カテゴリー別アーカイブ: miscellaneous notes 雑記

miscellaneous notes 雑記

選ばれない側の「つまらない人たち」の行動

世の中では選ばれない側の「つまらない人」たちが、群れて自分たちと同じようなレベルにまで引きずり落とすということをしようとします。インターネットの普及によりその行動はより起こりやすくなりました。 マスコミが盛り上がるというのも結局人の関心を刺激して収益を上げるということなので、つまらない人たちが反応することを取り上げるというのはご商売柄

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「誠実」という若き男の悩み

古今東西、若き男の悩みというものは特に変わっていません。若き男と表現するものの、思春期以降老年期までの間にたいていの男性にはいつか訪れる悩みです。有名どころで言うと、サマセット・モーム氏はその悩み、怒りを「人間の絆」で表現しました。 まずは事実を知り、そして、それをどう取り扱っていくかというところが問題です。これを曖昧にすると、老年に

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新年 2024

みなさまあけましておめでとうございます(というような日付でもないですが…)。 2024年になりました。 今回はフライングし、12/30の昼には白味噌の雑煮を食べていました。 手の指や手首の腱鞘炎、前腕の疲労を完全に治すために、年末年始は、PCから完全に離れていました。 また、年末年始は毎日のように黒夢を流していました。 来客も多く、ま

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さよなら2023

2023年が終わります。12月生まれということで40歳になりました。30代が終わり40代になりました。 令和の40歳ということで、嵐に親近感を感じています(彼らは同世代かつ2人は同い年ですね)。 年末にちょろちょろと書いていこうと思いましたが、来客が多くあまり時間が取れませんでした。 また年始にいろいろと書きましょう。 さよなら202

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駆け引きと安心

思い返すと何人かの女性に「あなたは駆け引きもできない」と言われたことがあります。 駆け引きができるとかできないとかそうした問題ではなくて、そうしたものをしたくないんです。コロコロコミック育ちですからね。 そうした観念がある事自体が息苦しいんです。 とりわけ異性間の付き合いであったり、友達関係であったりにそんなものを持ち込もうという考え

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木漏れ陽が灼く影

この8月、なぜか昔お付き合いしていた方に二人も会いました。共に「ばったり」です。今でもキレイでしたね。でも、それぞれの方に特に思い入れはありません。 思い入れは無いのですが、やはりそれら方々に共通して「なんで?」という疑問がありました。 なぜか「ふっ」と気分が変わるんですね。 気持ちの上で何が変化するのかということがわかりませんし、分

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固定観念への態度

「思い込みを外す」ということの続編でも書いていきましょう。思い込みとはつまり観念であり、ある程度固定化されているものは固定観念と呼ばれたりします。こうした固定観念への態度について触れていきます。 固定観念が様々な「苦」つまりドゥッカを形成しています。 「いやいやそんなことはないだろう。嬉しさ楽しさも固定観念に依る場合があるよ」 という

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「思い込みを外す」ということ

「思い込みを外す」ということについてでも触れていきましょう。世の中ではいたるところで「思い込みを外しましょう」ということが言われたりします。経営論を始め、メンタルケア的な分野、人生論的なところまで様々なところで、思い込みを外すというような点について語られています。 ただ、「思い込みを外す」ということについて、世間的な目線で近視眼的に捉

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おじいちゃんが守ってくれていた環境

思い返すと、僕が中学二年生くらいの時におじいちゃんとおばあちゃんが家を出ていってから、我が家は様々な部分で狂い出しました。 父は事業破綻し、弟は少しの間不登校になりました。家計を支えるためにと母は勤め先をもう一つ増やして、おかげで夕食もまともに食べられない日もありました(冷蔵庫に何も入っておらず、遅い時間まで母の帰宅を待つような時期も

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店員さんへの接し方

よく店員さんへの接し方で、その人の人格がよくわかるというようなことが言われたりします。これは特に自分が利用するお店の店員さんに限ったことではなく、自分がお客であるとか世間的には社会的立場が上だとかそういう局面においてどのような態度を取るかというところになります。 ひどい人は本当に酷い態度を取ります。 では、どのような態度が普通で、どの

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あの日奪われた勇気を取り返す旅

趣味というと語弊がありそうですが、僕の一番の趣味は結局人を勇気づけることなのかもしれない、と思うことがあります。 その奥には、なんだかんだで幼少期からたまに勇気を奪われていたからこそ、幼少期~二十歳くらいの自分を助け出すように、また、奪われた勇気を取り返すために、人を勇気づけたりしているようなフシもあります。 そのようなことに気づいた

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祝九周年

本ブログも九周年を迎えることになりました。ちなみにこれで2119記事目になります。今回は、単純に九周年というタイトルです。 祝八周年の時は2022記事だったので、この一年で100弱の投稿をしたことになります。 さて、常連さんいつもご高覧ありがとうございます。コメントを寄せていただいた方やcontactからご連絡を頂いた方、また、ひっそ

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不意に出てくる言葉に込められたヒント

だいたい誰にでも口癖というものはあるものです。また、口癖ではないものの不意に何かの言葉・フレーズが出てくることがあります。 そのような言葉たちは、その時の状態を示しているフシがあります。 また、限界はありますが、これを無理やりにでも明るい言葉に変えることで、気分を明るくすることができたり、意識の向きを積極性のある方へと導くこともできま

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「ぼくがぼくであること」という意志表示

「ぼくがぼくであること」 山中 恒氏の作品ですが、この本には不思議な思い入れがあります。 それは弟が初めて僕に薦めてきた本であり、貸してくれた本であるからという感じになっています。 「ぼくがぼくであること」は、物語としても読んでいて面白い作品です。 その本のことを思い出し再度読み返そうと思いました。実家に取りに行ってもよかったのですが

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第2100回投稿記念

これで2100記事目になります。ブログ創設から2100回目の投稿ということで「第2100回投稿記念」です。 前回の第2000回投稿記念は、2021年12月27日だったので、前回からの100記事は、1年と少しかけて投稿したという感じです。またローペースで、かつ、アフォリズムで少し数を稼いだ感はあります。 さて、常連さんいつもご高覧ありが

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感染後の集中の乱れ

「感染後の集中の乱れ」ということで、コロナ日記の続きを覚え書き程度に書いていきましょう。 個人的にコロナ感染による影響で何よりも面倒なのが集中力が不安定になることです。寒さに連動しているのか日による調子もありますし、一日のうちで調子がうねることもあります。 ― 発熱は2日程度で収まり、その後咳や痰、鼻水が続いていました。 感染から現在

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新年 2023

みなさまあけましておめでとうございます。 2023年になりました。 元日は、日が変わってすぐに白味噌の雑煮で餅を4つ食べました。 引き続きのコロナウイルスの影響で、味わいが6割程度に留まり、おせち等々薄味のものは逆に気持ち悪くなるような感じです。 ということで、南インド系のそこそこ辛いカレーなどを食しています。 先月の誕生日にもらった

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さよなら2022

2022年が終わります。12月生まれということで39歳になりました。30代最後となります。 私のコロナ日記 この12月に、新型コロナウイルスに罹患しました。先に罹った家族の看病をしていての感染です。 発熱は最高で39.4℃。熱が出ていた時間は、40時間程度でした。その後、咳や痰、鼻水が続きました。咳に関してはそれほどでしたが、朝の痰と

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「仕事」を理由にした工事車両等の厚かましい路上駐車

「仕事」を理由にした工事車両等の厚かましい路上駐車

工事車両等の厚かましい路上駐車ということで、迷惑駐車についてでも触れていきます。どの道最後は警察によって解決するような事柄にはなりますが、「仕事だから」という謎の言い訳によって厚かましく人の家の塀沿いに迷惑駐車をする工事業者等について、今一度触れていきましょう。 今までに「断末魔の長広舌」や「鉄面皮との天王山」、「誠実な遊戯」などで触

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ながらスマホによる自転車事故の被害

近年、自転車事故による被害が増えているようです。電動自転車やスピードの出る「タイヤの細いチャリ」が普及したからか、事故の規模も大きかったりするようです。そして何より、スマートフォン汚染の影響により、スマートフォンを操作しながら運転するということをする人がいるため、事故が増えているような感じもします。 いわゆる「ながらスマホ」での自転車

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意図せず壊れた友情

特に喧嘩をしたとか裏切りがあったというわけでもないのに、意図せず友情が壊れてしまうことがあります。 またいずれどこかで詳しく書こうとは思いますが、僕の中に暗さが生じ、怒りがよく起こるようになったきっかけというのは、こうした「慈しみ、友愛が叶わないということが起こり始めたから」という感じになっています。 思い返すとそれはいわゆる思春期に

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暇つぶしと集中力の分散による怒り

11月は児童虐待防止推進月間ということで、今年も少しだけ児童虐待防止について触れていきましょう(なお、昨年の「しないこと」への評価で触れていますが、個人的には言葉的には児童虐待防止よりも児童愛護の方が表現としては良いのではないかと思ったりします)。 根本的にこうした虐待については、怒りが根底にあります。倫理上虐待というものは、それほど

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怒りによって見えなくなる「相手の責任の範囲」

稀にですが、それ以上言っても仕方がないのに、それ以上のことを言って、何かしらを求めてくる人がいます。 いわば、それ以上感情に任せて怒りちらしたところで、現実的にどうしようもないのに、現実に即したことは行わずに、「自分の感情を落ち着かせろ」とでも言わんばかりに、やたらと謝罪等を求めてくるというような感じです。 もちろん僕はこの手の人には

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社会における自己の抽象的な定義

わかりやすさ重視ということなのか、何かにつけて専門性ばかりが前に押し出される傾向にありますが、社会における自己に関してはなるべく抽象的な定義づけをしておいて、全体像を把握する方が好ましいと思っています。 キーワード重視の社会環境では、具体的な専門性や権威性を武器にする人たちの方が目立つという意味ではやりやすいため、そうしたものに目を奪

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豊かさの感覚

ほんのちょっとのことですが、ぶわぁーっと豊かさの感覚を感じる時があります。 当たり前であると思っているような当たり前のことに感謝をするというようなこともそれにあたりますが、些細な事に気づくということもまた醍醐味があります。 ― 先日、親戚の子が京都に遊びに来た時のことです。 帰りの時間の関係で、次の観光地までそろそろ移動しようかと思っ

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豊かさとケチ臭さ

豊かさとケチ臭さについて触れていきましょう。 アフォリズム 108.「大掛かりな施し」にて触れていた、以下のものについてもう少し触れる形で進めていきます。 新約聖書において、「財産を処分して貧しい者に施せ」と言われ、躊躇った者は、「一度失うと、再びは手に入らない」という暗示を自分に与えている。 ― 結構前のことですが、当時某スポーツ選

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あの手この手で支配しようとしてくる体育会系天才詐欺師

勤め人の頃に、あの手この手で支配しようと躍起になっていた体育会系の先輩のような人がいました。 社内では天才詐欺師として有名であり、胸板を強調し、胡散臭い縁の太い眼鏡をしていました。野球部上がりです。野球部出身者に対しては、予選に出場したのは何回目の甲子園だったかというような質問から上下関係を作ろうとしているような人でした。 しかし残念

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祝八周年&第2022回投稿記念

本ブログも八周年を迎えることになりました。そして、なんだかんだ本投稿で2022となり、西暦2022年に追いつきました。 祝七周年の時は1942記事だったのでこの一年で80の投稿をしたことになります。 やはり投稿をするにはある程度まとまった時間が必要になり、そうしたまとまった時間が取りにくいということが投稿数の少なさに影響しているような

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俯いて立ち上がるような感覚

両親を筆頭に、様々な人から教えてこられた物事に対して、それと違う方向に向かい始めようとする時、多かれ少なかれ抵抗感が生まれたりします。 裏切りとまではいかないにしても、相手の生き方、相手と過ごした思い出を切り離すような、そんな感覚が起こってしまいます。 しかしながらそれでも、立ち上がる必要があります。 ちょっと俯いて立ち上がるような感

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人生で一番良かった時期

若者をつかまえては「人生で一番良かった時期はいつですか?」というような質問を投げかけ、何かしら回答をしようものなら「過去を振り返ってはいけない。『今』と言わなければならない」というようなことを繰り返している体育会系の人がいました。 その脇で一連のやり取りを数回見たことがあるのですが、毎度毎度、「別に『人生で一番良かった時期』というもの

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