ゴールデンウィークのある日、起きた途端に頭の中で「走れマキバオー」が流れ始めました。
するとその日は一日「んあ?」という感じになります。
走れマキバオーを観ているだけで、マキバオーやカスケードはもちろん、「あ、モーリアロー」とか「サトミアマゾン!」「アマゴワクチン!」「んー・・・ニトロニクス!」「ベアナックルやん」という感じになり、やはり登場馬の名前を忘れていない自分がいました。
なんだかんだで僕たちが小学生の頃はダビスタとみどりのマキバオーの影響によって、小学生ですら競走馬の血統を語れるくらいの時代でありました。
京都であれば、小学生が「菊花賞に連れて行って欲しい」と言うような時代です。
実家には「みどりのマキバオー」が全巻ありますが、帰って掘り起こすのも面倒だったので「これは買いに行くしか無いだろう」と思い、早速古本屋に向かいました。
古本屋に…無い…
走れマキバオーを観てから、すぐに古本屋に行ったのですが、全く見当たらず、店員さんに「マキバオーありますか?」と聞くと、
「もしかして『みどり』の方ですか?『たいよう』の方ならあるんですが…」
という感じになりました。
もちろん僕が求めているのは「みどりのマキバオー」です。
「古いですからね…」
と言われたので
「入ってこないんですか?」
と聞くと
「たまに6巻だけとかそんな感じです」
という感じでした。
ひとまず礼を言って、別の古本屋に向かいました。
―
店内をぐるぐる回りましたが、みどりのマキバオーもたいようのマキバオーもありません。
すぐに読みたかったので古本屋に向かったのですが、2軒回って収穫ゼロだったので、インターネットの力を借りることにしました。
「みどりのマキバオーが読みたい!」と過ごしていると…
みどりのマキバオーを調達しましたが、やはりネット上の購入なのでタイムラグがあります。
「あーマキバオーが読みたい」と100回位つぶやいた頃、
「こんなんもらったけど使う?」
と何故かターフィーというキャラがやってきました。
別に周りの人たちに「あーマキバオーが読みたい」と言ったわけではないのですが、何の脈略もなく間接的に回りに回って僕のところにターフィーのハンドタオルがやってきました。
「んー…ちょっと違う…」
馬キャラ、そして競走馬をモチーフにしたキャラという共通点はありますが、マキバオーではありません。
…
マキバオーがやってきた
しばらくして、念願のみどりのマキバオーがやってきました。
マキバオーと言うと、僕たち世代の間では「鼻から下だけだとタモリ氏に見える」ということで有名だったりします。
読んで早速泣いてしまいましたが、今読んでみると、みどりのマキバオーの洗練度はすごいなぁということを感じました。
真っ当にいくと感動話として「クサい演出」になりそうなところを登場キャラたちの雰囲気が功を奏し、クサくなりかけるという部分をうまく消していたりするからです。
これが「洗練というものなのだなぁ」ということを感じました。
そういうわけで、一日で読み終わってしまいました。
感動シーンにおける反応
ゴールデンウィーク中ということで深夜12時から朝まで、そして軽く寝て、昼から夕方というスケジュールで読んでいました。
前半については普通に涙が出ました。やはりミドリコ思いのマキバオーはいいですね。
その後、一度寝た後の昼頃、見せ場である「有馬記念の山本菅助ガッツポーズシーン」で、感動がクライマックスに到達し、ダーッと流れ落ちました。
が、流れ出たのは脇汗でした。
大量の涙が出るものと予測していましたが、感動と興奮の種類によっては、流れ落ちるのは脇汗なのだということを知りました。
軽い日光浴ついでということもあり、上半身裸のまま読んでいたことも関係していますが、感動のシーンの瞬間から、二の腕を伝い肘の先からポタポタと床に落ちるほどの脇汗です。
―
その後一瞬ダビスタをやりたくなりましたが、代わりに事業のことや周りの人たちの事業のブラッシュアップなんかをすることにしました。
脇汗ともどもよい刺激になりました。
「みどりのマキバオー」を再読した後のこと
結局その後、「みどりのマキバオー」だけでは飽き足らず、「たいようのマキバオー」も購入して読むことになりました。とりあえずは、馬に乗りたいということで、乗馬(外乗)をしたりしつつ、まだ触れたことのない地方競馬に少し興味が出てきて、最終的には笠松競馬場に向かってしまいました。
現地で犬山イヌコ氏の声が聞こえ、何事かと思えば、スクリーンにマキバオーが映し出されていました。地方競馬への関心は、たいようのマキバオーによってもたらされた、というよりも、みどりのマキバオーにおいて、たれ蔵の次に好きなサトミアマゾンの影響という感じです。
次々に集まるマキバオーグッズ
そのような感じでマキバオーに影響されているとたくさんのマキバオーグッズをもらったりすることになりました。
このマキバオー目覚ましの最高なところは、目覚まし音声にあります。ミドリマキバオーことうんこたれ蔵の声のみならず、チュウ兵衛親分の声まで入っています。
「おしゃべりモード」にして、音声を出すことができます。
マキバオーのお守りや…
マキバオーの妹マキバコのガールズケイリンタオルまで。
菊花賞におけるサトミアマゾン
その後、ふとみどりのマキバオーの菊花賞を思い返しました。
菊花賞においてサトミアマゾンはメンコとブリンカーを外して素顔で登場します。
作品中にもあるように「決意」の表れという感じで軽く思っていましたが、実際に地方競馬に行って数ヶ月くらいしてから気づいたことがあります。
もちろん決意や意気込みということには変わりがないのですが、他のいくつかのことをそれとなく示しているという部分が見えたような気がしたという感じです。
まずメンコとブリンカーは、周りに敏感な馬につけるというイメージがあります。音に敏感だったり、馬は視界が広いということで、周りの馬を気にするのを防いだりするという感じです。ただ、中央のダート戦やダート競争である地方競馬においてはダートの砂埃、土埃を嫌う馬につけるというようなことを笠松のメンコ、ブリンカー率でよくわかった気がしました。
ということで、菊花賞におけるサトミアマゾンが取る戦法は「ヒットマン・マーク屋ではない走り」であるということが解説で示されてはいるものの、さらに次のようなことが示されているような気がしました。
芝のレースではありますが、素顔のサトミアマゾンは「周りに敏感で臆病なわけではない」ということを示しつつ、「前の馬の土埃を浴びない」という意味で、「逃げ」を示唆し、かつ、「自分の前には誰も走らせない」という意気込みを含んでいるというような気がしたという感じです。
勝手な推測なので本当のところはどうかわかりませんが、初めて「みどりのマキバオー」を読んでから四半世紀程度経ち、実際の地方競馬を観て数ヶ月後にふとそんなことを思ったりもしました。
最終更新日: