結論が変

心理学と銘打つ三文文献に多いのですが、あくまで統計上の傾向なのにそれを法則化してしまうことがよくあります。相関関係を因果関係と混同させるように表現していたり、結果からの推論が自己都合の主観によるものであったりといった感じです。

そして雑誌のライターはそれを見て記事を書きます。

すると間違いだらけになってしまうというか、結論へのもって行き方が変な場合が多いように感じます。

心理学にしても、何となくみんなが知っていることを統計的に裏付けたようなものばかりですし、あくまで傾向が見えたというだけだったり、そうした傾向から仮説が若干支えられると言う程度だったりします。

そんな中、いろいろな法則性を根拠として結論を導き出す時に変な方向に行ってしまうことがあります。ある傾向やある定義がそこそこ真っ当でも、そうしたものを使って考えた先にある結論がぐちゃぐちゃになり、意味が逆転していることもあるのです。

某経済新聞に書かれた解説

昔何かに書きましたが、某経済新聞の一面に第三者割当増資についての解説欄がありました。

「財務体質が改善することから株価が上がる」と書いてありました。

第三者割当増資について用語の意味がわからない人向けに親切心でつけた解説なのでしょうが、結論がぐちゃぐちゃです。

第三者割当増資は、既存の株主以外に株式を割り当てる形で出資を受けるということです。だから既存の株主の持株比率は下がるものの、「返さなくてよいお金」を増資によって獲得することができます。

増資によってお金は入ってきますが、一株あたりの価値は下がります。

結局最終的には「増資を受けてそのお金を元に企業価値を高められたかどうか」というところに株価が反応してきますので、第三者割当増資がどう出るかはまだ不確定事項です。

一株あたりの価値は下がるものの第三者割当増資をして、企業価値を高めつつ結果的にトータルでプラスになることを見越しての動きだと推測されますが、まだそれは確定していません。

株価が上がる場合もありますが、上がらない場合もあります。

つまり、「上がる」だけではおかしいのです。

字数の制限から要約せねばならないのはわかりますが、完全に素人の見解です。

第三者割当増資で株価が上がるなら、みんなどんどんそれを行うはずです。

100億の資本金に第三者割当増資で30億調達したとします。

じゃあ資本金は130億、現金は30億の増加ですが、1株あたりの価値が下がります(分母が増えるから)。

そんな文が有名な経済新聞の一面に掲載されていたら、みんな勘違いしてしまいます。

それでもその新聞を読まない人をビジネスマンとして認めませんか?

それは聡明なビジネスマンの意思に任せます。

検索結果の信憑性

キーワードと記事の内容との関連度、人気順での並べ替えは確かにある程度良い記事へとユーザーを導く指針になりますが、その記事自体が正しいかどうかは怪しいでしょう。

知恵袋系を検索上位に上げるのには少し疑問を感じます。

特に法律系は危ないです。

最近でこそマシになってきましたが、昔、民法110条について検索したら、デタラメな回答の知恵袋系ばかり検索上位に上がってきました。

実際の学術書で概要は知っていたので良かったですが、インターネットの情報を鵜呑みにするとえらいことになります。

せめて法律系や医学系などは、しかるべきドメイン下の情報を検索上位に上げるべきだと思います。

おおまかに知恵袋系は回答者の文体をみれば、ある程度の信憑性は掴めたりします。

三文文献の実践野郎

「モテる必勝法則」みたいな本に書いてあるようなことを実践しているおじさんがいました。

違和感連発でした。

実践されるのはいいですが、そんな心理学の法則をもしこっちが知っていたら相当恥ずかしいと思います。

少し腹が立ったので、もっとわかりにくい方法で、無意識の誘導を行いました。

目が泳ぎまくっていて楽しかったです。

小手先の技で人を操ろうとすれば、もっと上級者が現れて、操られるかもしれませんよ。

結論が変

本題です。いつも前置きが長すぎるのが玉にキズでしょうか。

たとえば性格占いみたいなものでも、性格の傾向は確かに合っているかもしれないのですが、相性を図る時に、AとBは近いので相性がいいとかAとCは互いを補い合うので相性がいいとか言いますが、それはどうして決まるのでしょうか。勝手な想像のような気がします。

相性など占ったり、性格分析などしなくても話せばわかります。

本当は一瞬でわかったりしますが、日によって気分が変わったりするので、すぐにはわからないかもしれません。

でも、数回会えば確実にわかるでしょう。

「Aという行動を起こす人はBという行動を起こしやすい」

という法則みたいなものがあるとして、あくまで起こしやすいだけで、そうと決まったわけではありません。

実際の実験でもサンプルはアメリカの大学生100人とかです。

それで導かれた傾向で、「法則」というにはなかなか厳しいものがあります。

本の中では「こういう人は実は〇〇かもしれないのだ」などと実は、「個人差があります」みたいな書き方をしているのですが、それを見て記事を書く人は「こういう人は○○である」と書いてしまいます。

そして、偏見がたくさん生まれていくことになります。

「は?」となる心理学者たち

でも、どうしてそこまで人を分析しようとするのでしょうか。

以前にも書きましたが、やはり、恐怖心です。

人の性格を把握して、対応、管理ができないと不安なのです。

さて、脱線前に元に戻します。

そういうコンパの時にウケそうなネタは、雑談程度に留めておくことです。

大きな嘘は小さな「本当のこと」がたくさん含まれています。

同様に大きな勘違いには小さな「本当のこと」がたくさん入り混じって、その結論になっています。

凡人が天才のフリをする時に用いる統計・データに騙されてはいけない

宗教家が説く曖昧な理屈

これは、変な宗教や宗教まがいの団体、変な占い師、変な圧力団体などの教義、理念なども同じです。

すべてが間違いではありません。

でも、最後が変なのです。

「うーん、まあそうかな」とぼんやり思っていることを、裏付けのようなものを提示して、変な結論に持っていきます。

霊感商法と変わりない墓場利権

たとえば、僕は「先祖の供養」の意味がわかりません。

でも普通の心情ならおじいちゃんが亡くなった時には、なにかやりきれない気持ちがあるでしょう。

で、おじいちゃんとの思い出を大切にしたりするのはいいのですが、その気持ちをいいことに、よくわからない儀式や用具を買わせようとします。

そんなものは、変な壺を売りつけられているのと同じこと。

墓を売りつけ「永代供養」などと称し定期的にお金を払わせようとする構造は、墓場利権と呼んでも差し支えなく、霊感商法と似通った構造になっています。

「国が認めた宗教法人だから」というのは理由になりません。

形而上学は国家よりも上に属する性質のものです。国家は関係ありません。隣の人や親戚の意見も関係ありません。

おじいちゃんが死んだあと、おじいちゃんはどうなっているのか、僕にはわかりませんが、それは当の宗教屋にもわからないことです。

まして「本堂の屋根を直すから」といって集金した上に、観光客には入場料をとってそれをみんなには分配しない経済音痴の言うことです。

どうしてそんなことにお金がかかるのか不思議です。

墓場ビジネスと霊感商法

Category:miscellaneous notes 雑記

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