久しぶりに雑記にてフリースタイルで書こうと思います。というのも曙光を実家に置いてきたため、タイトルすらわからないという状況だからです。
個人的に既婚か未婚かは内緒ですが、またまた女性について書いていきます。僕がこの世で一番嫌いなものは女性です。女ぎらいで触れましたね。
今回は「女の意見は調べた結果と自分の都合」という感じで、ネット記事、とりわけ女性ライターの記事にありがちな自己都合全開の意見について書いていきます。
すべての女性が嫌いなわけでもなく、また、女性のすべてが嫌いなわけでもないのですが、女性ライターの記事の目線を筆頭に、「女の意見」というものは概して、自己都合のみで語られることが多く辟易しています。その上で、多数決的に数が多ければ相手を説得できるだろうというような風潮があり、さらに辟易しています。
森林原人氏
最近、森林原人さんの記事を読みました。
名前を見てピンとくる方はあまりいないと思いますが、森林原人氏は、しみけんさんなどと共に、個人的に「絶対勝てない境地の人」として、ある側面では尊敬している人の一人です。職業は男優さんです。
たまに○玉などのことについて触れていることがありますが、森林さん、しみけんさんは、僕よりももっと研究されている方たちです。
それで、森林さんの記事は男女の性について書かれているのですが、女性ライターとは格が違うと感じました。すごく素晴らしく映ったのです。
その原因を考えた時、彼の記事と女性が書く同様の記事の違いが見えてきました。
それは、タイトル通り、「女の意見は調べた結果と自分の都合」ということです。
役立つ=モテたいでしょ?
女性ライターの各記事は、女性にだけ都合の良い記事ですが、森林原人さんの記事は双方が嬉しい方向性の内容です。実体験と検証などに基づく意見の上に、知性と包容力を感じます。
どちらか一方の都合だけではない意見には非常に素晴らしさを感じます。もちろん女性だけでなく、男性ライターの記事も、時に自己都合だったり、単なるテクニック自慢だったりしますが、森林さんは、さすがはプロという感じで、これらの三流ライターとは出てくる言葉が違います。
役立つ記事といいながら、自分たちの都合の話ばかりするのが女性の記事です。そして、それらは自分たちの都合による妄想か、もしくは、検証されていないどこかのデータや他の記事を参考に、にわか知識で「考えた」だけの文章が多いでしょう。
簡単な公式があります。
役立つ=モテたいでしょ?⇒じゃあ私達の都合に合わせなさい
ということです。そして説得材料として都合のいいデータをもってくるだけです。残念ですがモテないほうが正しいですから、無視しても大丈夫です。
そしてパラドクスですが、相手に合わせると、相手は自分をナメてかかります。そうすると相対的に、自分のほうが上だと感じ、自分より下の存在を尊重するということはなくなるという構造が意識にはあります。
わざわざあまのじゃくになる必要はありませんが、変な記事を読んで、真に受ければ受けるほど、お金と労力を奪われ、あげく蔑まれる存在になります。女性のほうが支配欲が強いですからそれが普通です。息子への執着具合を見れば、その根本が支配欲であることはすぐに分かります。
ただでさえ僕は、人の意見は聞きません。その上女性の自分都合の意見などもっと聞きません。
すべてが間違いではありませんが、構成要素の1/3くらいを100%だと思って、すべてを知っているような語り草がほとんどです。
ただ単に調べた結果と妄想
おおむねセックスカウンセラーというようなタイプの人も女性の場合大半が、女性都合、そして、裏付けは誰かのデータにしか過ぎません。
それは処女のモテテク意見と同じです。処女がたくさん集まって男にモテる方法を語っている場合、ほとんど100%が間違いです。雑誌やドラマや漫画で集めたデータで妄想しているにしか過ぎません。
ネット上の記事を、自分の都合に合わせた目線でのみ収集し、それをまとめ上げた上で、処女の妄想で語っているような自己都合の物がほとんどです。
女医による意見なども、うつ病やパニック障害などを物理的な側面でしか語れない精神科医のようなもので、ではどうしてその物理的現象が起こるのかという意識的なメカニズムを語れるとは思えません。医学的な統計データを根拠としているだけで、やっていることは同じです。
つまりは、自分たちの都合に合わせるように要請するためだけに、それが常識であるかのように書いているものがほとんどだということです。
そして、それと同じように、世の「女の意見」など、たいていはそうした方向性で語られている自己都合の意見だということです。
「モテ」をちらつかせて、己の都合に誘導するような意見を真に受けるとロクな目にあいません。
そういう意味でもモテないほうが正しいのです。
どこかしらそうした自己都合の「女の意見」に論証不足を感じていても肯定しようという心の動きがあるのならば、それは「モテ」を意識した錯覚です。
女性から支持されよう、モテようという気持ちを一切排除すれば、いかに「女の意見」が自己都合であるかがより良く見えてくるでしょう。
この裏にある期待
「女の意見は調べた結果と自分の都合である」ということを言うからには、どこかに女性に対して期待があります。
その期待は何かと言うと、モテではありません。女性に支持されようとするのならば、彼女たちに合わせたようなことを書くでしょう。しかし、ネット上の記事を筆頭に、だいたい「女の意見は自己都合の意見である」ということは事実なのだから仕方ありません。
そして、モテを意識して事実を捻じ曲げることは、知への愛を裏切ることになります。体育会系要素全開の上下関係が大好きな、低レベルな学者の世界のような裏切りはしたくないのです。
さて、概ね小学校高学年や中学生くらいのころの女子は素敵です。もっと厳密に言えば小学校中学年くらいの時は純真でした。ほとんどの女性は小学生の時、人に媚を売ったり、人を騙したりすることすら考えない「しっかり者」でした。
それがアイツこと自我が発達するにつれて自分のことしか考えられないような人になっていきます。人のことも考えているようで、自分が恥をかきたくないとか、低俗な人に見られたくないとかそうした理由が奥にあるはずです。
鼻くそを食べている男の子に説教をするくらいがちょうどよかったはずですが、いつしか「モテをちらつかせることが自己都合に効く」ということに気付いてしまいました。
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どうせなら、モテをちらつかせない「猫村ねこ」のような感じにはなれないものでしょうか?
エロをちらつかせない「マザー・テレサ」のような感じにはなれないものでしょうか?
あの頃の「しっかり者の女子」が、そのまま大人になってくれたらよかったのにという「期待」とのギャップへの怒りがあります。
クンバハカの応用
ちなみに森林原人さん推奨のア○ル体操は、東郷平八郎氏が師事し、また講演に松下幸之助氏が受講していたことで有名な中村天風氏推奨のクンバハカの応用です。
このクンバハカは、肛門のオンリー締め(お尻全体ではない)と下丹田(ヘソのちょっと下)の力みと肩落とし(上がった肩をストーンと脱力)の三点セットです。本当にストレスを感じなくなるので試してみてください。
正確には下丹田に力を込めるというよりも「意識を向ける」という感じです。「臍下の一点」と表現される時は、下腹あたりの「力んでも力の入らない場所」を示しますからね。
個人的には怒りレベルが今の1万倍くらいあった時、1/5から1/3くらいにまで怒りが治まったりしました。悲しみにも、恐怖にも効きます。いわば感情が起こっても、それにとらわれないような身体的操作です。
いまではそんなことをしなくても、大丈夫です。それ以上の境地にいますから。
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