緩慢な療養

疲れというものは結構軽視されています。どうせ療養するなら思いっきり療養した方がいいのは明確ですが、ただ休んでいてもなかなか疲れは取れるものではありません。

以前勤め人だった頃に、年配の上司に「ビタミン剤は歳がいくと効果を実感するぞ」と教えてもらったことがあります。しかしビタミンでは追いつかないことがあります。

今現在も気力はあるのですが、どうも神経が修復しきっていない感じがしています。

日々は一日万機。最も多忙だった時は、本当に全身が痙攣したことがあります。座っただけで全身がガクガクするというものです。

そうだ自然の中にいこう

療養地として地方の高原や海辺の町という場所は本当にいいところだと思います。寂然としていて澄んだ環境の中では、同じように座ったり横になったりするにしても回復力が異なってきます。

ただ単に寝ているだけでは、回復は遅かったりします。できれば年に数回、数日間高原に泊まりながら、喧騒からも電磁波からも離れて、自然の澄み切った空気の中ですごした方がいいでしょう。

特に何をするわけでもなく、ただ自然に囲まれて数日過ごすだけで、結構すぐに回復します。

という僕も、年に数回はそういったところに行きます。それどころか毎度の休みには京都市内中心地から少し離れた自然の中に行っています。

酸素濃度の違い

都市部はコンクリートなどの熱のこもりと、あともうひとつ酸素の薄さが体の回復を遅くしています。

酸素を摂るともちろん身体は酸化していくので、老化の原因といえば老化の原因なのですが、ひとまず都市部は酸素が薄すぎて頭も身体も働きにくいという特徴があります。二酸化炭素濃度など知れています。どちらかと言うと問題は酸素の薄さです。

試しに高原に行ってみてください。違いを実感するはずです。高原でなくても、山の方に行くとかなり違うはずです。

しかし、あまりに高い山になると今度は逆に酸素が薄くなっていきます。

ネパールのランタンに言った時、標高から換算される酸素濃度は平地の60%でした。確かに息苦しかったのを覚えています。

また、夜はあまりよくありません。植物も呼吸をしますから、光合成をしている朝や昼間のほうがいいでしょう。

一瞬で寝てしまう

最近は連泊となると兵庫県の高原に行くのですが、気持ちとしては高原を駆けまわりたいにもかかわらず、現地につくと一時間くらいで寝てしまいます。いつも但馬の方に行きます。

爆睡ツアー「多く眠る

起きて食事を摂って9時くらいになると、またすぐに眠気がしてきます。

たいていは風呂にも入らずに寝てしまいます。

全身からノイズが消えていくような体感とともに、気付けば朝という具合です。

その後京都市内に帰ると、すぐに身体が「コーヒーを1リットル飲んだ時」くらいの重たさになります。特に夏の京都は湿度が半端ではありません。クーラーで除湿した部屋に入ると一気に身体が軽くなります。

但馬から帰ってきたら帰ってきたで、今度は身体が苦しくて寝るしか無いという感じになってしまいます。

人の多い電車の中や、大阪などに行くともっと苦しくなります。

そういうわけで閉めきった部屋などもあまり良くありません。

療養すると言っても、何時間寝ればいいというわけではなく、寝るにしても質を高めたほうがいいかもしれませんね。

緩慢な療養 曙光 462

Category:曙光(ニーチェ) / 第五書

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