怒りによって見えなくなる「相手の責任の範囲」

稀にですが、それ以上言っても仕方がないのに、それ以上のことを言って、何かしらを求めてくる人がいます。

いわば、それ以上感情に任せて怒りちらしたところで、現実的にどうしようもないのに、現実に即したことは行わずに、「自分の感情を落ち着かせろ」とでも言わんばかりに、やたらと謝罪等を求めてくるというような感じです。

もちろん僕はこの手の人には、意味のない謝罪はしませんし、要求にも応えません。意味がないからです。

責任の範囲と帰責事由

社会生活において、とりわけ契約等々においては、責任の範囲というものがあります。そして、何かが起こったり、目指すべきものが達成しなかったとしても、責任の範囲においてこちらに帰責事由がない限り「言われる筋合いはない」という構造になっています。

例えばですが、自分が電話機を設定代行する業者だったとして、設定は完璧であるにも関わらず、電話回線自体のトラブルで、電話がつながらなかったとします。

この時、電話機の設定自体に間違いがなく、電話回線が復旧した時に電話がつながるのであれば、今電話がつながらなくても、自分が責められる謂れはありません。

そんな時に、相手が「今すぐ電話したいのに」という怒りを生じさせ、向けてくる矛先が自分だった場合はどうでしょうか。

「知らんがな、電話回線を取り扱うところに言ってくれ」

と思わないでしょうか。

調査をして、電話回線にトラブルがあったことがわかり、そちらに連絡をしてくれという案内もしたとしましょう。

それでも

「どうするんだ!」

などとほざいてきた場合は、どう思うでしょうか。

「知らんがな。復旧まで待ったら?」

の一言です。

「こんな仕事ぶりでいいと思っているのか?」

というようなことを言ってきたらどう返すでしょうか?

「私に責任はありません」

と返すはずです。

これが責任の範囲であり、自分が請け負った部分、行った部分に関して落ち度がないのであれば帰責事由はない、なのでどうしようもない、ということになります。

怒りを向けたところでどうしようもない

怒りをこちらに向けたところで、こちらはどうしようもありません。

怒り散らした分だけ、早く復旧するのであればそうすれば良いですが、復旧させるのはこちらではなく「あちら」です。先の例で言えば電話回線を扱うところです。

少なくとも文句を言うならば「あちら」に言えば良いと思うのですが、今現実にコミュニケーションを取っているのがこちらで、ついでに言いやすいからといって、こちらに意志を伝えても何の意味もありません。

そのようなことは小学生でもわかるはずですが、大の大人でも感情に狂っている時はそのようなことも見えません。

謝る要素がないのに謝罪を要求

こうした時に「謝りに来い」などと意味不明のことを言う人もいます。

しかしながら、客観的に普通に捉えれば、謝る要素はどこにもありません。

謝る要素がないのに謝罪を要求されているわけです。

根本から論理が成り立ちません。

こうした時の要求としては、何かしら自分の感情を害したことを詫びろということなのですが、害したのはこちらではありません。

過度な期待と慢心

どのようなサービスでも、時折障害が起こるのは普通です。いつも開いているお店が臨時休業ということもありますし、予約していたとしても、スタッフの急病等々で臨時休業ということも常に可能性としてはあるわけです。

電気でもたまに停電します。水道やガスもたまに新しい管に替える工事をする時に一時的に止まったりします。自然災害もあります。

ということで、そうした物事は常に完璧で常に大丈夫ということはありませんし、不可能です。

電車やバス等々の公共交通機関も来る時間がずれることがあります。郵便や宅配便等々も誤配が起こったり、到着が遅延することもあります。交通機関も荷物の到着も、日本は精度が高いですが、海外では遅れたり、間違ったり、紛失したりということがよく起こったりします。

しかしいくら精度が高くても、たまには何かしらのトラブルが起きます。

ということで怒りの種は、それを「常に大丈夫」と過度に期待していた慢心ということになります。

冷静さを保っていれば、現状から自分がどのように振る舞うのが、最も良いのかなどすぐに判断できます。

それならばそうと、できることできないことを把握して、できることだけやっておけば良いということになります。

こうした冷静さの準備として、「様々な要因があるのだから、常に大丈夫というわけではないだろう」という心づもりを常に多少持っておいた方が無難です。それはこの心にも、本来の計画遂行にとっても、という感じです。

言いがかりをつけられた側の態度

さて、責任のない相手から謝罪をもらって何になるのでしょうか?

感情的なものの他に、代金を払わないとか、減額要求をするというようなことを狙っているのでしょうか?

とするならば、言いがかりをつけられた側の態度は簡単です。

「私に責任はありません」

と突っぱねるだけです。

「責任があるというのならばその立証をどうぞ」

という感じです。

「私に迷惑をかけているという認識はあるのか?」

と言われても

「私に責任はありません」

で終わりです。

その迷惑とやらと「こちら」との因果関係を証明してみればいいのです。

さあどうぞ。

さあさあ遠慮なく。

さあさあどうぞご遠慮なく。

帰責事由がないのであれば堂々と

ということで、帰責事由がないのであれば堂々としていれば良いという感じになります。

「押せばいける」などと、自分の保護者に駄々をこねて物を買わせようとするのと同じように、駄々をこねるような人もいますが、言われる筋合いがないのであれば、堂々と「知らんがな」と言えるはずです。

「駄々をこねられても意味がないので、意味のあることにしか応えません」

という態度を貫けば相手は、そのうち落ち着きます。

「悪いと思っているのか?」

「思っていません」

ということになりますが、そんな感情面のこと「思い」の面は質問に答える必要すらありません。

相手の感情面のことは放っておけばよいのです。

こうした時、相手の感情は、その精神レベルに応じて自爆的に起こっていることです。責任はありません。

慈悲を込めて堂々と無視しましょう。

Category:miscellaneous notes 雑記

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