韋駄天が一目散

以前どこかで触れていましたが、僕は文化系ながら太ももが異常に太く63センチほどあります。高校生の時には体育会系の人たちを差し置いて立ち幅跳びなどで学年一位でした(でも走るのは速くありません)。ということで陸上部やラグビー部などからよくスカウトを受けましたが、文化系なので全てお断りしました。 「フォームをキレイにしたらもっと速く走れるぞ」 などと体育教師に言われたりもしましたが、別にその分野に関心もありませんでした。 体育は差別の塊 それは、速く走れることにそんなに魅力を感じていないという部分もありますが、それよりも

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依怙地になって居丈高に

大きな企業でありがちですが、あまりにくだらないような商品を無理に売ろうとすることが多々あります。 もう商品開発の時点からやり直したほうがいいと、誰しもが思っているような状態なのに「自分の案が間違いだったということを認めたくない」という人のエゴにつきあわされる形で売りに行かされるということもよくあります。 それは取り扱う商品という部分だけでなく、売り方というようなものを含め、何かしら仕事のやり方などについても同様です。 「自分が考え、企画した案が間違いだということを認めたくない」 というような意地のようなものに付き合

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天邪鬼が暗暗裏に

目の前の現象への解釈は無数にあります。しかし人が各々に持つ視点、重要度のバランスはバラバラなので、解釈の仕方も 千差万別の百人百様です。そして、実際に何かの行動を取ったり選択したりというときには基本的に一つしか選べないので他の人と食い違いが出てくる場合もよくあります。 変な人にもその人なりの考え方や視点があり、それはそれでいいのですが、まれに自分の意見に同意したり同調しないことに腹を立ててくる人もいます。 そして同調しないことに対して「捻くれている」などとレッテルを貼ってくるのです。 「捻くれている」とレッテルを貼

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青二才の値千金

何事も経験の少ない人は少ない人で凝り固まった考え方、物の捉え方がまだ無いので、純粋な眼で物事を捉えることができるという面があります。その一方でもちろん、経験が少ないゆえに「自分が何をやっているのか」ということや「何を理解し、何を理解していないのか」がはっきりしていない分だけリスクを持っています。 「リスクがある」ということはその先にリターンがある可能性がある場合になります。失敗した時の損失といった危険性を内在しながらも成功した時にはリターンがある、そのような場合がリスクであって、損失もなければ利益もないのであればそ

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特別企画 その7

久しぶりに特別企画を実施します。前回の特別企画はロングランでしたが、「特別企画 その7」はひねくれつつもサクッと終わりそうな感じのことを進めてみます。 三字熟語を2つ合わせてタイトルに いつ頃買ったものかは忘れましたが、高橋書店の「四字熟語辞典」に載っている「三字熟語」を無理やり2つ合わせてタイトルとして設定していくというものです。 本当は先にやりたいような特別企画もあったのですが、少しひねりが必要だなぁということで先にこちらを進めてみます。 梅雨時の晴れ間にふと思いついたわけですが、きっかけはおそらくロック魂的な

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凡人が天才のフリをする時に用いる統計・データに騙されてはいけない

僕はなんだかんだで統計・データの分析が得意な方です。でないと会社経営もあまりうまくいきませんし、トレードなんかで勝てるわけがありません。でもそうしたものは参考程度にしています。 データには精度というものもありますし、何某かの意図が組み込まれている場合もよくありますからね。そして何より市場も人の心理も環境も常に動いており、あくまで統計・データはある時点、ある状態の切り取りにしか過ぎず、結論も単なる「要請」くらいにしかすぎないからです。 データに騙されてしまう人はよくいます。しかしそれは、そんな人達をバカにした人たちが

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記号としての役割しか持たない人たちと社会的監視機能

洗脳やマインドコントロールについて触れたり、消費社会について思索を巡らしてみたり、面白い映画とあまり面白くない映画の違いを考えてみたり、「手塚治虫のブッダ」の原作と劇場版の違いに遺憾の念を持ったりという感じで過ごしていると、記号としての役割しか持たない人たち、「入れ替え可能なキャラクターとしての立ち位置」について思いが巡ってきました。 そのような感じで「記号としての役割しか持たない人たち」と「社会的監視機能」についてふと考えました。 たまにコンビニに行くのですが、そこでのレジ担当の人は本質的には違ったとしても組織か

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生命保険を担保にお金を借りる

生命保険会社からお金を借りる方法として、すでに契約している生命保険を担保にお金を借りるという方法があります。 これは契約者貸付制度というもので、既払い保険料で貯まった分(養老保険の満期における生存保険金の部分や終身保険なんかで貯まっている分)を担保として解約返戻金額(保険契約を解約した時に戻ってくるお金)を元にそれより少し少ない額を借りられるというものです。この契約者貸付制度は、もちろん保険契約をしている「契約者」が利用できる制度です。なお、保険会社、契約保険種類、契約からの期間に応じて変動しますが、貸付制度で借り

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広告による威厳の喪失

家にテレビもなければ、もちろん新聞もとっていないので、世間のニュースに関しては全く無頓着で無関心という感じで、普段あまり広告に触れることがありません。しかし、なんだかんだでネット上の様々なページに表示される広告なんかを見る機会があります。 その手の広告は、広告対象となる商品やサービスに比例するように品質が低いものも多くあり、そうした広告に顔写真などが利用されるということは、その人の威厳を喪失させてしまうのではないか、と思ったりします。 そうした広告自体が鬱陶しいですし、広告に込められているメッセージ自体が刷り込まれ

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鹿の王との約束

最近、見る夢の中でも白昼のふとした隙間においても、何故か宝ヶ池の鹿の王が出てきます。 僕が勝手に鹿の王と呼んでいるだけですが、もちろん宝ヶ池に実在する鹿です。その旨は一応「宝ヶ池の鹿」で少し触れていました。 サラブレッド並みとまではいきませんが、かなり大きな体に加え、すごく立派な角を持っています。普段宝ヶ池で見る鹿とは圧倒的に体格が違うという感じです。その風格からおそらく宝ヶ池公園付近一帯の鹿の王だと思っています。 彼との出会いもまた不思議なのですが、「宝ヶ池」で触れていた通報を行った時でした。 僕が宝ヶ池公園から

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味やロマンと駄菓子の機械

味やロマンと駄菓子の機械ということで、駄菓子メーカーの事業譲渡について触れつつ、味やロマンと汎用性についてでも書いていきます。 全国的に展開している企業もありながら、駄菓子メーカーは家族経営の零細企業が多く、事業主の高齢化の問題により消えていく可能性がある駄菓子がたくさんあるようです。 駄菓子を残そうと思っても、駄菓子は結構手作りで製造されていたり、オンリーワンの特殊な機械を使って製造されていたりと事業譲渡、承継のハードルが高いという面は否めません。 意外と包装は手作業ということもよくあるようで、労力に対する利益率

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尊厳・自尊心と承認欲求

尊厳・自尊心と承認欲求ということで、人の尊厳や自尊心と他者からの承認、そしてそうした承認を欲する承認欲求について紐解きながら、それらを根本から覆していきます。 「人は他人から自分の存在を確かめる」とでも言いたげに、社会においては尊厳や自尊心を当然のものとして扱い、他者からの承認をもって尊厳を保っているとでも言いたげです。 それこそが人の幸せを決めるものであり、承認欲求は当然に起こる欲求だとでも思っています。 しかしそんなものは必要ありません。 「承認欲求を満たす」とか「自尊心を満たす」という方向性でばかり様々なこと

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家族のバランスと退行現象

家族のバランスと退行現象ということで、家庭内での人間関係のバランスとバランスが崩れた時に起こる退行現象についてでも書いていきましょう。 少し前にはなりますが、自分が作成した心理学の「退行」について改めて確認していた時に、ふと幼少期から大人になるまでの間の我が家を振り返ることとなりました。 よく人格の歪みやそれを発端とする精神疾患は家庭に原因があるというか、家庭要因が大きいということで、それが文学作品や映画のテーマとなったりします。家族療法というものもあるくらいで、それくらいに家庭内の人間同士が相互に与える影響は大き

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生きることに不器用な人たち

生きることに不器用な人たちということで、不器用な生き方についてでも書いていこうと思います。 先に結論から言うと、最も不器用な人は「不器用であることに気付いていない人」です。だからこそ「自分は不器用だ」と気付いている人の方がチャンスが多いということになります。 そして自分が不器用だと気づいている人は、その不器用さを乗り越えた時に自分がたどったような道で迷っている人たちにアドバイスがしやすいという強みがあります。 そんな感じで生きることに不器用な人たちについて触れていきます。 不器用な人が後で開花する 勤め人の頃、前職

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自由意志を哲学と社会学的帰責から紐解く

自由意志はあるのか、もしくは自由意志はないのか、そんなことをいつまでも議論している人たちがたくさんいます。 何かと相容れなさそうな哲学と社会学の両側面から自由意志を考えていくとそうした自由意志論にそれほど意味がないことが朧気ながら分かってくるはずです。 どんなことでも、前提が間違っているとその先の論理の展開もおかしな方向に行きます。まあ自由意志についての混乱は、つまるところ無明から起こっているという感じになるでしょう。 これは、何も考えないまま雰囲気で「哲学に意味がない」とか、「自由意志があるのかないのかなどどうで

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植物と仲良くなった日

植物と仲良くなった日ということで、植物を育てることが絶望的に下手だった僕が植物と和解しうまく育てることができるようになった時の思い出について書いていきます。 内容が具体的だからか、そういえば何だかんだで植物カテゴリへのアクセスも結構あるのですが、それで何となく思い返すと僕は20歳位まで植物を育てることが抜群に下手でした。 小学生の頃は、家にインコのピーコちゃんを筆頭にたくさんのインコと接していたため鳥とは仲良しでした。傷ついた雀を保護したことがありますが、その雀ともすぐに友だちになれたため、結構長生きしました。普通

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元祖ダイエットアファメーション

元祖ダイエットアファメーションということで、言葉によるダイエットについてでもお伝えしていきます。 ダイエットと一口に言っても、元々ダイエット(diet)という言葉は規定食という意味があり、減量だけを目的とするものではありません。 といいながら、だいたい肥満は食い過ぎから起こりますし、食事の質や量は体調不良にも密接に関わっています。 「適正な量の食事」という感じで言えば、今回ご紹介する「詩」は、まさに元祖ダイエットアファメーションであり、既に2500年以上前に実践されていたということで面白みがあります。 先日、ひとこ

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洗脳の結果としての消費行動

洗脳の結果としての消費行動ということで、消費社会においての個々人の消費行動は洗脳・マインドコントロールの結果であるという点について書いていきます。 久しぶりの「お金に関すること」テーマで実に1年半ぶり以上という感じですが、お金持ちになったりするをシンプルに考えれば、お金が出ていく量を減らしていくこともその方法になりますし、これはお金を稼いでいくこと、手に入れていくことにも密接につながっています。ということで、消費行動と洗脳について書いてみようと思ったしだいです。 消費社会と洗脳の関係としてよくメディア洗脳という感じ

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皮肉骨髄から考える「人の意見」

皮肉骨髄から考える「人の意見」ということで、皮肉の語源となっている達磨大師の「皮肉骨髄」の逸話から、人の意見をどう受け止めるべきかということについて考えていきましょう。 皮肉といえば京都の文化であるということで「現代人の皮肉」では京都の皮肉文化について触れていましたが、元々皮肉という言葉は、達磨大師が弟子に対して行なった最終試験の逸話が元となっています。 皮肉骨髄 知っている人は知っているような話ですが、「僕が伝えたかったことは何か、それを示してみなさい」をいう最終試験で、4人の弟子がそれぞれ異なったアプローチで回

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ゲームと知能

僕はファミリーコンピュータと同い年であり、小学生の頃はスーパーファミコン全盛期であり、小学校高学年くらいから中学生の頃はセガサターン・プレイステーションの登場によってそれにどっぷり浸かるような世代です。 ファミコンが1983年、スーパーファミコンが1990年、セガサターン・プレイステーションが1994年ということで、まさに成長期がゲーム全盛期という感じになっています。 そんな中、「ゲームをすると頭が悪くなる」などと囁かれていましたが、我が家では全く逆の立場をとっていました。 あまりコンピュータのことを分かっていない

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緊張と弛緩から観る「今」のあり方

心を語る上でよく緊張と弛緩がテーマとなることがあります。リラックスするための筋弛緩法というものもありますし、笑いの要素の一つとして、桂枝雀氏提唱の緊張の緩和理論というものもあります。 緊張があってそれが弛緩する、つまり緩むということですが、その瞬間に人はリラックスし、人は笑うということになります。 そこでよくよく考えてみたいのが、緩んでいる時は文字通り安穏の状態にあり、イコールで幸せな状態にあるということです。 緊張と弛緩や緊張の緩和理論においては、相対的に緊張と「ゆるみ」が対比された上で語られていますが、「ずっと

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正しく観ることが確率論を超える

欧米の確率論的な方法がもてはやされてはいますが、営業にしろ何にしろモノを売るのは実は結構簡単だったりします。 統計や御用聞きを含めたマーケットインは確率論的に物が売れる確率を上げようというようなレベルの低い考え方です。 それは「流行りの髪型にすればモテるのではないか?」というタイプの発想です。 しかしよくよく考えてみると、たった一人の最愛の人と出会えれば「たくさんの人にモテたい」というような気持ちもどこかに行ってしまいます。 大きな工場をもって世界的に展開しているような大企業ならば確率論の方に意識が向いてしまうのも

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忙しい人の「忙しさ」はただの混乱

忙しい人や忙しない人が持つ「忙しさ」はただの混乱だったりします。 忙しそうにしている人ほどただ単に頭の整理ができていないだけで、大したことはしていないというのは、世間でもよくよく実感されているはずです。 忙しくしているということは、嘸かし大層なことをしているのだというような印象もありながら、結果を見ると大したことはしていないという感じです。 すべてを結果ベースで見るとわかりやすいのですが、結果を見ずに「いかに頑張ったか」ということを評価対象になどするからこうした錯覚がいつまでも起こりうるのではないでしょうか。 でも

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墓場ビジネスと霊感商法

京都という土地柄もあってか、同級生の家が寺ということも多く、墓場ビジネス、冠婚葬祭ビシネスが盛んに語られる事が多い環境に育っています。 なんだかんだで家の電話を取ってみたら近所の寺からの「お墓のご準備はお済みですか?」という営業だったということもたまにあります。 僕としては昔から墓には否定的な印象を持っています。そして墓場ビジネスはそれほど問題視されないもののタダの霊感商法だと思っています。 そしてたまに何故かいろいろな人の墓参りに付き合うということがあります。どこかに行くついでに「お墓が近くにあるからついでにお墓

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日差しが強いときこそ日光浴

だんだんと暖かい日が続き、日差しも日に日に強くなってきています。 紫外線が肌にダメージを与えるので日光は疎がられる傾向がありますが、やはり日光浴というものは良いものです。 先日、太陽が眩しすぎるくらいの強い日差しの日に家の裏の縁側でほぼ全裸で2時間位過ごしてみました。 もちろん直射日光を浴びるというわけではなく、クリアの波板のようなもので多少は光が和らいでいる感じの日差しです。 かなり前になりますが、Z会と日焼けの関係性をしみけんさんか誰かが書いてくれているのを見て、そう言えば日光はZ会にも影響するのだということを

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