安価に生きる

最も安価で最も無邪気な生き方は、思索家の生き方である。なぜなら、単刀直入に言えば、彼は他の人々が軽視したり残したりする事物をこそ、最も多く必要とするからである―。 曙光 566 序

「安価に生きる」という感じを見ると、思索家は節制して生きるというような感じにも見えそうですが、楽しむという点で安価に生きるという点で捉えることもできます。思索のタネは日常の中にあり、人が消費して浮かれているところを冷静に見るというところなどから、思想家にはいくらでも楽しめるという特徴があります。

浪費家の行動の奥にあるものを冷静に観察しするというような楽しみ方です。

お金を貸す人借りる人で触れているとおり、浪費家は100円のものだからということで、安価なものを粗末に扱いますが、その裏で浪費に浪費を重ねています。

そういう人たちを冷静な目で観察することで、人の心理の奥が何となく見えてくるところに面白みがあります。

道端に咲くたんぽぽの美しさに気づかない人が、高い品を買って酔うのだと思います。

高い品を持つこと自体がいけないことでも何でもないのですが、物に溢れれば溢れるほど、意識にはゴミが溜まっていきますし、まして自尊心のためにそうしたものを所有しようと思うと、かえって自らの心を蝕むことにもなりかねません。

高価なものを持っている人

世の中には高価なものを持っている人を見て、何だかすごい人だと思ってしまうような人がたくさんいます。

しかしながら、身につけているものだけで偉いエラくないを測っていたら、地主のボンボンのニートですら偉くなってしまいます。

すなわち、身につけているようなもので判断などしようものなら本人の人格は隠されてしまい、本質的な性質、人格を捉えられなくなるというような感じになります。そしてその部分は親なり何なり第三者が肩代わりできてしまう、というような構造もあります。

そんなことを小学生の時にすでに思っていました。

人は見た目が9割だとか、100%だとかいう人がいますが、それが事実そうなのではなくて、そういうふうに洗脳していった結果だと考えています。

確かに意識は服装などに表れますが、洋服選びは店員に任せて、という感じでそれは他人でも何とかできる事柄です。

しかしながら、本質的な顔や話し方、声などは何ともなりません。整形しようが、見抜く人にはすぐに見抜かれてしまいます。

物より先に感受性

浪費家の特徴は、物で自分を満たしてもらおうとするところです。そして高価なものほど「人に自慢できる」という要素を持って自尊心を満たすことができると思っています。

その他100円のものを粗末に扱うということで、安価なものでも、物を使って一瞬の気の紛らわしでもできればいいか、ということを考えています。

しかしながら、物が満たしてくれる範囲はたかだか知れています。

そして、物の効用を最大化しようと思うと、使用者の感性に関わる部分、感受性に関わる部分が大切になってきます。

美味しい料理でも、味覚が優れていなければ、味を捉える集中力が欠けていれば、その価値は半減します(入力の品質と食事)。

物のクオリティはある程度値段に比例して変わってはきますが、受け取り手の方の問題はほとんど議論されません。

また、物を使う場合でも、良いギターを使えば良い音が出るポテンシャルはありますが、ピッキングのセンスによって音の質は驚くほど変わってきたりします。それに機材の組み合わせのセンス等々まで絡んでくれば、音の違いはかなりのものになります。

安易に買い換える人の神経がわからない

以前にどこかで書きましたが、僕は安易に物を買い換える人の神経がわかりません。

個人的には、パソコンでもバイクでも再起不能なレベルに潰れるまで使います。

またベースもずっと同じものを使っています。

一応他のものを触りもしないで語るのはどうかということで、同じタイプのベースのビンテージを色々とお店で触ったことはありますが、やはり慣れ親しんでいる分どこか違うのです。

もちろん客観的に見れば、状態の良いビンテージのほうが良い音が出ると思いますが、楽器は楽器単体で語られるものではなく、奏者と人馬一体になってこそというところがあると思っていますので、そうした客観的な事実よりも自分の気持ちを大事にしています。

お店の秘蔵っ子である150万円くらいする1950年代製のベースも触らせてもらいましたが、僕はコレクターでもなんでもないので、ピンとはきませんでした。

やっぱりいつもの相棒です。

相棒プレシジョンベースとの20年

本はやたらと安い

色々総合的に見ると、「本はやたらと安い」ということを昔から常々思います。

新品でも十分安いですが、古本となるとさらに安い、信じられないほど安いと思っています。

インターネットの情報は通信費用を別とした場合、会員制サービスを除き基本的に無料ですが、ひとまず情報の質が低すぎます。

稀に砂金のような情報がありますが、特に最近はアフィリエイターがあまりない知識の上で転載・リライトで記事を書いているので精度がかなり低くなっています。

テレビは○通の洗脳で汚染されていますし情報レベルも圧倒的に低く、新聞も同様です。

そして、これらはだいたい「思い切り」が足りません。

ラジオは比較的思い切りがありますが、本はもっと思い切りがあります。

「そんなレベルの話は企業秘密レベルではないのか?」と思うほどの情報量だったりします(本の質にもよりますけどね)。

インターネット自体はいいですが、料金、つまりお金よりも大事なのは時間だと思っています。

お金よりも大事なのは時間

お金よりも大事なのは時間だということは結構知れ渡っていますが、それでも「暇」を感じるとやはりお金のほうが良いと思う人も結構多いとは思います。

でもいつも思うのが、老後死にかけ寸前くらいのときに、「今100万円払ったら、インコのピーコちゃんに10分会える」と言われたら喜んで払うと思う、ということです。

養子のウサギ等々に関しても同じことを思いますし、相手が家族でも友達でも思うと思います。ということは、あまり意識して思わず気づかないだけで、すごく価値のある時間を過ごしているということになりましょう。

体験の非日常性

安価に生きる 曙光 566

Category:曙光(ニーチェ) / 第五書

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