モテるとは、行列ができるほど顔がいいか、行列ができるほど口がウマイか、そのどちらかでしかありません。
こんなことが議論される時にまず出てくるのは「口が上手くないから信用できる」というものです。たいていのビジネス書にはこの手のことが結構な頻度で出てきます。
そうなると生まれつきかどうかはわかりませんが、「口がウマイ」という才能を持って生まれてきた者たちはどうなるのでしょうか。
口が上手いせいで「いまいち信用できない」と、フラレたことがあります(まあ実際はそれほど思い入れもなく軽い感じで話したので、同じように軽くあしらわれたという感じです)。ということは逆に「口が上手くなかった」ということでしょう。正真正銘の詐欺師レベルの口の上手さなら、「口下手」すら装えるほどの達人のはずです(口八丁の金字塔)。
こんな時、「口がウマイ/ウマクナイ」はどうやって判断したらいいのでしょうか。「中途半端にウマイと、一番信用力がありません」ということでしょうか。
以前何かの本で読みましたが、「一流ホストはジャニーズなんて敵と思っていない、恐怖するのはお笑い芸人だ」、というようなことが書かれていました。
顔と喋り
資産として考えた時に、顔は改良が困難かつ耐用年数が限られており、通用する市場も好みも限りがあります。
つまり、先天的要素が強い上に、収益の間口がかなり狭く、かつ劣化を食い止めることができないという資産になります。
一方、口の上手さは、後天的かつ改良が容易で、劣化どころか自己増殖していってくれるという有り難みまであります。
おしゃれな髪型というカンフル剤もいいですが、いっそ「喋りの磨き」をしてみてはいかがでしょうか。
恐怖ポイント
髪型にミスがあった場合、美容師を責めることはできますが、喋りがすべった場合、原則的に誰のせいにもできません。
笑いを取ろうとすると、すべるというリスクがつきものです。
笑いに限らず、シリアスな局面でも「すべる」はつきものです。
世の中にはすべったことを悟らせない、すべったことを利用するというスキルがありますが、高等テクニックなので、一朝一夕で手に入れられるものではありません。
話に笑いの要素があっても、相手側にそれに対応する感受性がなければ通じません。相手の感性レベルを察知するというのも、また高等スキルなので、一夜にしては手に入れることができません。
ということで、なかなかにスキルは磨かれず、すべることへの恐怖心から尻込みしてどんどん消極的になっていきます。
そんな時におすすめしたいのが「歯の浮くお世辞」です。
相手によっては皮肉に取られてしまうかもしれないので、そこには注意が必要ですが、汎用性のあるものから、より個人向けなものまでそのバリエーションは様々です。
絶望的な営業野郎は、褒めているつもりでも褒められていないケースがよくあります。それは、マニュアルに書いてあるようなことばかり言うからです。義務教育の成れの果てですね。テキストはサンプルであって、そのままでは通用しません。
絶望の果てのような人でも、どこかに素晴らしい点はあるはずです。それを見つけるように目を研ぎ澄ませていくと感性が磨かれます。
そうしているうちに、勝手に口が上手くなります。
最初はたいてい抵抗があるものですが、身近な人から始めてみましょう。
その抵抗を感じなくなった時、周りには行列ができています。
つまりモテてしまっています。
そしていつしか、お世辞が通用しなくなる時が来ます。
そんな時、「それでもどうやって相手を喜ばすか」、という別の方法を模索している時点で、「聖者」や「菩薩」と呼ばれるようになっています。
過去記事⇒モテより大切なこと
最終更新日: