間や空白に対する恐怖と勇気というような感じで、「間」や「空白」に対して意識的・無意識的に持っている恐怖とそれに対する勇気のようなものについて書いてみます。
ちなみに「間」は「ま」でも「あいだ」でもどちらでもよく、そうしたものを包括していると考えてもらうほうがわかりやすいかもしれません。
音楽でもある程度技量が上がってくると「休符を聴かせる」という領域になりますし、文学でも行間を作ることが表現としての幅を広げていきます。笑いにおいても「間」は重要な要素になってきます。
日常でも本来はバケーションというものが重要になってきますが、なんだかサボっているように見えて疎遠される傾向にあります。
しかしながら、そうした空白をあえて作ることは想像以上に大切です。
何もしないことの大切さ
「何もしないこと」に対してなぜか恐怖心が起こることがあります。
何もしていないということは一切向上しておらず、傍から見るとサボっているように見え、またそうしたことからふとした時に言い訳ができないというような脅迫じみた思考が起こることがあります。
しかしながら、あえて言っておくと、何もしていないようなボーっとしたときでも頭は働いています。
忙しくしている人ほど、あえて空白を作ると空白期間の間に頭がまとまっていきます。心理的な盲点も外れることがあります。
こうした点については後述しましょう。
空間の埋まりや連続性が止まる恐怖
ピアノはたくさんの音をだすことができます。またバンドのメンバーがたくさんいれば、それだけたくさんの音を重ねることができます。
そうした中で、あえて沈黙するということは、結構抵抗感がやってくるものです。
楽譜通り演奏する場合はそんなことは思いませんが、自分で曲を作る時には空間を埋めたくて埋めたくて仕方ないというような焦燥感がどこかにあります。
しかしそんな空間の埋まりや連続性を止めることに対する恐怖を乗り越え、音を抜くという勇気を出すことができれば、そうした楽曲は洗練されたものになっていきます。
その極みがシンプルイズベストと呼ばれるもののはずですが、その奥には「たとえできたとしてもあえてやらない」というものが潜んでいるはずです。
キーボードの人が、両手を使わずに右手だけで単音を弾くというのはどこかサボっているように見えます。
でもそれはサボっているのではありません。雑多な空間を澄ませているのです。
「洗練されたもの」はだいたいこうした特性を持っています。
こうしたことは全体を見ることができないと、安易にできるものではありません。だから洗練されているのです。
空間を埋めようとすると視野が狭まる
空間を埋めようとすると文字通り近視眼的に視野が狭まります。
傍から見た「暇」に恐れを抱き、何としてでも空白や間を埋めようとすると、どんどん視野が狭まっていきます。
そして勢いをつけると混乱していくのです。
この現象の理屈は非常に簡単で、盲点がたくさんできて、かつ、重要度が揺れ動くからです。
余白がないから重要度が揺れ動く
最近ではあまり乗りませんが、電車に乗った時などは見渡す限りの人がスマートフォンを見つめています。
それで何をしているのかと思えばTwitterなどを覗きながら、特に内容を読むこともなく上下にスクロールしているのです。
これは一昔前の例であればテレビのチャンネルをずっと変え続けている人に似ています。
特に何もしていないのですが、余裕はありません。
どうしてそれほどにまで余裕を無くすことに必死なのでしょうか。
おそらくそれは間や空白への恐怖です。
そして、そうして余白がない状況の中では、幾つかの重要なものがビッシリと意識の中で埋まっています。
そうした中、例えば3つくらいの同じレベルの重要な事柄を保持していて、それら3つが同時期に変化した時、大きな混乱を招くはずです。
つまり、外部からのアクションによって、その都度それぞれに反応させられるという状況です。
三人のそれぞれ「まあまあ好みの人」とお近づきの状態のときを想定すればわかりやすいかもしれません。
少しの動きで揺れ動きます。
いわば振り回される状態です。相手が振り回しているわけではないのですが、自分で勝手に振り回されている状態になります。
そんな感じで余白のない状態で、幾つかの重要な事柄を保持していると、何が重要で何が重要ではないかがよくわからなくなっていきます。
そんな時には「何もしない」ということを選択するのがベストなのです。
空白期間で重要度が最適化される
自分では重要だと思っていることも、ただ単に自分の中でその時期のブームだっただけだということがよくあります。
女性は複雑で男性は単純だと言われることがありますが、女性が複雑なのではありません。
「連続性があまりないから連続性を持っている人からは理解不能」なだけです。
女性は目の前の景色に感動することができるが、男性は帰りのことを考えている、ということをMr.Childrenの桜井氏が昔何かで書いていました。
それはその通り、その瞬間に没頭できる能力があるのです。逆に前後関係は頭の中にありません。だから方向音痴なのです。
一つのことしかできない、という捉え方もありますが、一つのことに集中できるという捉え方もできます。だからルーティンワークが得意なのです。
そういうわけで女性が複雑に見えるのは前後関係を保持したまま連続性の中で考えている男性から見れば、急な変化が理解できないというだけなのです。
そうしたブームがなだらかに変化していくのか、急なきっかけで変化していくのかという違いだけで、共にその時期のブームというものがあります。
その中で、単なるブーム、つまり重要度の高い対象がだいたい常にあるのですが、そうしたものが複数ある場合に、頭が混乱するのです。
優先順位を決めかねるという感じで捉えてもいいでしょう。
重要度は、距離的な関係性も影響しています。
頻度が高い、物理的距離が近いといったものも重要度に影響を及ぼします。
そうした中で、空白を作ると重要度が最適化されていきます。
人から毎日連絡が来ると、それが重要になることもありますが、それが本当に重要な対象なのかは本来別問題です。
そうして振り回される状況に余裕を持たせることで、重要度が最適化されます。
しかしながら人はそうした空白や間を恐れます。
そうして近視眼的に意識を集中することで、軽い洗脳をされていってしまうのです。
これは他人によってというケースも想定できますが、自分の頭の中でも同様です。
経営者なら既存の営業方法、経営方法以外が見えなくなります。学者なら理論に突破口を開くことができなくなるでしょう。
あえて空白を作るという感じは、何処かに遊びに行って情報を収集するというよりも、頭の中の顕在化している意識にエネルギーを使っていないで、無意識の最適化を信頼し、自動で最適化されるように空白を作るという感じです。
生きる上でも創作する上でも、間や空白に対する恐怖に対して勇気をもつと、想像以上の結果が訪れることでしょう。
最終更新日: