あまりに人や世間に合わせて求めに応じてしまうと枯れてしまうことがあります。とりわけインターネット空間では、カラカラの土に水分を取られるように、細かい情報が生まれてはすぐに空間に吸収されていってしまうというような構造になっています。
少し生まれてはすぐに吸収されてしまうので追いつかず、結局どこかから引っ張ってきて洗練することもないまま吐き出すというようなことになっていきます。いいところ「どこぞの論文内容を引っ張ってきて説明する」というようなものに落ち着きやすいというのがわかりやすいかもしれません。
編集ばかりで新しい情報自体はあまり生まれていない
経験したり想像したり捻り出したりということは労力がかかるので、「編集」という名の下、誰かさんの情報を再利用するだけということになりやすい、ということは、その裏で本人の情報はもう枯れているというようなことになります。せめて手塚治虫氏レベルに様々な情報が練られているというのならば良いのですが、それほど新しい情報自体は生まれておらず、結構そのままという格好になっているので、新規の価値としては低いものとなっています。
別に吐き出したいものがないのであれば、発信としては何もせずに吸収というか充電というような感じでのんびりしていれば良いと思いますが、どうも無理に躍起になっているというような様をよく見聞きします。
「人気の維持」への強迫観念
そんな感じで人を狂わせてしまうのは、きっと「人気の維持」というような強迫観念ではないでしょうか。というようなことをいつも思います。
受け取り手側の意図としては「多少の暇つぶし程度」であったとしても、発信側としては「自分の価値=何かしらの数字」ということになっていて、そんな受け取り手であっても数字には変わりないので、自分の存在証明のために躍起になってしまうというよう感じなのでしょう。
受け売り的横流し
ということで注目を浴びようと様々なことを吐き出し、無理をしたりということになっていって終いには個人的情報、個人的な思考の範囲を超えてしまい、情報枯れを起こします。そしてその次に待っているのは「受け売り的横流し」です。
一時、キュレーションメディアというようなものが流行り、問題になり、廃れてサービスが廃止になっていった、というようなものもそれを示しているような気がします。作るよりも引用する方が早く、楽で、一度手を出すとやめられないというようなものなのでしょう。
情報が枯れた時に出る「狂い」
しかしそんな行動すらも全て、世間とインターネット空間に吸収されていきます。砂漠に水を撒くくらいに無駄です。
そして枯れて来た時に出てくるのは、「最も疲れている時に出てきてしまう、根本人格のうちの悪いところ」や「狂ったような仕草」です。
まあ本音が出るというような感じでしょうか。
うまくいけば情報をある程度の資産に変換していくこともできるのでしょうが、結局資産も精神のためのツールにしか過ぎないので、「悪徳営業が稼いだお金で豪遊して精神のバランスを取る」という現象と同じように、心にとっては遠回りなルートをたどることになりかねません。
しかしその裏では資本主義的に何割かがずっと掠め取られていっています。
というようなことを傍観すると、意図的にやっているようでも、手の内で踊っている感が否めません。
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