さよなら2020
2020年が終わります。何かとイレギュラーな感じになったこの年ですが、同時にいろいろなことが明るみに出るような感じだったような気もします。社会的な影響に関して、個人的には特に何の憂いもなく過ごすことができました。 12月生まれということで37歳になりました。 36歳というと30代半ばと言う感じがしますが、37歳というと40代が見えてく
「我こそは」という勘違い
数年前から会社宛に一方的に送られてくる営業メールの中に「我こそは」という勘違いが含まれるようなものがたまに紛れ込んでいたりします。 端的には「インフルエンサーマーケティング」たるものであり、「フォロワーが多いですよ」ということで、「広告宣伝効果がありますから宣伝してあげましょうか?」というような営業メールという感じです。 そういうのは
共感性なき仮説検証への過剰な欲求
共感性なき仮説検証への過剰な欲求ということで、頭の焼けた理系の「なんとしてでもデータを集めたい」というゲーム中毒・ゲーム依存にも似た過剰な欲の有様についてでも触れていこうと思います。 近年、理系に限らず「共感性がないなぁ」と思うようなあり方はよく見受けられます。 例えば「お金のために働いたことは一度もない」というようなことを自慢気に言

画一的なものに対する民俗学的脱出
中央集権的なものに対する「対抗ではない一種の脱出のあり方」として民俗学的な逃れ方のような方法があります。それは勃興時の民俗学が意図したところであり、「すべてが画一的になりつつある中、何が私達ならしめるのか?」というところのひとつの地域社会的な個性の保存といったようなものです。 それはひとつの全体的な侵略のようなものに対する個の空間的脱
失敗の回避と立ち直り
重要なのは失敗を回避するということよりも、失敗した時の立ち直りの方であり、一応「失敗してもいい」ということを思うにあたって、失敗しない前提を持たずに、本当に失敗したときのことに対してどう取り扱うのか、再度挑むならばどう挑むのかということを想定しておく方が良いと思っています。 失敗を回避するという感じは消極的です。一応様々な準備をしたり

休業日に増幅する焦燥
ふと薬局に行った時に「うむ。やはり漢字四文字で構成されたもので最も面白いのは『歯槽膿漏』やな」などと確認したりしているのですが、そんな自分を振り返ると「ああ今はすごく健全やなぁ」と思ってみたりします。 しかしながら先日、久しぶりに限界に来てキレてしまうというようなことが起こってしまいました。 理由は簡単で「休業日にもひっきりなしに連絡
詰まる言葉
直接のコミュニケーションの機会が分断されているということが影響しているのか、この夏くらいから今に至るまで、スムースに話が進まず何となく言葉に詰まるということがよく起こっているような気がします。 他愛のない会話という部分を含めた会話の機会が少なく、用件を話す程度の会話が多いということが影響しているのでしょう。 何かもう一つか二つ聞いてお

いつまでも子どもでいるために
いつまでも子どもでいるためになどと言うと、語弊を生みそうな感じがしてしまいますし、あくまで「いつまでも冒険野郎な37歳半くらいの人」が目指している「童心も忘れてないぜ系等々、そういう路線でモテよう」というものとは全く異なるため誤解は避けたいところです。 が、先日「劇画・オバQ」を再読したところ、思わず10回くらい読んでしまうことになっ
ほくそ笑む言葉たち
本格的に読書の習慣ができたのは19歳くらいからですが、京都という土地柄か、幼少期から言葉自体で楽しんでしまう癖があります。 先日、米子の皆生温泉に行ったときの宿泊先に次のような本がありました。 参考 目で見る米子・境港の100年 一体何の本を読んでいるのだという感じもなりそうですが、もちろんそうした土着文化に触れるというのも旅の醍醐味
第1900回投稿記念
これで1900記事目になります。ブログ創設から1900回目の投稿ということで「第1900回投稿記念」です。 前回の第1800回投稿記念は、2020年4月25日だったので、前回からの100記事は、5ヶ月くらいかけて投稿したという感じです。 さて、常連さんいつもご高覧ありがとうございます。 また、contactからご連絡いただいた方、投稿

燕の巣立ち
燕の巣立ちということで、ちょうど巣立った瞬間のツバメのひなちゃんに会ったのでご紹介します。 燕は外敵から身を守るためということなのか、人が行き来する場所に巣を作る習性があります。 厩舎にたくさんの燕の巣があり、厩舎ガイドツアー中も親燕たちが飛び交う感じでした。 見上げると燕の巣に五羽のひなちゃん。 と、その時、一羽のツバ
嫌な人との向き合い方
生きていると嫌な人と出会ってしまう機会がたまにあります。「趣味が合わない」という程度ならばいいですが、「脳が焼け焦げているのではないか?」と思うほどに多少気が狂れているような人や、周りが見えず自分の快楽だけを追求する傍迷惑な人、アラ探しや侮蔑等々により事あるごとに気力を奪おうする人など、多種多様な人と出くわしてしまう可能性は常にありま
耐えられる程度の微妙な暑さによる混乱がもたらした気付き
最近は日中が暑く夜はまだ若干涼しいという感じの気候が続いています。昼間の暑さは日差しの強さに依存しているというフシもあるため、曇り空ともなれば「耐えられる程度の微妙な暑さ」といった感じになったりもします。 気づけば脇に熱がこもっており、若干脇毛が絡まっているという感じの暑さです。 そんな微妙に耐えられる程度の気温の中、しばらく暑さをあ
情報を短期間で大量に流し込むことで見える基礎と特性
情報を短期間で大量に流し込むことによって、あまり苦労することなくその分野のことがすぐに習得できたりします。習得ということでなくても、情報を短期間で大量に流し込むことでその分野・対象の基礎や特性が見えてきたりもします。 「現地語を浴びる」という感じで一気に情報を流し込む語学の訓練のように、長時間の観察を短期間で一気に行うと一気に基礎的な
家の前で遊ぶ子供がうるさすぎたので注意すると子供の親が怒鳴り込みに来た
「家の前で遊ぶ子供がうるさすぎたので注意すると子供の親が怒鳴り込みに来た」ということで、先日実家に帰った時に向かいの家の子どもたちが騒ぎまくりながら遊んでいて、お互いを呼ぶ声などがうるさすぎたので注意した時のお話です。 感覚でいうと、となりのトトロの「メイ」が最高にテンションの高い時×6人だと思ってください。 「キャー!」「きゃあん!
ドライアイ対策としてのサングラスの常用
5月に入り日に日に日差しがきつくなってきています。 それ自体はまさに晴れやかでいいのですが、ドライアイの影響により後頭部が焼けたような感じやふらつきが起こるのでサングラスを常用することで対策をしています。 昨年、毎年調子がいいはずの5月にフラフラした感じがやってきて6月には冠動脈の検査を受けたりもしました。しかし結局は、運動不足的な部
何割かはボツになるという前提
物事の当然の理として「何割かはボツになる」という確率的なものが常に潜んでいます。理論的には100%になりそうなものでも、隠れた要因によって100%にはならないという感じになっていたりします。 何事も何割かはボツになるという前提で物事を進めていると、ボツでも問題がないという感じで気楽に過ごせますし、「またダメだった」と嘆いて動きが止まる
春に訪れる悲愴
ちょうど2年前の同じタイミングくらいの時に「春の感傷」で触れたように、どうしても春になると一度は悲愴な感じが訪れてきます。 それは単に冬の間の縮こまりが解放されるという程度であり、どちらかというと精神の領域ではなく身体的な領域の反応に伴ってという感じだと思っています。 例のごとく今年も数日前に瞳孔が開きっぱなしになり、体は蛹が殻を破る
眠る感覚との再会
昨年の秋頃の話ですが、道を歩いていると小学生の集団とすれ違いました。小学校中学年くらいの男子集団です。 遠くから歩いてきた彼らは、選挙活動かのように 「何月何日に〇〇小学校で運動会があります。見に来てください」 と、誰に言うでもなく、誰にでも言っているような感じで行進していました。 「そりゃあまあ年頃の男子たるもの勇姿を見てもらいたい

第1800回投稿記念
これで1800記事目になります。ブログ創設から1800回目の投稿ということで「第1800回投稿記念」です。 前回の第1700回投稿記念は、2020年1月5日だったので、前回からの100記事は、4ヶ月弱かけて投稿したという感じです。書庫の植物を増やしたことが後半の伸びに影響しているでしょう。 1ヶ月ほど前に六周年を投稿したばかりですが投
能ある鷹は爪を隠す
能ある鷹は爪を隠すについて触れていきましょう。 辞書的、教科書的な意味として「能ある鷹は爪を隠す」とは、「実力のある者は、軽々しくその能力を見せつけるようなことをしない」というものであり、実力者ほど才能や能力を見せびらかせることはしないというような意味になります。その本意としては、傲慢の戒めというものもありつつ、手の内を明かさずにいた

forget me not
すべての経験を覚えていて、記憶は「引き出すこと」だけの問題であるとするならば、覚えていないようなかつてのたくさんの出会いもどこかしらにまだ潜んでいたりするということになります。新しい何かを探すということもいいですが、それは案外既に知っていることなのかもしれません。

有終の美
ろうそくの火のように、燃え尽きる時に粋になるチューリップとフリージア。最後に見せてくれたなぁ。
不要な細切れの情報
不要な細切れの情報にさらされると、意味はないどころか疲れが溜まったり、頭がわいたりしてしまいます。 例えば仕事の上であれば、一見意味のなさそうな細かなデータを常時見ることも後のまとまりのための布石となったりするので有用です。 毎日のようにデータを見ることは、ある相関関係や因果関係を発見したりして、その後の推論に役立つことがあります。
祝六周年
本ブログも六周年を迎えることになりました。ちなみにこれで1775記事目になります。今回も祝五周年の時と同様に、単純に祝六周年というタイトルです。 祝五周年の時は1480記事だったのでこの一年で300弱の投稿をしたことになります。 さて、常連さんいつもご高覧ありがとうございます。コメントを寄せていただいた方やcontactからご連絡を頂
占いを信じる人たちの責任転嫁の心理
占いを信じる人たちの責任転嫁の心理ということで、占いに依存し、占い師の発言によって人生を導かれてしまう人たちの意識の構造について触れていきます。 占い師によるマインドコントロールや洗脳という事例に関する報道も一度や二度ではありません、そんな中でも未だにこうした占いへの依存が後を絶えません。こうしたものは、全面的に否定するというよりも、
至高の芸術
世の中にはたくさんの芸術作品があります。それぞれ感覚チャネルという次元が異なるため一律に論じ得ない部分もありますが、音楽や絵画といったものを含めて見渡した上での至高の作品は、やはりドラえもん6巻の「さようなら、ドラえもん」であるということをずっと思っています。 「僕のもとに帰ってきたドラえもん」で触れていましたが、幼少期に出会ってから
凛として淡々とした平常心
まあ社会的な騒ぎで微妙に狼狽えてしまっている人も多いと思いますが、僕はいつも通りの平常心のままだったりします。 本当に必要なニュースは嫌でも誰かが伝えてくれたりもしますし、社会的な不安ベースの情報は「見ても仕方がない」ということを十代の時に思ったので、特にニュースも見ていません(自宅にはテレビ自体もないですからね)。 どのような社会問
勘違いの証明
中学1年生くらいの頃の話になりますが、部活動で壁打ちのようなものをしていて、飛んでいったボールを見つめていた時のことです。 単に放物線を描くボールを見ていただけなのですが、急にひとつ上の学年の人がこちらに近寄ってきて 「おい、お前睨んでたやろ」 と言ってきました。 (あんた誰?) くらいの感じでしたし、その時初めてその人が同じ学校にい
頬を赤らめる表現で見える空間のパワーバランス
頬を赤らめる表現で見える空間のパワーバランスということで、キャラクター設計や表情の描写のあり方で見える、物理空間と情報空間というコントラストによる社会的なパワーバランスの変化について触れていきます。 アニメキャラクターやゲームキャラクターが猫も杓子も頬を赤らめているという現象は、社会的なパワーバランスの変化を示しているフシがあります。