物事の極端さや中途半端さ

何となくですが、近年は物事が極端です。

いや、別に近年に限ったことではないのですが、特に最近はそんなことを思います。

ある意味で中途半端な感じもします。

様々な業界で人手不足ですが、それほど豊かであるというわけでもありません。使える人材が偏っているというような感じでしょうか。

働いたら働いたで長時間労働になり、そうでなければかなり薄給になるということも極端です。

独り身なら独り身で時間とお金を持て余し、家族がいたらいたでカツカツになる、というような感じもあります。

会社員としてははみ出している程度の能力でありながら、社長をするには少し荷が重いとか、そういう感じもあります。

中間層というのが一番多いのに、中間層が一番やりづらいような、そんな環境も加速しているような感じがします。

グラデーション化されていたものが、白黒はっきりしてきているというか、なんというか…

「ちょうどいいくらいのお店」が、微妙な感じで成り立つか成り立たないか、みたいな感じになったり、一方で、つまらないような合理性を追求した大手が値段を釣り上げてきていたり…

そういえば、びっくりするのですが、今年は「何としてでも米を食わさんぞ」というようなことが起こったりしました。

第一ステップ 米価格の高騰

第二ステップ 米びつ虫の大量発生

第三ステップ 炊飯器の故障(その日に妻に買いに行ってもらいました)

という感じです。

そうなると意地でも米を食べようという気になります。

「ハイコストローリターン」とか、「なぜか敷居が高くなる」というようなことが多かったですね。

物事がスッといかないというか何と言うか…

で、極端なんです。

おもしろすぎるか、つまらなさすぎるか、といった感じです。

個人的には、たまには哲学空間等々に没頭したいような感じもします。

ただ、それも完成していますからね。

それはそれでいいのですが、それそのものが中途半端で、環境として物事が極端なんです。

頭の沸いている人が多いからでしょうか。

では、ここで

「なぜそんなに敷居が高いのですか?

なぜ、スッと終わらないのですか?」

という事例をご紹介します。

数ヶ月前、資金調達のために会社の証明書類を取りに行ったときのことです。

「400円の証紙を買って、別館の受付に行ってください」という案内の紙を渡されました。

で、実際にそうしてみたんです。

すると

「今年から420円になったんです」

と言われました。

ここで20円を払うということで何とかならないか、と思いますよね。

「ここで現金は扱えないんです」

と言われました(ギムキョです)。

で、あと20円分の証紙を買うために、最初に行った他の建物まで移動して、また戻るというようなことをやらされるんです。

最初に案内の紙を渡した人、その案内の紙を作っている人に文句を言いたくなります。

で、あえて怒らないようにしていたんです。

でも、そんなことばっかりなんです。

はっきり言っておきます。

僕のせいではありません。

でも、僕が責任を取るんですよ。

実際に大移動をするのは僕ですから。

こういうのは、直接的ではないですが「いじめ」ですね。

ある意味で、怒りを抑制してはいけないんです。

怒りをぶつけるというのはどうかと思いますが、無理に抑え込むとエネルギーが出なくなります。

乱文的になりました。

もっともっと自由に振る舞おうと思います。

Category:miscellaneous notes 雑記

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