魂の呵責について

ある人が他人の身体に何らかの呵責を加えるなら、今日では誰でも大声で叫ぶ。そんなことができる人間に対する憤慨は直ちに起こる。 曙光 77 序

魂の呵責についてということで、人がすごく憤慨する瞬間は、自分では何となく不服に思いつつ一応守っている各種「制限」、つまり社会的なルールを逸脱している人を見たときだったりします。もちろん、それだけとは限りませんが。

経済的なルールは、収益を最大化するために緩和されることがありますが、それ以外のルールはだいたい厳しくなっていく一方です。

自分が不服に思っているルールがあったとして、それをわざわざ逸脱する必要もありませんが、「人に合わせすぎる」ということをやめていくとそうした憤慨はどんどんなくなっていきます。

常識的なルールとモテ

常識的なルールは、その大半が「モテ」から来ています。

「モテたいだろう?」

「モテから除外されるのは困るだろう?」

という脅しです。

女の意見は調べた結果と自分の都合」で触れていますが、役立つ情報、モテるための情報として語られていることも、単なる相手都合の脅しなのです。

それに応じたところで都合のいい人になるだけです。そんな都合に合わせるよりも、自分を大切にしましょう。

相手に合わせても何もしてくれないのがオチ

「痩せればモテる」というようなことを言っておきながら、頑張って痩せたからといって何もしてくれません。

「ちょっと、痩せなさいよ」と言いながら、こちらが痩せたからと言って股間を露わにしてくれるわけでもないのです。

「気前よく奢ってくれる人がいい」というのは単なる貪りです。それで一時的に多少は気が惹けたとしても、それで惚れ込んでくれるわけではないのです。でないとホストは成り立ちません。

ということで、モテないが正しいを悟ると、すぐに楽になれます。

「いい人だと思われよう」

とか

「しっかりものだと思われよう」

とか

「大人だと思われよう」

というようなものをどんどん捨てていくのです。

根本的な動機によって属性が変わる

ハゲ隠しのズラでも、根本的な動機によって属性が変わってきます。

「ハゲは恥ずかしい、モテない」と思ってかつらをかぶるのと

綾小路きみまろ氏のように

「頭をさらすとお客さんが頭に気が取られて、せっかくの『芸』そのものに集中してもらえなくなるのではないか?」

というものでは属性が違うはずです。

女性ばかりの職場などでは、なぜか「先輩の前ですっぴんは失礼にあたる」という謎のルールがあるそうです。

理由がいまいちよくわかりません。

夫婦でも外出時に奥さんがすっぴんだと怒るという人がいるそうです。

それもよくわかりません。

「全裸は困る」

というのならばわかるのですが。

魂の呵責について 曙光 77

Category:曙光(ニーチェ) / 第一書

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