敵の真中に身を投じることは、卑怯のしるしかもしれない。 曙光 299
英雄崇拝とその狂信者において、何かを崇拝し、敵の中に飛び込む、死を決して飛び込む様、つまり「殉教」に向かう方向性は、一種の自己陶酔であり、自惚れであり、自慰行為であるのに、その狂信者の間においては「カッコいいこと」とされるため、卑怯のしるしかもしれませんね。
最近かどうかはわかりませんが、その崇拝対象は、何か人物に限定されているわけではありません。わかりやすい例としては、ヒーローやアイドルなど誰か一人のモデルや、「社会はこうあるべきだ!」などのある「主義」などが挙げられますが、少しわかりにくいものの同じ構造を持った場合があります。
それは、以前に触れた、「いろんなことに挑戦していきたい!」のケースです。美徳に反対のことを言うことが禁じられる場合の「臆病者の間では、勇敢さに逆らうことを言うのは低劣に響き、軽蔑を引き起こす」も同様です。
臆病者、つまり弱者の怨恨が、何かを崇拝するという形をもって「オレのほうがすごいんだもん」と解釈変更される試みです。奴隷精神ですね。
愛社精神や、ある「すごいリーダー」についていく、というパターン以外にも、何か無形物であり、万人が反論してこないであろう「気持ち」や「雰囲気」を崇拝の対象にする場合があるということです。
ということで、いつもそういうことで盛り上がっている人がいれば、その奥の動機を聞くことにしています。
その奥に自尊心を埋めようとするような動機が潜んでいる場合は、もっとツッコむことにしています。
人間は行動によって、その奥の心が見えると言いますが、その行動を仔細に分析する必要があります。でないと、詐欺師ははじめ善人振りますから、行動を単純化して観察していては、騙されてしまいます。
「行動」というと、単に言葉としては、「講演をした」とか、「掃除をした」とかそういう事になりますが、例えばその講演にもその内容や聴衆者など、講演の対象だけでなく、どのような話し方か、身振り手振りもあります。その話し方の中にも、話の論理構成などだけでなく、呼吸のタイミングや、目線の動きなど、さらに細かく見ていくことができます。
声と詐欺師対策
よく親の背中を見て育つといわれるものの、親の行動の無意識的部分をよくみて子供は影響されるということです。
意識的に「見せようとしている部分」よりも、無意識的にどういった心理状態かが表出された部分がよく影響するということです。
親の背中を見るように、マクロ的な行動だけでなく、具に仔細に観察することです。
そう考えると、少しの行動でもその人が何を考えているか、どういう気質を持っているかだいたい分かるものです。
詐欺師予防に「見せようとしている部分」以外を見る
詐欺師予防には、その人の「見せようとしている部分」以外を見ればそれで事足ります。
特に自分のほうが上だと思っている対象への態度や、自分が客側になっている時の態度、あまり関係ないような対象への接し方を見れば「スケベ心の自己欺瞞」などすぐに見抜けます。
後々の証拠のために「騙されているフリ」をすることもいいでしょう。
たいてい自分を偽っている時、人の声は高くなるものです。自らを騙しながら、相手を騙そうとしています。実物より良く見せようというのは騙しですから。ただ、時に「安心してもらおう」という意図もありますから、問題は騙す動機です。
コンパなどでやたらと営業さんや販売員さんのような高い声を出している人を見たら、
「どこから声出してんの?」
と聞いてみましょう。
おそらく実家で家族と話している時は、一オクターブくらい低い声で話しているはずです。
声とZ会
ちなみに男性の声ですが、ダンディな低い声の人は、声はダンディかもしれませんが、喉に男性ホルモンを持って行かれているので、Z会ではないというようなデータがあるということが「正しい保健体育2」に書いてありました。
(西オーストラリア大学、リー・シモンズ氏による研究
「Deep-Voiced Men Have Lower Sperm Counts, Study Says」)
つまり声が高い男性の方がZの証を股間に秘めているということです。それに他のデータでは、太ももが太いことと、手のひらの親指の付け根の部分が膨らんでいると「Z」だという主張もあります。
声が高く、太ももが太く、手のひらの親指の付け根が膨らんでいる、この三点を見れば、「Z会メンバー」かどうかわかります。
つまり、男性限定かもしれませんが、「高い声を出して話す」という事をしている時は「僕はZです」と「本能的にオレを選んでくれ」と主張しているのかもしれません。
英雄主義の見かけ 曙光 299
最終更新日: