江戸から京都までを繋ぐ中山道(なかせんどう)。
だいたいいつもそのルートに沿って岐阜・長野・群馬方面へ向かいますが、岐阜県の中津川市から長野県塩尻市までの間の山間にある木曽路(きそじ)にもたくさんの宿場町があります。
木曽路(国道19号)は、地図上ではほぼ直線的に見えるのですぐに終わるだろうと思いつつ、100キロくらいあるためなかなか終わらず、その上「強烈な眠気スポット」のため、僕は「魔の木曽路」と呼んでいます。
強烈な眠気が襲ってくる度に「木曽路の攻撃!」とつぶやきつつ、ほっぺたを叩いて「オレの攻撃!」などと、つぶやいて何とか約100キロの道のりをやり過ごしています。
今回は、爆音でB’zを流したりして「いでよ召喚獣 ”Liar! Liar!”」「白魔法 エスカップ!」などとRPGの戦闘さながらの戦いを繰り広げていました。
そして、帰り道に至っても同様に戦いを繰り広げていたわけですが、あえて宿場町に寄りながら休息を取ることで魔の木曽路に打ち勝とうとしたわけです。途中でいつもの道の駅に寄ったり、食事をしたり、宿場町をふらついたりと言った感じで計6回休みました。
この時、木曽路名物「すんき」を食べてみました。すんきは、赤カブの葉を乳酸菌発酵させた漬け物です(塩は使わないようです)。京都人ゆえ京都人が大好きな「すぐき」には勝てませんが、まあまあいい感じの味でした。
さて、余裕を持って走ろうと思うとそれくらいにまで断続的に走らねばならないほどの戦闘力を木曽路は持っています。
さて「僕vs木曽路」だけでは何なので、長野県塩尻市にある奈良井宿(ならいじゅく)と岐阜県中津川市にある馬籠宿(まごめじゅく)の写真を載せておきます。
なお、馬籠宿はかつて長野県木曽郡山口村でしたが、2005年に岐阜県中津川市に越県合併されました。
奈良井宿
木曽路には、北から贄川宿 、奈良井宿、藪原宿、宮ノ越宿、福島宿、上松宿 、須原宿、野尻宿、三留野宿、妻籠宿、馬籠宿と言った感じで11宿があるようですが、奈良井宿はその中で北から2番目の場所にある宿場町です。なお中山道34番目の宿場になります。
奈良井宿は国道19号から逸れて少しだけ進んだところにあります(少し脇に入る程度です)。脇には奈良井川が流れており、上町・中町・下町の3つの街区に分かれています。
合間合間に水飲み場がありました。
なお、奈良井宿は宿場町としては日本最長のようです。
馬籠宿
木曽路11宿のうち最後の11番目最南端の位置にあるのが馬籠宿です。京都まで52里、江戸まで80里と表記されています。馬籠宿は奈良井宿と異なり、国道19号を逸れてしばらく走る必要があります。
奈良井宿と異なり馬籠宿は強烈な勾配。石畳の急勾配を進みます。
馬籠宿は、現在は岐阜県中津川市ですが、2005年までは長野県木曽郡山口村だったようです。
島崎藤村氏の生まれ故郷だということで、生家跡に藤村記念館がありました。
そのままさらに登ると見晴らしスポットに行くことができます。なんだかんだ馬籠宿は外国人率が高い感じでした。
車道を越えて進んだ先にある馬籠宿の展望スポット。
島崎藤村氏の歌碑がありました。
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