これはおそらく孤独を愛する文化系特有なのですが、嫉妬でも羨望でもない特殊な感情があります。
嫉妬は、「自分もそのように評価されるべきなのに、まだ評価されていない」という時に起こり、羨望は同一のフィールドにありながらも「すごいなぁ。でもこれは自分では届かないや」というような感情です。
ただ、「こんなものを作れてすごいなぁ」「ここまでこんな表現をしてしまうなんて」と何となく悔しくなるような、でも、別物だから悔しいとはまた違う、そんな変な感情があります。
文化系の特徴はランキングが通用しないことです。
売れればすごいというわけでもなし、ただ、すごいものを作られると「いいなぁ」とある種羨みながらも「絶対追いついてやる」とはまた違った、ある種「自分には無理だ」とも思わないような、敬意にも似た感情を感じる時があリます。
茜色の夕日
そんな感情を如実に語るのにぴったりなのが、フジファブリックの「茜色の夕日」です。
茜色の夕日は、もう言葉による評論を超えています。
個人的にはギターソロだけでも感無量になります。
この曲を聴いて何も感じない人がいたら、そんな人とは友達になってはいけません。
以下項目は初期公開後に2017/10/17に追記したものです。
ステージを降りた日
フジファブリックの楽曲は、何故か人生の節目がよく似合います。赤黄色の金木犀もよく似合います。
ということで、この茜色の夕日は、僕がステージを降りた日を思い出してしまいます。
それは諦めと言えば諦めで、でも普通に考えられている諦めではないような「客観視」がそのきっかけでした。
そのきっかけたるものは、純粋に音楽が好きなことと、なぜ曲を作るのかということを真剣に考えた時に、「世の中に発信する」という要素は別にいらないと思ったからでした。
自分のためなら自分のため、彼女のためなら彼女のため、友達のためなら友達に歌えばそれでいいのではないか、という感じで思ってしまったのです。
そんなことを考えていた頃、ちょうどそのタイミングでバンドメンバーが脱退するということになりました。
そんな折、そんな思いとタイミングが重なって、違うことで表現していこうなんてなことを思いました。
メンバー脱退までの間、最後にラスト2回ライブを控えていました。
その日のことを体が思い出した
昨日(2017/10/16)、何故か当時のバンドのことを思い出して、ネット上に残存する微かなデータを再度洗い直しました。
なぜそんなことをしたのか自分でもよくわかりません。
そして5分程度閲覧して当時のことを思い出した瞬間、左手の指と左肩、右の人差し指に激痛が走り、1時間位痛みが治まりませんでした。
この体感は明らかに長時間ベースを弾いたときの感覚です。
その日の記憶とともに体感の記憶の方が強烈に蘇ってきたという形になります。
その痛みは延々と続き、今なお痛みが走っています。おそらくその時の感情を昇華しないと治まりません。
こんなところで何をやっているんだろう?
ラスト二回のうち、最初の方はそれなりに終わりました。
といっても当時はライブハウスからクラブへと人が移動しきっていました。既にバンドの数が激減しており、京都でも数多くのバンドが解散し、解散後に独りでやっているような人が数多くいました。
そんな感じで、出演者があまり集まらずという形になり、アコースティックの人と謎のポエマーのような人と迎えたラスト二回の前半戦でした。
「こんなところで何をやっているんだろう?」
正直そんな感想でした。東京などではもっと異なった感じだったのかもしれませんが、少なくとも京都ではそんな感じでした。
「どうして誰も教えてくれなかったのだろう?」
ライブハウスの人たちやバンド仲間にもそんなことを思うようになりました。
でも、別に彼らが悪いわけではありません。
会社経営などをやり始めた後、すぐにその時の謎が解けました。彼らも何もわからないままやっているような人たちだったのです。
本気でその人のことを考えるよりも目先の生活、それは世間と何ら変わりない普通の生き方です。
そう言えば当時サイバーエージェントの藤田晋さんの本で、藤田さんが大学生の時にアルバイトしたバーでの出来事がすごく印象的でした。
「オレは本物のバーテンダーになる、お前は何のためにやってるんだ?」
詳しいやり取りは忘れましたが、藤田さんは先輩バーテンダーにそんなことを言われ、営業のアルバイトを始めることになったそうです。
「どうしてそんな先輩バーテンダーのような人が一人もいなかったのだろう?」
茜色の夕日を聴くと何故かそんなことを思い浮かべてしまいます。
夢に出てくる茜色の夕日
そのような夢(睡眠中の方)を見たこともあります。
養子のうさぎが、いとこのうさぎ(架空)のライブに行き、最後のライブでそんなことを叫んで最後の曲を演奏するという感じです。そしてその曲は茜色の夕日でした。
で、ギターソロがだんだんとゆっくりになっていって、いとこのうさぎがそこでうずくまり、泣き出すというストーリーです。
そんな終わり方は無いよ
話を最後のステージに戻します。
そのラスト二回のライブの前、某大学の学園祭に呼ばれました。某ライブハウスの人が話を持ちかけてくれたのです。
日程が近かったので、詳しい話は当日という感じになり、午前の集合時間に現地に行くという感じになりました。
まさかそれが最後になるとはその時思ってもいませんでしたが、メンバー脱退の話の前だったので、ひとまずそのステージにも立つという感じでした。
そして当日僕たちは某大学に向かうのでした。
そして、この場所に呼び寄せた人の所に行きました。
「え?枠無いよ」
「え?」
そんな終わり方は無いよ。
こんな終わり方は、無しじゃないかな。
―
その時、ローカルのライブハウスに関わる人間にロクな人間はいないと確信しました。
確かにもう少しまともな人もいるでしょう。
でも、結局その日暮らし、バンドは金づる、酒を飲んで青春を引き摺っている人間しかいないように思えました。
そんな人達と関わっていた自分が情けなくなりました。
こうして適当に扱われ、食い物にされているのだと、そんなことを思いました。
「信用できる人と関わりたい」
心底そんなことを思いました。
―
僕たちは呆然とその場で立ち尽くしていました。
当のその人は、
「せっかく来たんだから楽しんでいってよ」
みたいなことを言いました。
ボコボコに殴ろうと思いました。
でも「もういいや」と思いました。
脱退予定だったメンバーが、
「帰るわ」
と言い出しました。
そして僕たちは、その場を後にしました。
当日、当時の彼女との何周年かの記念日でした。
でも彼女は、デートよりも僕の都合を優先してくれました。といっても、もちろんその場にも居合わせました。
二人きりでデートはできないけど、多分最後になるステージを見届けてくれ、そんな思いでその場に向かったのです。
だから申し訳なくて、悔しくて、でもそいつを殴って彼女との記念日を最悪の日にもしたくない、そんな変な一日でした。
それから僕は、社会においても確実に信頼できるものとしか関わりたくないと思うようになりました。
音楽を取り巻く全てを好きでいたかった、その望みは叶いませんでした。
でも音楽だけは残りました。やはりいつまでも音楽は好きです。
この好きな気持だけで十分なのです。余分なものは必要ありません。
あの時の嫌な経験がそれを教えてくれました。
そして今、体感の記憶が痛みとともに僕に教えています。
―
ブログ開設後、1000記事以上書いているにも関わらず、一度も書きませんでした。こんな強い感情も内に秘めていたのに、どこかで忘れていました。
あの日のやりきれない思いを書いた今、手の痛みは無くなってきています。
「忘れんじゃねぇぞ」
体がそう言っているようです。
「忘れたとは言わせねぇぞ」
体に説教されているようです。
―
ここまで書いた今、痛みは完全に近いほど無くなりました。
あの痛みはこんな思いを僕に届けるためにやってきたのです。
あの日の僕から今の僕へ。
おそらくもう二度と手が痛むことはないでしょう。
孤独な人たちの嫉妬 曙光 524
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