先日、ちょっとだけ連投した時に、本当はもう一つくらい投稿する予定でしたが、「寝かせたほうが面白いだろう」と思ってあえてやめておきました。
で、その内容を書くのかというと、それもまた違います。
「それが吹き飛んでしまった」というのが事実です。
何となくですがその前日まで、どこかで「相手の方がよく知っているだろう」というような萎縮があったような感じでした。
AI(人工知能)・LLM(大規模言語モデル)関連であったり不動産・金融関連であったりです。
「知っているから何だ?」という面もありつつ、自分でもある意味でのこれからの社会への憂いがあったような感じでした。相手の方が大きく見えて、相手に権限があるような気がしていたのかもしれません。
ある意味、相手も答えが出ていない中、その相手に答えかそのヒントでももらおうとしていたのでしょう。
しかし連投後に、「え?そんだけ?」というような風に意識が変わりました。
変わった瞬間にやってきたのは爆笑です。
一種の悩みというか煩悩のようなものは、意識が高まるとすべてが吹き飛びます。
で、思い返してみるとここ数ヶ月で、ちょっと前まで大丈夫だったものが少し無理になってきたりしています。
ちょくちょく行っていたお店に、改めて行く気が全くしないというようなものです。
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特に爆笑してしまったのは、AI関連でしょうか。
その影響と「娘をどう導いていくか」が最重要課題でしたが、基礎学力よりも問題解決能力等々、考えてみると重要度においては別に変化はありませんし、何なら基礎学力はあまり重視されない傾向にということ自体がズレていると思っています。
理由は簡単です。
今、AIをうまく使っている人たちは、それがなかった時代に基礎学力や専門知識をつけていた人たちです。
今後「知識面はあまり役に立たない」という論調は、現在技術をうまく利用している人たちの背景をあまり考えていないような気がします。
例えば、今いる人達を圧倒して、小中学生たちが世間のあらゆる分野で革新をもたらし、世間を動かしているというのであれば、基礎学力不要論も成り立つのかもしれません。
極端に言うと、もし「今後、基礎学力が不要である」というのであれば、年齢関係なく小学生でもせめて大人と同じ土俵に立っていなければおかしくなります。
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あと動画を中心とした「うーん…どうかなぁ…」と感じるようなコンテンツ等々については、考えてみると昔からつまらないテレビ番組というものもたくさんあることを思い出しました。
自作自演のステマ記事等々についても、昔からテレビでキャベツの健康効果が特集されればスーパーのキャベツが売り切れになったりもしていたので、「結局根本は変わっていないじゃないか」ということを思ったりもしました。
変わっているようで、根本は変わっておらず、マスから部分的にパーソナライズになっただけという感じです。
一瞬そんな事を考えて、午後は○○おもいッきりテレビや笑点、新婚さんいらっしゃい!、そしてサザエさんなどを思い出し、テレビをゴルフクラブで叩き割った日を思い出しました。
そこで爆笑その2です。
笑点を見て爆笑している父方のおばあちゃんの横で首を傾げていた小学生時代を思い出しました。
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あと、昭和の肯定と昭和の否定が顕著だなぁと思ったりもしました。
情報過多の時代において店主の人柄だけで成り立っている中華そば屋は昭和の肯定であり、逆に脅したりゴネたり「まあまあまあ」と誤魔化して通じるような昭和の文化は否定されていっているような気がします。
不動産・金融関連においても、なぜか土地持ちやお金を貸す側の方がパワーバランスが上のような空気感があります。
しかしながら普通に考えると不動産や金融においても、結局お金を払ったりしている「お客」は、借り主の方であり、偉そうにされる筋合いはなく、そういうものはお互いの合意、契約で成り立つだけです(別に偉そうにされたわけではありません)。
最近では物件も余っていたり「バーチャルオフィスでいいか」となったりもしています。また、金融サービスにおいても海外の事業者が敷居を低くして国際展開したりしています。
そうなるとそちらに流れます。
「パリサイ人」的に偉そうにできる根拠がどんどんとなくなっていきます。
そういう面も含めて昭和の悪い部分が否定されていっているような気がします。
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あとスマホ依存的なものについても、昔からおばさんというものはテレビ依存のようなものがあり、家事よりもサスペンスを優先するというような人たちもたくさんいたので、デバイスや通信という環境だけが問題なのではなく、根本的にそういう性質が強いのだということを思い出したりもしました。
ただ、より個人的なものになっているので、テレビ漬けよりも多少タチが悪いという点はあります。
もちろん娘には持たせる気はありません。