さよなら2022
2022年が終わります。12月生まれということで39歳になりました。30代最後となります。 私のコロナ日記 この12月に、新型コロナウイルスに罹患しました。先に罹った家族の看病をしていての感染です。 発熱は最高で39.4℃。熱が出ていた時間は、40時間程度でした。その後、咳や痰、鼻水が続きました。咳に関してはそれほどでしたが、朝の痰と鼻水の量がある程度ひどく、大さじ一杯強くらい出ていました。 発熱中は、太もものぞわぞわが凄まじく、最初はオイルマッサージをされている程度で心地よかったのですが、「もういいですよ」と言い
「仕事」を理由にした工事車両等の厚かましい路上駐車
工事車両等の厚かましい路上駐車ということで、迷惑駐車についてでも触れていきます。どの道最後は警察によって解決するような事柄にはなりますが、「仕事だから」という謎の言い訳によって厚かましく人の家の塀沿いに迷惑駐車をする工事業者等について、今一度触れていきましょう。 今までに「断末魔の長広舌」や「鉄面皮との天王山」、「誠実な遊戯」などで触れていますが、駐車のベストスポットということになるのか、家の塀沿いによく車を駐められることがあります。 特に工事業者に限ったことではなく、置き薬屋、生命保険の営業車が厚かましく駐めてい
ながらスマホによる自転車事故の被害
近年、自転車事故による被害が増えているようです。電動自転車やスピードの出る「タイヤの細いチャリ」が普及したからか、事故の規模も大きかったりするようです。そして何より、スマートフォン汚染の影響により、スマートフォンを操作しながら運転するということをする人がいるため、事故が増えているような感じもします。 いわゆる「ながらスマホ」での自転車運転は、意識の上でも視覚的な面でも注意力が散漫になるということに加え、片手の自由が一部奪われるということになるので、事故の確率は結構高まってしまいます。 近年ではこうしたながらスマホ運
意図せず壊れた友情
特に喧嘩をしたとか裏切りがあったというわけでもないのに、意図せず友情が壊れてしまうことがあります。 またいずれどこかで詳しく書こうとは思いますが、僕の中に暗さが生じ、怒りがよく起こるようになったきっかけというのは、こうした「慈しみ、友愛が叶わないということが起こり始めたから」という感じになっています。 思い返すとそれはいわゆる思春期に訪れたものであり、なぜ人と人の仲が壊れてしまうのかということについて、日に日に暗さが増していきました。 「お前まだドラえもんなんか読んでんの?」というようなことを言うやつが現れたりする
暇つぶしと集中力の分散による怒り
11月は児童虐待防止推進月間ということで、今年も少しだけ児童虐待防止について触れていきましょう(なお、昨年の「しないこと」への評価で触れていますが、個人的には言葉的には児童虐待防止よりも児童愛護の方が表現としては良いのではないかと思ったりします)。 根本的にこうした虐待については、怒りが根底にあります。倫理上虐待というものは、それほど論証を必要とすることなく否定されるようなものであり、している本人たちもたいていそれを頭で理解していることであろうとは思います。 ということで、ただ単なる虐待というものへの非難はほとんど
怒りによって見えなくなる「相手の責任の範囲」
稀にですが、それ以上言っても仕方がないのに、それ以上のことを言って、何かしらを求めてくる人がいます。 いわば、それ以上感情に任せて怒りちらしたところで、現実的にどうしようもないのに、現実に即したことは行わずに、「自分の感情を落ち着かせろ」とでも言わんばかりに、やたらと謝罪等を求めてくるというような感じです。 もちろん僕はこの手の人には、意味のない謝罪はしませんし、要求にも応えません。意味がないからです。 責任の範囲と帰責事由 社会生活において、とりわけ契約等々においては、責任の範囲というものがあります。そして、何か
社会における自己の抽象的な定義
わかりやすさ重視ということなのか、何かにつけて専門性ばかりが前に押し出される傾向にありますが、社会における自己に関してはなるべく抽象的な定義づけをしておいて、全体像を把握する方が好ましいと思っています。 キーワード重視の社会環境では、具体的な専門性や権威性を武器にする人たちの方が目立つという意味ではやりやすいため、そうしたものに目を奪われがちです。 しかしながら、専門性を高めると盲点が発生しやすく、また想像通り応用が利きにくいというような感じになるので、ふとした環境変化の際に右往左往してしまうということも起こります
豊かさの感覚
ほんのちょっとのことですが、ぶわぁーっと豊かさの感覚を感じる時があります。 当たり前であると思っているような当たり前のことに感謝をするというようなこともそれにあたりますが、些細な事に気づくということもまた醍醐味があります。 ― 先日、親戚の子が京都に遊びに来た時のことです。 帰りの時間の関係で、次の観光地までそろそろ移動しようかと思った時、「ちょっと寄り道」プランがあったのですが、周りの大人に急かされ、断念しそうになりました。 しかしながら、心残りというか残念な気持ちが残る諦めはいただけません。諦め癖がついてしまっ
豊かさとケチ臭さ
豊かさとケチ臭さについて触れていきましょう。 アフォリズム 108.「大掛かりな施し」にて触れていた、以下のものについてもう少し触れる形で進めていきます。 新約聖書において、「財産を処分して貧しい者に施せ」と言われ、躊躇った者は、「一度失うと、再びは手に入らない」という暗示を自分に与えている。 ― 結構前のことですが、当時某スポーツ選手として活躍していた同級生Aさんのブログに、別の同級生Bさんと記念撮影した写真が掲載されていました(両名とも僕の同級生です)。どうやら道でばったり会ったようでした。 (僕は特にスポーツ
あの手この手で支配しようとしてくる体育会系天才詐欺師
勤め人の頃に、あの手この手で支配しようと躍起になっていた体育会系の先輩のような人がいました。 社内では天才詐欺師として有名であり、胸板を強調し、胡散臭い縁の太い眼鏡をしていました。野球部上がりです。野球部出身者に対しては、予選に出場したのは何回目の甲子園だったかというような質問から上下関係を作ろうとしているような人でした。 しかし残念ながら僕のような人間を支配しようと思っても、僕に遊ばれるだけです。 「暖簾に腕押し」ということがいかに面白いかということを思い返して、時折思い出し笑いとして爆笑しています。 何とか上下
祝八周年&第2022回投稿記念
本ブログも八周年を迎えることになりました。そして、なんだかんだ本投稿で2022となり、西暦2022年に追いつきました。 祝七周年の時は1942記事だったのでこの一年で80の投稿をしたことになります。 やはり投稿をするにはある程度まとまった時間が必要になり、そうしたまとまった時間が取りにくいということが投稿数の少なさに影響しているような感じになっています。 さて、常連さんいつもご高覧ありがとうございます。コメントを寄せていただいた方やcontactからご連絡を頂いた方、また、ひっそりと読んでいただいている方々、いつも
俯いて立ち上がるような感覚
両親を筆頭に、様々な人から教えてこられた物事に対して、それと違う方向に向かい始めようとする時、多かれ少なかれ抵抗感が生まれたりします。 裏切りとまではいかないにしても、相手の生き方、相手と過ごした思い出を切り離すような、そんな感覚が起こってしまいます。 しかしながらそれでも、立ち上がる必要があります。 ちょっと俯いて立ち上がるような感覚です。 精神についても対人コミュニケーションについても、仕事やお金に対する考え方についても、幾度となくそのような「ちょっと俯いて立ち上がるような感覚」を経験しました。 世の中では、当
人生で一番良かった時期
若者をつかまえては「人生で一番良かった時期はいつですか?」というような質問を投げかけ、何かしら回答をしようものなら「過去を振り返ってはいけない。『今』と言わなければならない」というようなことを繰り返している体育会系の人がいました。 その脇で一連のやり取りを数回見たことがあるのですが、毎度毎度、「別に『人生で一番良かった時期』というものは、それぞれの時期でそれぞれの良さがあるのではないか?」と思ったりしました(というより質問自体が根本的に過去形ですけど…というのは置いておきましょう)。 とりあえず今が最高だと言わねば
頷けるような明るいイメージ
今がどんな状況であれ「常に爆笑し、誇りや自信に満ち溢れ、爽快に過ごしている」というような自分自身が頷けるような明るいイメージを持つことで、物事の見え方が変化します。 未来に合わせるように、見えるものが変化し、現在が変化していきます。そうなると結果的に過去の記憶すら解釈が変化していきます。 ただ、普通に過ごしていると「そうなるためには…」と思いを馳せる時に起こりうる負担、負荷に対する辟易がやってきてしまいます。 しかしながら、先の自分がそのような明るい状態でありたいと思うこと自体は正しさを帯びています。 視点を少し遠
トリックスターによる混沌の生成
トリックスターによって混沌が生成され、その混沌から新しい秩序が生まれる、というようなことがあります。そうなると、最初は厄介者扱いだったトリックスターは、新しい世界をもたらす鍵として評価されます。 いたずらというものは、その秩序の体系の穴をつくようなものであり、ある空間、空間の論理の不完全性を示すようなものになります。そして、その不完全性を示し、空間を壊し、再構築させるというようなことにつながっていきます。 社会的に考えれば、義務教育の成れの果てのような、鬱屈したギムキョ空間に対する矯正のような機能があります。 そう
熱意に対する比例と反比例
熱意というものは基本的に伝わります。同調によって相手を感化するというような感じです。しかし、一方で熱意に対して反比例するかのように冷めてしまうことがあります。 相手を状況を無視したような熱意は、時に相手を飲み込むように感化するものともなれば、一方で、強烈な抵抗が起こって冷められてしまうという場合もあります。 その理由はいくつかありますが、ひとつは相手の状況を無視したとしても熱意を伝えることのできる状況を作れていたかどうかというようなもの、そしてあまりに自己都合が強すぎたのではないか、というようなもの、さらに「弱さか
「見えざる手」を観る
見えざる手によって「ちょうどいい感じ」になっていく、というような法則性があります。ただ、プロセスとして一時的にその流れを阻害するものあります。 だいたいの物事は「やりすぎ」に陥って「制限」がかかり、その壁が圧に負けて決壊するように崩壊し、分解して適切に馴染んでいくというような流れになっています。 何かしらの市場の広がりや社会変化が一気に広がり、ある地点で制限がかかってくるようになります。そして次は制限の方が「やりすぎ」ということになり、その空間は決壊します。 という流れなので、波に乗って慢心したり、逆に抗ったりする
油断させるために弱く見せる
武道の極意として「相手と友だちになること」そして「油断させるために弱く見せること」といったようなものがあります。 根本的に強いということも必要になりますが、それでも理想は「自分を倒しに来た相手と友だちになること」であり、基本姿勢としては「相手に準備させないがために油断させ、油断させるために弱く見せておく」というようなことになります。 そのうち「油断させるために弱く見せる」ということについて少しばかり触れておきましょう。 油断させておくと相手は準備を怠る 下手に強く見せてしまうと、相手はそれ相応の準備をして戦いにやっ
個々で判断することの正しさ
海外数ヶ国に冒険に出かけて本当に良かったと今でも思っています。やはりたくさんの収穫がありました。 その収穫の中の最たるもののひとつは、様々な事を臆することなく実行できるようになったことです。 そしてもう一つの最たるものは、世界中どこの国にも良い人と悪い人がいて「国籍」は関係がないということを実感したこと、そして、市民レベル、個人レベルではたいてい友だちになれるということを実感したということです。 育った環境は異なれど「男子たるもの同じようなトンチンカン思考をしてしまう時期を経て大人になったのだなぁ」というようなこと
受け取る「器」と「余白」
自分自身の深い部分で「対象を受け取る器」が無いとそれは現実にはやって来ません。これは当然といえば当然のことであり、何も不思議なことではありません。 そしてあまり語られませんが、器に余白がないと、一時的に壊れることもあります。ただこれに関しては、器というよりもエネルギーや気力の余裕といった方が印象としては近いかもしれません。 現実に即したような形でも「受け取る『器』」を捉えることもできますが、説明不可能な感じで何かを受け取ることもあります。 僕にとってのその象徴は養子のうさぎでした(Kさんちのうさちゃんと我が養子)。
そなえよつねに
この「そなえよつねに」という言葉はボーイスカウトでしきりに出てくる言葉であり、原語は”Be Prepared” であるようですが、基本的な意味は普通に「備えよ常に」というような感じになります。 一応多少の多義性があり様々な解釈ができるものの、「備えよ常に」ということで、「こんなはずじゃなかった」とか「こんなことになるのなら」という前に、という点について触れていきましょう。 だいたい「こんなはずじゃなかった」と言った感じになってしまう場合、リスクを見て見ぬ振りをしていたか、そもそも見えていなか
逃避としての変人意識と芸術
世の中には変人と呼ばれる人たちがいます。本当の変人は自分のことを普通であると思い、本当の変人ではない人は、自分のことを変人であると思っている、というようなことがよく言われたりします。 僕もどちらかと言うと変人の部類に入ると思いますが、自分の考えが普通であると思っている部分もありつつ「世間とのギャップがある場合もある」ということも思っているので、何とも言えません。 変人といえばこだわりが強いという面がありながら、そのこだわりが「理解不能」という感じになっています。それは理屈として理解不能なのか、それとも「そこまでのこ
お客の親への喝
そういえば随分前、お客の親に怒鳴ってしまったことがあります。お客の親が出てくるような業種ではないのですが、相手から来たので仕方なくという感じです。 某団体において経営相談員のようなことをしていた時のことです。そこに直接連絡が来たというわけではなく、その情報を元に個人事業の経営相談的なコンサルティングをお願いしたいというような依頼がやってきました。 別にそれは構わないので、喫茶店にてパソコンを持ち込んで数時間お話しました。 相手のお客は20代男性、発達障害を持つ人でした(これは後で知ることになります)。 何だか少し違
祓としての「変な意識の力」
変な意識の力と「諦め」などで触れていますが、僕には変な意識の力が働く時があります。 胡散臭い自称霊能力者やスピリチュアリストたちが欲しくてたまらないような力ではありますが、僕はそうした類の者ではありませんのであしからず。 (力については「同調によって情報状態の変化をもたらすという程度」という説明をしておきましょう) 主観的な空間の把握としての認知が揺れるのか、すれ違うだけでコケるおじさんやおじいさんがたまにいて、あまり出歩かないものの月に一度くらいはそんなことがあります(昨日もそんな事がありました)。コケるという現
新年 2022
みなさまあけましておめでとうございます。 2022年になりました。 元日の本日は、日が変わってすぐにぜんざいで餅を2つ、起きてからは白味噌の雑煮で餅を7つ食べました。 年明け前後は、先日から空き時間にちらほら読んでいた「The Yearling(邦題は、子鹿物語、仔鹿物語、鹿と少年など)」を読みつつ、年明けにクライマックスとなり、感慨深い気持ちで眠りにつきました。 年明けからは、先月の誕生日にもらった志村けん氏のDVDを観ながら過ごしています。 寅年ということで… さて、今年は寅年ということなので、早速アオイちゃん