世の中には微妙に高額に思えるサービスがたくさんあります。
その中の一部は「単にぼったくりなだけ」という感じですが、料理における、「完成物の容量は安価なものと同じくらいでも、仕込みの手間が膨大」というような感じで、かかる手間の分だけ高額になっているものもたくさんあります。
そういえば、芸大で教鞭を取っている友人から次のようなことを聞かれたことがあります。
「今後イラストレーション等々で食べていきたい学生から『ロゴ作成』なんかの世間の値段の幅について聞かれることがあるんだが、どう説明するのがいいだろう?」
まあいわば、安価なものと高額なものの値段の差がわからないという感じになるのでしょう。
価格の根拠は一体何なのか?
そして、高額なものについてのその価格の根拠は一体何なのか、というような点なんかが質問の中心となる部分ではないかと思います。
まあその根拠としては、もちろん想像にたやすいネームバリューのようなものがあります。が、彼らとしての質問の意図は、どちらかというと、高額な値段を提示する時の心理的不安の方が大きいのではないかと思います。
すなわち、高額な値段を提示する際の「本当にいいのかな?」的な一種の罪悪感のようなものをどう取り扱うか、という点です。
職業に関して、こうした部分に関する意識的な信念は、本当にそれで食べていけるかどうかを分岐させるものでもあります。
なので、次のように答えておきました。
「費用の大半、それも8割以上は、相手のふらつく意志決定への付き合い代と、一種のコンサルティング代やで」
すると友人は、「よくわかるわ」と答え、妙に納得していました。
彼は、そうした事業をしているわけではありませんが、もちろん彼の友人たちや教え子さん、そして先輩等々その分野出身の人達には、ロゴ作成などで食べている人たち、食べていこうとしている人たちがたくさんいます。もちろん僕よりもその分野でたくさんの顔見知りがいます。
なので合点がいったという感じのようでした。
一発で決まるのであれば低額でもいいよ、というようなものでも、「やっぱりダメ」とか、「友だちに聞いたら不評だった」とかそうした形で振り回されるのに付き合う費用、そして、そうして意識がふらつく人たちに対して、意志決定の素材を与えたりする費用、という感じで労力を換算すれば、高額でも致し方ない、という感じになります。
ボツ案を他で平気で使う人
また、世の中には、例えば広告物に関して、ボツを出しておいて、そのボツ案を他で平気で使うような人もいます。
すなわち、不採用としておいて、その案を「参考」として受け取り、別のところで使うというような人です。つまり「一つ分の代金で二つのものを作らせる」というようなことになります。
さらに言うと、既製品の中から選択するという場合であれば、相談は無料でもいいですが、オリジナルを作成するというものであるのに、相談が無料という発想は少し違うのではないかと思います。
知恵を絞って案を出したのに
もっと酷いケースでは、「もっと安く上がる方法を」と迫られ、知恵を絞らねばならないという場合があるようです。
そこで考えてみたいのが、「知恵を絞って案を出したのに、もらえる金額は減る」という構造です。
そんなことをしていては、いいように使われるだけです。
「相談、提案は無料」というのは、ほとんど既製品を売るというような、「決まれば渡して終わり」というようなものでないと割が合いません。
ということなので、「勉強中はお金を払ってやっていたようなこと」を実際の仕事にするという段になった時、変な罪悪感を持つ必要はないということになります。
意志決定のふらつきに対応する
その実際の構造上、「意志決定のふらつきに対応する代」が発生するのは仕方がないことなので、それを志す学生さんたちなどには自信と誇りを持って欲しいと思います。せめて自信と誇りを意図するという状態は保持して欲しいと思います。
基本的な解決策としては、基本的な相談料の概念を持ちつつ、校正回数についてしっかりと決めておくことです。
しかしながら、もちろん自分に意志決定のふらつきがあってはいけません。なので、そうした意志決定の部分で職業上の自信が持てるようになるまでは、修行だと思っていろいろとやって見る必要があるのかもしれません。
ということで、ともすれば技能で食べる人は、その技能以外のことを苦手なこととして、見ないようにしてしまいがちですが、独り立ちしようと思う場合は、意志決定の自信に加え、そうした契約の概念や「選んで捨てるほどの見込み客を獲得するマーケティング」についても学習するか、誰か得意な人に任せるということが必要になるでしょう。
まともなことをしていれば、自分という全人格に誇りを持てなくても、最低限職能、技能については自信が出てくるはずです。
輩を蹴散らせ
これは僕の話ですが、先日次のようなやり取りがありました。
たまたま僕が会社の電話口に出て対応した時のことです。
「前、付き合いがあった会社も、そんな簡単なことで、結構な金額言ってきよったから参ったわ」
といって、ハナから値踏みしてくるような形で話を振ってきました。
ということで、次のように応えておきました。
「簡単なことだと思われるなら、ご自身で対処なさったらどうですか?」
全職業人がそうあるべきであると思っています。
笑う月(一覧)
「すこし重すぎる」で触れていましたが、「簡単なことだと思うので」系のこと平気で言う輩には容赦をしないのが理想的です。
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