fender usa precision bass 1998

相棒プレシジョンベースとの20年

今年で我が相棒フェンダープレシジョンベースを手にとって20年になります。二代目なので、その前からベースを弾いていましたが、初代はお下がりの貰い物だったので、100%のマイベースではありませんでした。

新品のまま我が家に来たベースはこのプレベのみ。ということで100%僕専用であり、相棒としてこの20年間を共に過ごしてきたことになります。

中学校卒業祝いにと買ってもらったものなので、手に取ったのはまさに今頃です。

昔から物を買い換えるのは嫌いで、一つのものをずっと使うという方が性に合っています。

たくさんのものを経験するのもいいですが、一つのものと長く付き合っている中でしか気づけ無いこと、味わえないこと、それを見ようとすることの方が好きだという感じです。

フェンダープレシジョンベース

相棒 フェンダープレシジョンベース

第200回投稿記念」で少し触れていましたが、僕はぶっちぎりのプレべ好きで、ピックアップがひとつでトーン絞りしかない、しかしパワフルなところが好きです。また、張りたてのビンビンの音が苦手で、多少伸びてきた時の丸い角の取れた音が好きです。

ごまかしのきかない相棒

fender usa precision bass 1998

fender usa precision bass 1998

実際にアンプを通して出る音は、エフェクターとかアンプの機能によってコンプレッションがかかったりしていたとしても、このプレベ自体は僕の体から直に振動が与えられているわけなので、ごまかしはききません。

多少なりとエフェクトによって補正されている音とは別に、生身の体から生身のベースへと伝えるそれは、一切のごまかしがきかないという感じになっています。

そういうわけなので、その時々の自分の状態をすべて見透かされていたんだろうなぁと思います。

染み込んだ記憶

15歳から今までの僕の汗もフィンガーボードに染み込んでいるわけですし、20年間で感じた振動を、もしかするとボディの木は記憶していて、それに応じて変形しているのかもしれないとすら思います。

鳴らし癖に応じて本体が分子レベルで少なからず変形していたとすれば、まさに僕の20年間を記憶しているという感じになります。

よほどの理由がない限り、そんなものを手放そうと思うはずがありません。そういうわけで楽器を売る人の気持ちがあまりよくわかりません。

感染したベーシストで見える傾向

以前、コピーしてきた曲数で、好きなベーシストは大体分かってしまうということを書いたりしましたが、感染したベーシストが誰かによって、好みの傾向はもちろん、人格の傾向すらも見えてきたりします。

数年前、友人の結婚式用に寄せ集めメンバーで曲を演奏した時、スタジオ練習のときに違和感を感じたことがあります。

十代の時にありがちですが、自己顕示欲が強いくらいまでならまだしも、稀にボーカリストやギタリストの中には、その他メンバーをカラオケのオケとか、リズムマシンのように扱っている気配のある人がいます。

全体を見て全体を仕上げるという意図よりも、アドリブソロをガンガンにやってしまうタイプの人ですね。

で、そういう人が一人混じっていたので、キーボード担当と共に説教をすることになったということがありました。

「黙っておけ」というような強制ではありませんが、「一緒に歌うという感覚がないのなら帰れ」という感じです。

そんな時に思い返しましたが、やっぱり僕が感染したベーシストはテクニカルな人たちではなく、ややメロディラインが多いものであってもバンドメンバーと一緒に歌うベースという感じがする人たちでした。

「みんなに合わせる」という消極的な感じではありませんが、「全員で歌う」という感覚は大切だと思っています。

そういうわけで独りよがり感満載のギタリストに対して、「君の自慰行為に付き合うつもりはない」という旨を伝えたりしたわけです。

まあ、音楽の場合は非言語的で抽象的な領域における友情という感じですが、友情であれ愛の領域であれ、少なくとも相手を道具として扱っているような人と一緒にはいられないという感じです。

そう考えると究極の友情は、BUMP OF CHICKENであり、直井由文氏のベースに憧れを抱いたりします。

でもそれは僕が直井由文氏そのものになりたいというわけではなく、彼のように共感できるようなベーシストでありたいという感じです。

もしかするとその根底にあるのは、ピアノの先生への逆襲心があるのかもしれません(ピアノの先生と幼き日の弱さ)。

20年間の最初と今

ただ、僕個人としてベーシストとしての完成形としての憧れは亀田誠治氏ですが、この相棒との20年間を象徴するとするならやはり次のようになります。

J氏は僕の永遠のロックスターであり、最初から今までずっと変わることのない憧れのベーシストです。

男が惚れるベーシストです。

「溶けるほどかっこいい」

の一言しかありません。

そういうわけで、僕はJ氏への感染によってベースを始めることになりました。13歳の時です。

怒りが強く今の1万倍は怒り狂っていた当時の僕が、ベースを手にとっていなかったら本当にどうなっていたのかということを思うことがあります、

J氏のベースラインと、初代・二代目のプレシジョンベースがなかったら本当に危なかったと思います。

次の20年もよろしく。

Category:music 音楽

「相棒プレシジョンベースとの20年」への4件のフィードバック

  1. 若き日のbossuさんは何を感じて音楽に関わる職を選ばなかったんでしょうか。コメント頂けると幸いです。

    1. 他の記事で触れたりしていますが、職業的な生き方として曖昧な人たちと関わりたくないという側面があったのと、企業経営という別の表現もできることを知ったというのが大きいでしょう。
      また、僕の中にあった音楽を通しての怒りの昇華という一つの側面が終わったという面もあるのかもしれません。
      これは、昔からあまり欲がなく、怒りしかなかったという僕の気質によるものでしょう。
      でもそれよりも、音楽を愛し続けている大人を見て、音楽が好きなことと職業にすることは、全くのイコールでつながらないということに気づいたというのが本当のところかもしれません。
      職業にしなくても誰かのために曲は作れますし、音楽を好きでい続けることはできます。そして所得を得るという意味では、企業を動かしたり投資している方が稼げますからね。
      もちろん職業として活動すれば所得面は置いておいたとしても、より大きな経験ができるという側面もあると思いますし、想像していなかったような境地に立てるかもしれないという側面があったのを諦めたと解釈することもできます。
      なので、才能的に諦めたと解釈していただいても結構ですし、そうした経験よりも経済社会での活動の方に気が向いたという感じで捉えていただいても結構です。

      1. 記事にあったライブハウスでの一件ですね。

        この手で鳴らして食っていくというよりもスポーツインストラクターになったり画材制作会社に入る人のように、何かの裾野にしがみ付く道を選ぶこともできたのにどうしてそうしなかったのだろう?

        「職業が単に所得を稼ぐ手段であるならば何かを好んでいるからといってわざわざその裾野で生きなくとも好きなものは好きでいられるのだし、お金の周りから考えて端っこに行くのは下手くそではないか?」と考えていたのかもしれないと想像したのですが、「そうなんですか?」と聞くとこちらの側で前提を固定することになりはしないか?と思いまずはフワッと聞いてみようとしたのが先の意図でした。

        たぶん最初のお勤めは金融商品の営業さんだったのではないかと今までの記事を通して思っていたのですが、今日の記事を読んでそんなに音楽を愛していたのなら尚更どうして?という気になったのです。

        1. 「金融業界にいた超絶甘党のおじいちゃん」と「その息子である僕の父は経済オンチだった」という点が発端になっているのか、十代後半から広い意味での金融・金融経済に興味があり、職業選択においてはその思いの方が強かったという感じになると思います。
          「謎を解き明かしたい」という怒りの昇華の方が、思いが強いという感じです。
          「コンビニに買い物にすらいけなくなった」というところから「満足いくまで民法を勉強してしまう」という感じもそうですし、好きなことだからと言うより謎を解きたいという方が強い感じの気質が原因となっているのでしょう。
          また、これは後の解釈ですが、理想の女性像としておばあちゃんがベースになっているので、「おばあちゃんが惚れ込んだおじいちゃんのようになりたい」というものも深いところではあったのかもしれません。
          もうひとりのおじいちゃんは中小企業経営者だったので、結局両方のおじいちゃんをモデルとして職業選択をしている感があります。

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