緊張時や不眠時の精神統一について軽く触れていきましょう。
緊張しているときや眠れない時は、落ち着こうと思ってもなかなか落ち着くことができません。
また無駄な思考や妄想がループしたりして無駄に疲れてしまうという時もあります。
そうした時に「思考によって思考を制する」ということはなかなかできません。
なので、手綱を取るように暴れる思考を制する実践的方法を軽めに少しだけご紹介します。
意識の散らかり
落ち着きの対極にあるものは、混乱や妄想といったものになります。そうした物を含め思考の活動は、刺激に対して反応するということもありますし、その他どうあがいても生存本能があるため何かしらのエネルギーが常に意識上で渦巻いたりしています。
そしてそれが集中力によって今必要なことに対する思考的演算に向けられている場合はいいですが、今以外のことで「答えが出ないようなこと」、「考えても無駄なこと」「意味がありそうでないこと」に気が向いてしまうと混乱や妄想が止まらなくなってしまったりします。
混乱や妄想が起こると緊張したり不眠に陥ってしまいます。
しかしながら「さあ落ち着こう」とか「集中しよう」とか「無心になろう」などと思ったところでなかなか落ち着きを取り戻すことができなかったりします。
思考で思考を抑制するような形で、意識の散らかりを抑えようとすればするほど、より散らかってしまったりしますし、抵抗すればするほど押し返されてしまったりもします。
横になるよりも座るほうが落ち着く
さて、不眠時においては、だいたい横になって意識が落ち着くのを待つということをしてしまいます。
しかしながら、横になったほうが体は休まるものの、姿勢を保つということをしなくてもよくなった分、意識は思考寄りになってしまうという構造を持っていたりします。
ということで、眠る姿勢でいるよりも、座っていたほうがまだ幾分意識の散らかりはマシになります。
なお、横になったままであっても自律訓練法や筋弛緩法によって緊張を解くということもできます。そうしたものは結構有名であり、改めて触れる必要もないような気がしますし、触れるにしてもまた別の機会に触れることにして、今回は「緊張時や不眠時の精神統一」として座ったり立ったりして行う精神の統一について触れていきます。
ありのままの現象の観察
普段「ありのまま」という言葉が用いられる時、「他の人の目など気にしなくていいのよ」というようなことを伝えるべくという感じになっていますが、ここでいう「ありのまま」はもっと厳密であり、哲学的な限界領域としての「ありのまま」ですのでご注意ください。
本来は有身見を見破るため等々の実践法であるヴィパッサナーのひとつですが、緊張時や不眠時における意識の散らかりを制するものとしても応用できますのでご紹介しておきます。
ということで、完璧にはできなくても大丈夫です。ただ、本質的には有身見を見破る等々の実践法であるので、働きだけに着目しマインドフルネス(笑)などというようなもののように「実生活の質を高めるため」的にだけ捉えることは避けてください。
証明の必要がなく、今本当に起こっていること
ポイントとしては「証明の必要がなく、今本当に起こっていること」が「ありのままの現実であり現象である」ということに着目するという感じです。
例えば、今、座っていればお尻に接触の感覚があるはずです。その「感覚」は対外的な証明の必要がない「今、本当に起こっていること」であるはずです。
しかし、「今、30歳である」とか「明日は給料日である」というようなことは、厳密に哲学的には本当かどうかわかりませんし、言語的定義によってぐらついてしまう意識的・言語的・社会的な属性を持った現実です。
厳密な「今のありのままの現実」には属しません。
というような感じで、ありのままの現象、ありのままの現実を観察していきましょう。
というと、難しそうなので、ひとまずは「緊張時や不眠時の精神統一」として「呼吸の膨らみと縮みを観察する」という方法をご紹介します。
呼吸の膨らみと縮みを観察する
できれば座った状態で姿勢がぐらつかないような姿勢で行います。理想は結跏趺坐や半跏趺坐、正座ですが、あぐらでも構いませんし、椅子に座っていても立っていてもできます。横になってもできますが、横になると意識が散らかりやすいので最初は座る姿勢の方が良いでしょう。
数回程度深呼吸をします。腹式呼吸がいいでしょう。その時に自分の動作を言語でラベリングします。「吸う」「吐く」といった感じです。別に「吸うぞ」「吐くぞ」でもいいですし、馴染みやすい言葉を使用してください。
この時、まだ「私」が「吸う」、「私」が「吐く」という感じになっていますが、この時点ではそれで構いません。
あくまで「こころのエネルギー」が体を動かしている、という感じで無意識的動作を能動的に意識的動作として取り扱っているぞという感じで実感してください。
深呼吸が終わったらしばらく待ちます。意識的動作から無意識的動作に移行するのを見守るような感じです。その間、「待つ」という感じでラベリングし、「無意識的動作を見守っているぞ」という状態になるまで気づく度にラベリングします。こころの中で唱え続ける感じでいいでしょう。この間だいたい2、30秒くらいです。
で、無意識的な呼吸に戻ったくらいの時に、呼吸によって得ている体感の方に意識を向けます。
体の膨らみと縮みを観察し、それを捉えた時に「膨らみ」「縮み」といったふうにラベリングします。
この時、「吸う」「吸っている」「膨らませている」というふうにラベリングするとその言葉の前に「私が」がくっついてしまいます。つまり主体の概念が生まれてしまうという感じです。
なので、「ただ現象が起こり、その信号を認識する働きである心が受け取っている」という感じで「膨らみの体感」を観察し、意識では「膨らみ」と言語的にラベリングするという感じで過ごしてみましょう。
そして、膨らみの生起と消滅を観察しましょう。
膨らみきれば、必ず膨らみから縮みへと向かいます。縮みに向かい出した時、それまではあった膨らむというプロセス、膨らみへと向かう方向とエネルギーは消え、縮み向かう方向とエネルギー、プロセスが始まります。
その生と滅を観察し、言葉でラベリングしてください。
意識が集中するまでの間、何かしら別のことに意識が向かい出した時は、「虚像」や「妄想」とラベリングして、「それはそれで起こった」ということを観察してください。どこかしらに痛みが走ったら「痛み」とラベリングしましょう。あくまで「痛み」であり「痛い」になると「私が」がくっつくので注意してください。
数分でも精神は統一されていきますし、数十分続けるとそれまで感じたことのないような体感が「ふっ」とやってくるかもしれません。
緊張が解けるとか不眠が解消されるといったレベルをはるかに超え、ありのままの現象、ありのままの現実の姿が見えてくるはずです。
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