老練

実行に当って、摑み損ねもなく、躊躇もなくなるときが老練に達するときである。 曙光 537

老練ということで、何事もプロの領域に達すると、迷いもなくものすごい判断の速さと実行をもって素早くこなしてしまうようになります。

以前何処かで書いたと思いますが、仕事をしているようでも結構な空回り時間があり、あれこれ判断を決め兼ねているとドンドン進みは遅くなっていきます。

⇒(仕事を倍速でしてみよう「われわれのどこが最も精巧であるか」、「粗雑な知性は何に役立つか」)

おそらく一般的な職場でも、できる人とできない人とのスピードの差は倍くらいあると思います。片や8時間かかることを4時間で終わらせている人がいるはずです。

物理空間と情報空間で異なる時間短縮

もちろん物理的な制約を受けやすい分野では、縮められる時間の範囲が限られていますが、無形の情報を扱うような分野では倍どころではないほどの開きがあることも特に珍しくはありません。

物理空間の代表例として、トラックの運転であれば、技量によって縮められる時間にはある程度の限界があり、距離と速度等によって限界が定められています。

一方、情報空間ということで、ソフトウェアの開発などであれば、前作やオープンソースなどから、プログラムをコピーして改良していくという感じで、新作作りの時間も極端に縮めることができますし、販売に至っても、インターネットでプログラムを配布する形であれば、距離的な制約は受けません。

そんな感じで、分野によって時間短縮の幅は異なりますが、一応どんな分野でも、無駄に考えている時間、迷っている時間、ぼーっとしている時間、といったロスタイムさえなければ、想像以上に時間を短縮できるはずです。

物事を進めるのが遅い人は、その言い訳として「丁寧にやっている」といいますが、単に遅いだけということがほとんどです。

合間合間に判断に迷ったり、どうするのだったか思い出そうとするというような細かなタイムロスが積み重なって鬼のような遅さにつながっているのです。

老練ということで何となく藤原文太を思い出しました。

文太VSセナという粋な動画。(がありましたが削除されたようです

老練  曙光 537

Category:曙光(ニーチェ) / 第五書

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