「諦めるな!明らめろ!」というような、言葉遊びをするつもりはありません。そういうちょっとした落語家のようなことして興味関心を惹こうというようなことがよくソーシャルネットワークで行われています。
今回は、気合と根性で突き進みつつ、どうもうまくいかない時の対処法について触れていきましょう。
世の中では様々な方法論が語られていますが、実務的なことは実務的なこととして参考にしてもいいですが、それよりももっと簡単で今すぐにできる実践的な事柄をお伝えします。
うまくいかない時の対処法
休んでください。
以上になります。
ウソのような話ですが、これが一番の対処法です。
最良の対処法は、何も対処せずに休むということです。
そこを気合と根性で突破しようとすると、おかしくなるか、うまくいくかはわかりませんが、確実に疲れます。
もう十分に疲れたのだから、しばらくは休んでください。
もし休もうと思っても休めない、休もうと思っても神経が高ぶるのなら、連絡手段など一切遮断して休んでください。対象を思い出すようなものが身の回りにあるのならすべて意識から離れるように、工夫してみてもいいかもしれません。
一番早いのは、携帯電話などを一切持たずに、近場でもいいので外泊することです。
なぜ休むということが軽視されているのか
世間、これは想像の範囲でも何でもなく、実際に身の回りにいる人たちのことです。いつも世間、世間と言いますが、妄想の「社会」という対象ではなく、実際に自分の周りの人達(親密度はさておいたとして顔を合わせる人)の大半を指しています。別に想像の「社会一般の人」を含めても含めなくても一緒です。
世間一般では、なぜか仕事や勉強は「本気を出せ」と言ったり思ったりする割には、休むことに対して「本気を出せ」とは言わないものです。
そんなことを言うような場面は病気や過労で倒れた時くらいです。しかし、その裏には、すぐに本業に復帰するために、というような意味合いも含まれていることがほとんどでしょう。
しかし、本気で休むためには「早く良くなろう」などと思ったりして踏ん張ってはいけない、という落とし穴があります。
つまり、「本業に復帰すらしない」くらいの心持ちでの休息が「本気で休む」ということです。
「そんなことは思えない」という抵抗
「休む」ということは「やめる」ということとは違うので、「本業に復帰すらしない」というレベルにまでは、普通の神経では思えません。
そんな時にポイントになるのが、「うまくいかなくて、何か問題があるのか」ということを究極的にまで考えてみるということです。
本格的な休みに入る前に、疲れた状態でする最後の「もうひと踏ん張り」です。それまでも十分に頑張れたのだから、これくらいの思考はできるでしょう。
うまくいかなかった場合の、実際の損害と、それに対する補償にどれくらいの労力がかかるのか、というところくらいまでは、だいたい考えるものですが、それをもっと押し進めてみましょう。
まずは本業をやめたところで、本当に困るのか、という点です。
お客さんに嫌われたとしても、他にもお客さんはいます。そして今のその当のお客さんも、元々は自分のお客さんではなかったはずです。それがお客さんになった。ということになっています。じゃあ振り出しからやり始めても、それで問題ありません。
休んだからといって、両手足がいきなり無くなるわけではありません。環境は少し変わっても、遠くに引っ越したくらいに思えばそれでいいでしょう。
体の疲れをなめてはいけない
精神論がよく説かれますが、巷のそれは体育会系の儒教思想です。
思想であって、本質ではありません。通じる世界と通じない世界があるということは絶対的な精神論ではないということです。
精神的に疲れている、と思い込んでいる人がいますが、精神的に疲れているわけではありません。
一つは肉体的、精神的、環境的な負荷によって体や神経や疲れていて修復が追いついていない、そして体からの疲れ信号に、また心が影響されてしまうということ。もう一つは、「思考パターン」が慢性的に体や神経にダメージを与えているということです。
根性で乗り切るとかではなく、その思考パターンを改良するか、思考を止めるというのならば精神論も良いかもしれません。
しかし、すでに体から精神に影響をあたえるくらいに体が弱っているのなら、体からの信号を減らしていかねば悪循環になります。まずは体を休めることです。
…
と、言いながら…
徹底的に休んだら、何もしなくても知らぬ間にうまくいっているかもしれませんよ!ふふふ。
諦めるな! 曙光 440
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