本ブログも八周年を迎えることになりました。そして、なんだかんだ本投稿で2022となり、西暦2022年に追いつきました。
祝七周年の時は1942記事だったのでこの一年で80の投稿をしたことになります。
やはり投稿をするにはある程度まとまった時間が必要になり、そうしたまとまった時間が取りにくいということが投稿数の少なさに影響しているような感じになっています。
さて、常連さんいつもご高覧ありがとうございます。コメントを寄せていただいた方やcontactからご連絡を頂いた方、また、ひっそりと読んでいただいている方々、いつもありがとうございます。
アクセス状況
この一年でこのブログにやってきた人の数は、88,895名ということのようでした。その前の期間は170,737名だったので年間ベースで8万人強減少しました。
最も強い影響としては、フェイクニュース対策という名目で、実在証明のある権威性のあるメディアや法人を優先するようになった検索アルゴリズムの影響であると考えられます。
男女比は、男性 50.44%、女性 49.56%といった感じです。
今回もやや男性のアクセスの方が多い結果となりましたがほぼ半々です。
23区を市扱いにした上での市町村別アクセストップ10は、横浜市、大阪市、名古屋市、新宿区、京都市、札幌市、港区、さいたま市、福岡市、世田谷区という順になりました。順序の入れ替えはありますが、トップ10を構成する市・区は以前と変化はなく、この10箇所で安定しています。
なお、国外アクセスの1位はアメリカで、全体のうちの0.41%がアメリカからのアクセスでした(スパムが多いため中国とロシアは未だにアクセスを拒否しています)。
自然検索が、85.90%、Directが、11.83%でした。
ソーシャルからのアクセスのうち、92.97%がTwitterから、4.84%がFacebookからでした。
年齢層
- 18-24 30.63%
- 25-34 25.94%
- 35-44 21.33%
- 45-54 11.40%
- 55-64 5.81%
- 65+ 4.88%
順序としては、18-24 が増加する形になりました。年齢層が若年層化している傾向にあります。
デバイス
- mobile 69.16%
- desktop 28.40%
- tablet 2.44%
今回もまた、昨年に比べてややdesktopの比重が高まりました。
サイト全体の本文文字数
本投稿を含む文字数は、
全投稿の本文文字数 4,847,296字
1投稿あたりの平均文字数 2,397字
でした。
サイト内検索
毎度おなじみサイト内検索です。
この一年で2771の検索ワードがありました。昨年よりもまだ一般的なワードが多い傾向にありました。
トップ10は次のとおりです。
- 失敗
- 怒り
- やる気
- やりたいこと
- 結婚
- ストレス
- 感情
- 退屈
- 自我
- 道徳
なお、Z会は14位に上昇しています。
投稿数が西暦に追いついた
昨年くらいから「いずれそのうち感」がありましたが、投稿数が西暦2022に追いつきました。
ちょっとした達成感もありますが、達成感を味わいすぎるとそこでエネルギーが切れてしまいますので、あまり味わいすぎず次を見ることにしています。
西暦2022年にちなんで、2022年的な違和感についてでも触れていきましょう。
BeのためのDo
先日、流れているラジオを聞いていると、米国発祥の自己啓発に洗脳されたような雰囲気で「BeのためのDo」というような言葉遣いをしている人がいました。
もはや狂っているとしか思えません。環境についての薀蓄をさんざんと語ってはくれているのですが、アメリカ発祥の自己変革プログラムを応用したような洗脳を受けたような雰囲気がありました。
だいたい環境関連は綺麗事を言っているだけで責任は取らず、自惚れているだけというのがほとんどで、かつ、どうせ何かの原料利権を進めるためだとか、それに応じた有料化の大義名分を作るためだけであり、マネーゲームに利用されているだけというのがその実際です。
反り返ったポケットモンスター
熱く語るというのはいいですが、その熱さというのがどうも股間に忍ばせた「反り返ったポケットモンスター」的な雰囲気があります。
すなわち、その先の快感への期待から股間が三角テントのように張っている姿を見せつけられているだけというような印象があるわけです。
何かしらのこじらせに対し、それを解決するものとして、何かと何かが関係づけられているだけ、というような雰囲気があり、その前のめり感がどうもポケットモンスターの反り返り的な感じに見えてきます。
その印象のその奥には、「なぜそんなにムキになれるのかがわからない」というようなものがあります。なぜそんなに熱くなれるのか、というようなものです。
例えば、交通犯罪の被害者遺族が、飲酒運転撲滅とか高齢者の運転のあり方について、世の中を良くしていこうというのであれば、熱くなる理由が理解できます。
しかし、民主主義的正当性をパスした、よくわからない国際目標みたいなものに熱くなれる、というのは理解ができません。
そしてその熱くなり方も、「何としてでも今晩よろしく」というような前のめり感となっています。
何かしらの達成を海綿体刺激や排泄と結びつけているのではないかというような鼻息の荒さです。
あげく語り口調が「BeのためのDo」というようなことになるのであれば、それは洗脳を感じてしまうわけです。
そんなものにはもちろん付き合っていられません。
全体的な認知機能の低下
そういえば身の回りにおいても人々の「認知機能の低下」を感じることがよくあります。
様々なコミュニケーションにおいて、意味不明、支離滅裂感が出てきたと言うような感じです。
その背景には、普段の生活の制限が影響しているのでしょう。
やはり、外出して五感で刺激を得るということは大切なのだろうということを実感します。
昔から外で仕事をしている人は結構元気で、ITエンジニアのような人ほど発狂しやすいというような傾向があります。
外の空気を吸うというような些細なことでも皮膚は反応したりしますし、自然光を浴びるだけで様々なホルモンが活性化したりもするわけです。
ひとつ一つは小さな要素であっても、それらが欠けていくとどこかしらに歪みがくるというような感じがします。
最近ではやや高齢の方でもスマートフォンを持つようになりました。あの手の短文コミュニケーションにさらされるとおそらく人の頭はどんどん狂っていきます。
手足を動かすこと、肌で感じることは体のことと思われがちですが、感じているのは脳であり、動かさないと衰えていきます。
意識的に全身を使うように心がけるようにした方が良いと思ったりします。
言葉や考えの熟成期間
得た情報をそのまますぐに吐き出そうとすると、誤解が混じっていたり浅い表現となったりすることがよくあります。
しかしながら、すぐに吐き出せる環境にあると「すぐに吐き出したくなる衝動に勝てない」というような感じになっている人がちらほらいたりします。
言葉や考えにはある程度の熟成期間があります。
鮮度が決め手というような領域もありますが、一晩寝かせておいた方がうまいとか、しばらく漬け込んでおいた方がうまい、というようなものもよくあります。
対人関係についても同じような構造になっているものがあります。アランか誰がが言っていましたが、「指摘したいことがある場合、感情が落ち着くまで3日くらい待ったほうがいい。それくらい経ってまだ指摘したいと思ったら、伝えたほうがいい」というような構造もあります。
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「こんなものを読んでどうするんだ?」と思われるようなものでも、そうしたものを膨大に読んでおくと、各々の中に含まれた細かな要素が知らぬ間に組み合わさってひらめきを生む時もあります。
ただ、すぐに出してしまうと浅い部分で概念が固定化され、組み合わせの材料になってくれない場合も起こりえます。
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なぜ自分が今その本や漫画、映画や音楽に触れているのかわからなくても、答えは先に待っているので気にせず楽しむというのが一番です。
「きっと何かしらの見えぬ意図があって、そのために必要なプロセスを踏んでいるのでしょう」というような楽観的な捉え方がベストです。
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といった感じで八周年です。
引き続きご愛読くださいませ。
メンタルが不安定になったときによく見に来ています
八周年、おめでとうございます
どうもありがとうございます。
はじめまして。八周年おめでとうございます。
数ヶ月前、ふと読み返した中勘助の「銀の匙」に出てきた植物について検索していたところ、bossuさんのブログに行き当たりました。
私自身高校生の頃からのパニックや不安障害の色々で苦しんだ10年間にそろそろ蹴りをつけたい、だいぶ終わらせたつもりだけれど、この先どうしていいか分からないような状態にいましたので、ここのあらゆる記事が大変参考になりました。出会えて嬉しかったです。
これからも更新を楽しみにしています。
はじめまして。コメントどうもありがとうございます。
引き続きご愛読くださいませ。