。 ほとんど11月以降に誕生日を迎える人ばかりが友だちで、そしてなぜか10月生まれに特に仲のいい人はいなくて、飛んで9月生まれに友人が多いというのも不思議です。 まあその理由に関しては小学生の時から薄々感づいていました。 学年の最初の方の月に生まれた人は体育会系が多い 同学年のうち、学年の最初の方の
モテる秘訣とモテない理屈
さて、モテる秘訣とモテない理屈について書いていきます。 世間では様々なモテテクやモテるための条件、モテる秘訣、そしてモテない理由としての理屈が並べられています。 しかしながら、そういうものを鵜呑みにしてしまうと、婚活業界、結婚相談業界のお客になってしまうだけです。 どのような分野でも同じですが、具体的な事例自体を知ること自体はいいですが、そんな具体的な領域にとどまっていると、そのレベルの内側に居続けることになります。 そんな浅い領域から

曙光(ニーチェ)
ちくま学芸文庫より出版されているニーチェ全集7「曙光」の各節題目表よりタイトルを拝借し進めてきました特別企画「曙光(ニーチェ)」がついに全て完了しました。 本シリーズは575項目ありますので、投稿数はすごい量になっています。ということで一覧ページを設けておきます。 曙光 第一書 曙光 第二書 曙光 第三書 曙光 第四書 曙光 第五書 「曙光(しょこう)」とは、夜明けに差してくる太陽の光を意味します。暗い夜から一筋の強烈な光が差し込んでく
われわれ精神の飛行する者!
しかしそこから、それらの前には巨大な自由がもはや全くないとか、それらはわれわれが飛ぶことの出来る限り飛んだとか、推論することがだれに許されようか!われわれの偉大な師や先駆者たちもすべて最後には立ち止まった。そして疲労で立ち止まるのは、極めて高貴な身振りでも優美な身振りでもない。私も君もそういう成り行きになるだろう!しかしそれは私にとっても君にとっても何の関係があるだろうか!他の鳥がさらに遠く飛ぶだろう! 曙光 575 一部抜粋 この「わ
他人を喜ばせる
人を喜ばせることはなぜすべての喜びにまさるのか?― われわれはそれによって自分自身の五十もの衝動を一度に喜ばせるからである。ひとつひとつのものは極めて小さな喜びであるかもしれない。しかし、もしわれわれがそれらすべてをひとつの手の中に入れるなら、これまでかつてなかったほどわれわれの手は一杯になる。― そして心も同様である!― 曙光 422 人を喜ばせる最たるものは、自分が喜ぶことです。 人が喜んだところを見て喜ぶのが正しいのであれば、他人