先日、シェイクスピアの「マクベス」を読んでいたら、ふとLIVE A LIVE(ライブ・ア・ライブ)の中世編を思い出しました。
マクベスはハムレット、オセロー、リア王と並ぶシェイクスピア四大悲劇のうちの一つですが、それに触発されてか、しばらくの間「人生で最も最初に明確に印象付いた悲劇」である「LIVE A LIVE 中世編」のイメージが頭から離れませんでした。
LIVE A LIVEは、1994年頃のゲームなので僕はまだ小学生でした。
「えー…ストーリーの終わり方でこんな終わり方もあるのかぁ」と幼心にショックでした。
悲劇はだいたい非業の最期という形で主人公が死ぬことで、苦しみから解放されるというような作りのものが多いですが、LIVE A LIVE 中世編の結末では主人公「オルステッド」が死んで終わりというわけではなく、希望という希望が八方塞がりになって魔王になってしまうという感じです。なお、「マクベス」は一種の希望を持ちながら最後らへんで「ベニスの商人のようなとんち」の上であっさり死にます。
ただ今思うと、オルステッドが絶望の果てに魔に徹するという構造もどこかしら期待が潜んでいるというような感じがします。そこに希望があるような感じがしてさらに深さを感じたくらいです。
そういうわけで、まだどこかしら希望のようなものがあるからこそ存在しているというような印象を受けます(まあだから最終編があるという感じなのでしょう)。
個人的にLIVE A LIVEの中世編と最終編を合わせたオルステッドの悲劇は、その抽象性を含めたストーリーの面白さから考えるとシェイクスピアを凌ぐ作品だと思っています。
小学生の僕には刺激が強すぎた感がありましたが、単なる刺激の強さではない深い味わいがあったからこそ、今なお深く印象付いているのでしょう。
ただ、一行の深さで言えばマクベスは強烈でした。
あまりページ数がないにもかかわらず全然進みません。その理由としては、貴族向けの演劇のためにシーンが省略削除されたりしていて、削除された部分を次のセリフで推測しなければならないという感じだからということのようです。通常の演劇より時間が限定されている宮中観劇用台本だからではないかという感じのようです。
戦闘シーンがあっけなく終わるという点においては、ゲームやアニメとは対照的だなぁと思いました。
おそらくまたマクベスを読む機会があればLIVE A LIVEのことを、LIVE A LIVEをやる機会があればマクベスのことを思い出すでしょう。
LIVE A LIVEを再度プレイ
結局またLIVE A LIVE(ライブ・ア・ライブ)を最初から最後までプレイしました。マクベスによって中世編を思い出しておきながら、やはり夢中になったのは近未来編でした。
「心を読むことができる主人公」というのがいいですね。小学生の時はこの主人公に憧れたりしました。
近未来編のタロイモ
とにかく近未来編のタロイモがかわいい。
やはりRPGとしてはトップクラスの面白さで一気にやり終えてしまいました。
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