「気に入らない貰い物は、そのまま突き返してやるのが一番だ」ということで貰い物です。
人から物を貰うということにあたっては、基本的にはありがたく頂戴したりしますが、そんな中でも一応昔から「嫌いな人からは飴の一つも貰わない」ということを基本にしています。
ということで、物を貰うということについて一元化しているわけではありません。悪意を含めて相手の思いを受け取るのか否か、というところをどう取り扱うのかによって、精神の負担が変わってくるからです。
一応「律儀に反応するかどうか」というところは一種の配慮、マナーとしてきちんと対応しておいたほうがいいだろうということになりますが、物を貰うということ一つとっても、あくまで物を媒介しているというだけで、「相手の意志や思いを受け取ってしまう」ということになるので、それらが邪念に満ちたものであるのならば避けた方が賢明です。
返報性の原理と精神上の負債
なぜなら、相手は、返報性の原理を利用して、字のごとくマインドコントロールをしようと思っている場合があるからです。
最近では結構有名になっていますが、返報性の原理とは結局「恩に報いる」という性質であり、「何かをやってもらったらお返しがしたくなる」という心の性質です。それ自体は普通といえば普通の感覚ですが、これを消極的に捉えた場合、何かをしてもらったら「お返しをしなくてはならない」という精神上の負債を抱えることになるという感じになります。
というような心の動き、返報性の原理を利用して、後に自己都合を叶えるためにと本心からではない施しを行いマインドコントロールをしてくる人もいるという感じになります。
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体育会系でタチの悪い輩は、「おごること」などで上下関係を作ろうとします。
そして「いざという時に逆らえないようにしておく」という感じです。
そういうわけなので、実質的に金銭ベースで考えて得をしたと思っていても、「何かしらお返しをしなければならない」という精神の負担、精神上の負債を抱えてしまう事になりかねません。
先にバラマキを行う催眠商法
極端な例を上げると、催眠商法などにおいても、まず先にバラマキがあったりします。
タダで振る舞うということをしておいて、次には、胡散臭い営業であっても「話くらいは聞かなければいけない」という圧力をかけます。そして、最終的には「断れない」という状況を作ります。
ということは、最初のタダで振る舞うということの奥にある思いや意志としては、単なる慈悲や布施といったものではなく、「断れないようにする」というものであり、一種のマインドコントロールを目的としているというわけです。
(催眠商法の現場に潜入し、その実態を垣間見た時の様子「信者の値打ち」)
不作為によって相手の邪念を焼き滅ぼす
そういうわけなのでマインドコントロールを防ぐという意味では「受け取らないこと」が基本です。
とりわけ善意でも好意でもなんでも無く最初から騙したり、人を都合よく使おうとしているような輩のニオイがした時は、のらりくらりと受け取りを断るということをしておいたほうが無難です。
受け取らないとなると相手は「チッ」という感じで拗ねるでしょう。
一度くらいならば、そのような感じで拗ねる程度ですが、何度も何度も拒否され、誰しもに拒否され続ければ、「自分は一体何をやっているんだろう」と哲学者の思索モードのようになるはずです。
ということで、「受け取らないこと」は、不作為によって相手の邪念を焼き滅ぼす種となります。
そういうわけなので、悪意が含まれたような「貰い物」は、何も物に限らず、声がけやメッセージなどを含めて受け取らず、受け取ったとしても反応しないというのがベストです。
これは後々改心した輩が、自分の記憶を振り返った時に絶望してしまうということを少なからず予防する行為でもあります。
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