「能ある鷹は爪を隠す」のおじさんは釣り好きであり、また勤め人時代には結構釣り好きの人がいました。すべての人ではないと思いますが、そうしたタイプの人から受ける印象はどうしても「趣味に生きている人」といったような感じがします。
生活を趣味に合わせて生きているという感じがして、有給などを念入りに消化していく感じの人が多いという印象です。
「能ある鷹は爪を隠す」のおじさんの車には「〇〇名人」というようなステッカーが貼ってあったりしました。それほど釣りが好きなのでしょう。その一方で、成績は寥々、仕事はいまいちという感じだったのであまり良い印象はありませんでした。
外来魚に対して思うこと
思い返すと琵琶湖などでは「外来魚ボックス」というものがあり、ブラックバスやブルーギルであればその中に入れてくださいと言った感じで、外来種の魚は生態系を乱すこと言うことで駆除対象になっています。
まあ確かにそうした外来魚は強いので、生態系に影響が出るということの問題は理解できますが、何となく「外来と言うだけでかわいそうだなぁ」ということを考えたりします。
釣りに関して思うことは「感情的楽しみのために趣味として釣りをするということは避けるべきだ」という点くらいでしょうか。
もちろんこれは食料の獲得による生命維持という生存本能的部分もありますし、その行為全般に対しての思いというわけではありません。それが倫理的にどうこうというよりも「この心のこと」として戒めておいたほうがいいだろうということになります。
「私の感情的満足のために」という意図で行うということは、結果的に心を蝕むことになりますからね。
「能ある鷹は爪を隠す」のおじさん
ついでなので「能ある鷹は爪を隠す」のおじさんについてでも触れておきましょう。
彼は「能ある鷹は爪を隠す」という言葉をかなりの頻度で使用していましたが、大前提として能ある鷹は爪を隠すというのであれば、そんなセリフを口癖になどしていないはずです。
晦匿であるつもりでしょうが、ある種自分で宣言し公言しているのですから、「隠す」という部分に大きな矛盾が生じている感が否めません。
能ある鷹は爪を隠すのであれば、「能ある鷹は爪を隠す」という言葉を自己申告的にわざわざ使うこともありませんし根本的に能力があるのかという部分も微妙です。
仕事ができる人だったかという点で言えば、営業成績としては下から数える方が早いといった様子でした。まあ事務処理的なスキルはある程度あるのでしょうが、本業となっている営業の方は「イマイチどころか…」といった感じでした。
そして、僻みかのように営業成績が良かった若い人たちに「能ある鷹は爪を隠す!」と言っていました。
会社の宴会で熱唱
そして僕が「忌野清志郎」に寒気がする理由の一つは、職場の宴会のたびに能ある鷹は爪を隠すおじさんが、「おまえにのれないなんて」みたいな歌を歌っていたからということがかなり大きな要因になっています。
彼のように趣味に生きながら会社の宴会で忌野清志郎を熱唱するような生き方は嫌だと心の底から思っていましたし、今でもそう思っています。
なぜなら仕事の能力はなく、出世した友人の厚意でちょっとだけ出世したような人だったからです。
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