日々の順張りと逆張りの判断

投資手法には、相場が下がっているときに売る、上がっているときに買うというような順張りと、その逆に相場とは逆の動きを選択する逆張りというものがあります。

まあ順張りは普通で、長いものには巻かれる系であり、逆張りは、天の邪鬼的でありながら、裏をかいて突き抜ける系のイメージです。

そうした順張りと逆張りのどちらか一方の正しさを把握して、どちらかばかりを採用するという感じを目指してしまいがちですが、何事も少し高い地点から俯瞰するように見ると、順張りと逆張りの判断の精度が高まっていきます。

といってもこれは投資のことばかりではありません。日常の様々な対象についても順張りと逆張りの判断というものがついて回りますし、その判断によって選択した手法がかなり有効的だったりすることがあります。

まあこうした判断の簡単なポイントは、その場の切り取り的な短期視点ではなくある程度期間を経たあとの状況を想定したり、物事の根本構造の方に着目して判断したりするというような点になります。

例として、何とかイーツの配達が稼げるとか、動画の広告収入がというようなことについて、それを選ぶのが順張り、同じような業種でも旧世代的と取り扱われそうなそれ以外の方法が逆張りと言う感じで捉えてみた場合がわかりやすいかもしれません。

世間が注目する瞬間というのは、その場の切り取りとしての短期的視点という感じになっています。

そのタイミングでは確かにそれが成り立ったとしても、収益の根本となる方の需要の伸びと供給側、つまり、そうしたモノを利用して稼ぎたい側の人の伸びがどのように推移するかを想定すればよいのです。

すると、サービス利用の方もある程度は伸びるかもしれませんが、その収益構造に飛びつく人が増えていった場合、市場全体の売上に対して、それを受け取る人たちの数が増えていった分、単純に頭数で割っていくことになります。

もちろんそれは均等ではないので、単に稼げる人と稼げない人に分かれていくという感じになります。そう考えると、後手に回った人や甘い考えで飛びついていった人は稼げない側になっていくという感じになりやすいというのは想像に容易いはずです。

逆に、古典派が新古典派になるかのごとく、旧来からの方法を新しい視点で再構築したようなものが登場した場合、一種のブルーオーシャンになる可能性があります。

よって、そうして騒ぎ立てられるものを捉える時は、逆張りの方がリスクとリターンの構造で考えれば理に適っているという判断の方に寄ります。

ただ「短期的に荒稼ぎして去る」という前提で順張りの選択をするということも1つの方法ではあります。これはニュース等に反応して動く相場を見極めて、掠め取るような短期トレードに似ています。

何かの飲み物が流行っているとして、それが2年程度で終わるということを予測して2年限定で店舗を運営するというようなこともそれに似ています。しかしもちろん長期的な安定経営は難しいですし、周りを見ながら後手に回ると商機を失います。

順張りは「流れに乗っている方」なので、基本的に一種の安心をもたらしますが、裏側にたくさんのリスクがあります。順張りを選択したまま勝つこともありますが、それには先行者利益のような要素も多く、実社会では勝者と敗者を生むというような性質を持っていたりします。

さて、逆張りというと「みんながやっているから」の逆を行くようなものですが、単純に逆を選べば良いというようなものではありません。逆張りの方が良いかどうかの判断には、少し抽象化した上で根本構造を捉えるというのがよく効きます。

例えとしてよく用いますが、インスタントメッセージによるコミュニケーションが主流であるとしても、根本は人間態人間の意志の伝達なので、直筆の手紙や直接訪問等々そうした領域以外でより臨場感の高いコミュニケーション方法を選択するというのがその代表例となるでしょう。

これは「今どき誰もそんなことはしない」というものほど希少価値が高く、「良好な関係の形成」を根本の目的とするならば効果が高いということになります。

そこで「今の主流だから」と順張りの方を選んでしまうと、短文コミュニケーションによる効果的な言い回しやタイミングなどの方にばかり着目してしまい、物理的要素が強くより高い臨場感で接している人に負けてしまうということが起こりかねません。

逆張り的な成功事例で有名なものは十勝バスのV字回復です(最近ではどうなのか知りませんが、コンサルタント的な人達がたいてい言及していたりします)。

不便で需要がないというところから合理的選択をするならば、「もっとコスト削減を」ということになりそうなものですが、逆張りで回復したわかりやすい例です。近年の機械的データ収集に依存し、順張りの姿勢でいたのならば沈没していたのかもしれません。

というような構造があるので、収益モデルを構築するときに時流というものを含める場合、時流的に「飢えが生じているもの」や「数値的データには出ない本音」を捉えて、主流ではないものを選択するというのもひとつの良い選択となります。

わずかばかりのポイントや割引に釣られて、合理的選択かのように誘導されていくような様は、「順張りで負けてしまう感覚」に近いものを感じます。

というようなことは、極端にお金が無いか、極端にお金があるかというような状況でないとあまり気にしないのかもしれません。

「安く買える」ということに何かしらの判断をしたりする前に、そうした検討自体が根本的に必要化か否かをスルーしてしまっているということに気づいていくしかありません。

そういえば以前知人が、自動販売機に時計をかざして得意げに決済していました。

しかしながら、本質的な根本構造は

「お金を払っただけじゃないか」

ということになります。

それ以上でも以下でもないのです。

Category:company management & business 会社経営と商い

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