油断させるために弱く見せる

武道の極意として「相手と友だちになること」そして「油断させるために弱く見せること」といったようなものがあります。

根本的に強いということも必要になりますが、それでも理想は「自分を倒しに来た相手と友だちになること」であり、基本姿勢としては「相手に準備させないがために油断させ、油断させるために弱く見せておく」というようなことになります。

そのうち「油断させるために弱く見せる」ということについて少しばかり触れておきましょう。

油断させておくと相手は準備を怠る

下手に強く見せてしまうと、相手はそれ相応の準備をして戦いにやってきます。

ということは、弱そうに見せておけば「お前くらい楽勝」と、余裕をぶっこいている相手を一瞬でこてんぱんにやっつけることができます。

事業をやっていると、会社規模による予測から、かなり油断して交渉してきたり、逆にこちらからの要求を突っぱねてきたりする場合があります。

最初は弱そうに見せておいて、いざという時、思いっきり相手の退路を断つくらいにこてんぱんに攻めます。

そうすると、ちょっと退路を差し出すと、こちらの言うとおりに動いたりするので笑ってしまったりします。

がめついおばさんの「これは押したらいけるぞ」への対応

例えばですが「がめついおばさん」のようなタイプの場合、本当は言っていないのに「言ったはずだ」とか、全く関係ないことまで「あなたと取引したことであれが上手くいかなくなった」とかそうしたことを言ってきたりします。

そうした事を「ひとまず言うだけ言う」ということができるほど雑な人たちです。

で、少し相手の話を聞いていると、「これは押したらいけるぞ」という錯覚を抱いてきます。押してくるということは弱いと思っているということです。

で、調子に乗ってきたところで、本当は言っていないのに「言ったはずだ」と言ってきたことに対して、「本当に言っていない証拠」をすっと差し出します。

すると、意識に空白ができます。

短時間的に「頭が真っ白」というような感じです。人によっては背筋に寒気が走るでしょう。

で、そのまま攻めても良いのですが、そうすると愛想笑いでごまかして去っていきます。収益も発生しません。

「さよなら」でも良いのですが、どうせならそうした「がめついおばさん」から「ふんだくってやろう」というのも良いのではないでしょうか。

で、気まずい空気が流れたところで、落とし所的な条件を差し出します。それほど深く付き合わなくてもよく、それほど大きな負担でもないようなことでありながら、こちら側に有利すぎるような条件で取引をするわけです。

すると気まずさから逃れたいがために、すぐに契約を結んだりするわけです(ただ、何度も顔を合わせなければならないようなものであれば、それに対する抵抗で拒絶が起こったりもします)。

こうしたケースにおいて、相手側である「がめついおばさん」は、こちらをナメて油断していたわけです。慢心や怠りがなければ、言っていないことを「言った」と言い張るには、反証しようがない点や、相手が折れるような相手の過失等々を頭に置いてから交渉を始めるはずです。つまり準備をしてから挑むはずです。

ところがスケベ心で「言うだけ言って、相手が自分の責任だと思って折れてくれればラッキー」くらいの感覚で話をしているわけです。

どうしてそんな慢心、油断が起こったかと言うと、「弱く見せていたから」です。

そしてこちら側としては、弱く見せつつ、ひっくり返せるカードをたくさん忍ばせておくというのが基本的な備え方です。

まあある意味で「蛇のように賢く、鳩のように素直に」といったところでしょうか。

弱そうに見えると標的にすらされない場合もある

普通、弱く見えるといじめや嫌がらせの標的になるのではないか、と思ってしまいます。しかしながら、本当に強くて弱く見せているという場合は問題ありません。低レベルな者ばかりが勘違いして絡んでくるだけです。そして絡んできたら「油断させておいて返り討ち」です。

また、本来そうした事をしてくる相手は、意外と本能的に相手が本当に強いかどうかを見分ける嗅覚を持っています。自己防衛のための本能か、疚しいことをしている人間ほどそうした嗅覚は優れていたりします。

ただ、強くて弱そうに見えるという場合はもちろん、実際に弱くて、さらに弱そうに見えると標的にすらされない場合もあります。

だいたい弱いから嫌がらせの標的になるのではありません。弱い上に強がっていたり、弱いわりに癇に障るような事をしている人が対象になる場合が多いという感じになっています(極端に性格の悪い共感性のない人が、無作為に弱い人を対象にする場合もあるので一応そうとも言い切れません)。

例えば、社会の中で最弱とも取れる赤ん坊や超高齢者の方は、基本的にいじめ、嫌がらせの標的になりません(なるとすれば加害者側が狂人か、何かが原因で発狂しているというくらいです)。

「絶対道を譲らない」という姿勢で道路にしゃがみこんでいる悪そうな集団がいたとしましょう。そこに病気や怪我で運ばれている赤ん坊や超高齢者の方がやってきて、救急隊員に「搬送するので道を譲ってください」と言われれば、すぐに譲るのではないでしょうか。

警察官という「強い感じの人」が来て「立ち退きなさい」と言ったとしても「うっさい!」と返すような人が、「大丈夫か?すまんすまん」といって道を譲ってくれるはずです。

ということで弱いということは、時に保護される側、配慮される側になりやすくなります。

また、目立ちにくいため、絡まれにくいという感じにもなっています。

「お金を持っていそうだなぁ」と思われることはデメリットが多い

また「お金を持っていそうだなぁ」と思われることは、時に自尊心を満たせるのかもしれませんが、それでも良いことはほとんどありません。

「お金を持っていそう」と思われたくて、そうした格好をしていたり振る舞いをしているということは、先の「弱いわりに癇に障るような事をしている人」になってしまいます(「電車の中で英書を読んでいる人」の「服の値段の自己申告」のようなものです)。

他人の金で遊ぼうとか自尊心を満たそうとするような相手が言い寄ってくるか、泥棒や詐欺師の標的にされるかというような感じになってしまいます。

そうでなくとも「本当はもっと儲かっていて、実は隠してるのではないか?」とか「変にお金を私的に使い込んでいるのではないか?」と税務署や監査にいらぬ疑いをかけられたりもするのではないでしょうか。

もっと細かなところでは、社会福祉等々のサービスにおいて、担当者の「親身になって相談に乗ろう」という気持ちを阻害してしまうというようなことも起こるかもしれません。

弱く見せるために服もこだわる

普通「服にこだわる」というと「おしゃれに」ということになりそうですが、そうしたこだわりは遊ぶ時だけで十分ですし、究極的にはしなくてもかまいません。

しかしながら、時に「弱く見せるために服もこだわる」ということが有効的な場合もあります。

相手の組織の様子をうかがうためにどのような服で行くのが理想的であると考えるでしょうか。

普通はスーツなり何なりでしょうが、僕の場合は「ホームセンターにおつかいに来ているおじさん」と思われるような服装を選ぶことがあります。

すると

「どうせたいしたことはないだろう」

と、勝手に思ってくれます。

「放っておいても大丈夫」

と、勝手に思い込んでくれます。

ということは僕の勝ちが確定します。

「そんな服を着ることは自分のアイデンティティが…」

ということになる人もいると思いますが、たまにドラマなどで「結婚相手を探している金持ちが相手の本心を試すために貧困層を装う」とか、「社長が新人バイトのフリをして現場の様子を見る」というような描写があったりします。

それと同じことをしているのだ、という意識があれば何の問題もありません。

「油断させるために弱く見せる」という一種の極意がある以上、僕は相手がどのような人でも、自分に慢心が起こらないように気をつけています。

Category:miscellaneous notes 雑記

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