戦争

現代の大きな戦争は、歴史的な研究の成果である。 曙光 180

「戦争」

こんな思想主義的なテーマのタイトルになるとは、といった感じですが、特別企画なので仕方ありません。

今の現代で戦争といえば、さまざまな歴史的な研究の結果、いろいろな主義ができて、その主義同士のぶつかり合いとして、無駄に戦うということが繰り広げられています。

まあ言ってしまえば、戦争は悪か否か、というようなことすら主義ですので、戦争についての意見自体が戦ってしまうという落語的な結果になっています。

しかし戦争は、その属する社会、個人の集合体をもってひとつのまとまりとなりながら、何かしらの抗争相手をねじ伏せることを自分の心の安穏の条件としています。ということで、戦争自体に対しては善悪の基準をパスして否定しておきます。

主義との同化

同化対象となる主義には宗教的な主義から政治主義思想、愛国心、愛社精神なんかまでもが含まれたりします。同じ宗教であっても宗派が異なれば争いの種になりますし、愛国心も外国との戦いの種になるという感じになります。

ひどい場合は、野球等々何かのスポーツのチームのファンであることを理由に、ライバル関係にあるチームのファンの人と対立し、時に啀み合ったりすることもあります。まさに無駄な争いです。内輪で喊声をあげる程度にとどめておかねばなりません。

こうした主義との同化というのは、一種の奴隷精神であって、主義に同調し、支配される方が楽だとアイツが判断するということが根本的な原因になっています。

この歴史的な研究の成果というのはすごく面白いつなげ方だと思います。

例えば僕がイエス・キリストをとやかく言ったとしましょう(正確に言えばイエスそのものに対して言っているわけではありませんよ)。

それで怒る人がいれば、その怒りの原因を探ってみてください。

権威の裏付けは何?

「権威ある者としてお教えになったからである」

というような一文がありますね。

では、その権威の裏付けは何でしょうか?

誰かが権威を認めればそれに従う、という構造になっています。

権威を与えている対象自体、この場合は「父」なのでしょうが、その父自体の権威は、誰が証明しているのでしょうか?

それは「権威ある者としてお教えになったからである」という一文を何の抵抗もなしに受け入れる人、つまり読者です。

本当に受け入れているのならば

で、本当に受け入れているのならば、外界の人がどう思おうと事実は変わらないと思えるはずです。

それが真理だとか正しいことだとかなんとか言うのなら、「信じる」とか「信仰の実践」とかいうものは必要ではなくなるはずです。そうした無理な力みがなくとも事実なのだから、無理をする必要なく受け入れているはずです。

自分の中の情報空間の中でだけ、正しければそれで良いはずです。

でも、何故かそうした外部の人に対して怒るということをする人がいます。

そういう人たちが戦争を起こしている、といった感じです。

外界の状態を自分の心の安穏の条件にすればするほど苦しくなります。見解は見解で執著に値するようなものではない上に、その見解を他人が承認したり同化したりすることを欲するというのは何重にも苦しみが形成されやすくなります。

だから非常に遠回りなやり方です。まあアイツの仕業なのですが。

戦争 曙光 180


個人的に、昔から近代の歴史とか戦争モノを避ける傾向にあります。その理由としては、近代の歴史などの記述は、現在にも残っている組織と関係があるので、どれが本物でどれが嘘かがわからず、さらに何かを採用すると凝り固まった主義を持った人と喧嘩になるという属性を持っているからです。

何が真実か、というところが、今現在の利害にすら影響を与えるため、情報として恣意的なものが組み込まれいる可能性がありますし、真実を知ったところで何ができるわけでもない、何がどう変わるわけでもないという感じなので、あまり関心がありません。

ただ、個人体験としての記述には少しばかり関心があります。プリーモ・レーヴィ氏の「これが人間か」や水木しげる氏の「総員玉砕せよ!」もその一つです。

総員玉砕せよ!


破壊的カルトとしてのカルト宗教、政治カルトなどは、だいたい何かを盲信しています。まあ盲信しているからこそカルトと言えるのですが、原理主義過激派のように、テロなどを行うというわけでなくとも、社会において破壊的カルトは色々な問題を抱えています。

洗脳・マインドコントロールを行うようなカルト宗教の人が宗教勧誘にやってきたので、それを逆に脱洗脳・脱マインドコントロールする(といってもきっかけ作りです)ということをしてみました。

その時の様子については「洗脳カルト宗教の勧誘に来た人を逆に説法して脱洗脳を試みた」をご参照ください。

Category:曙光(ニーチェ) / 第三書

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