単発的な情報の処理に慣れすぎているということから来ているのか、共感性が乏しいと言えばよいのか、物事を俯瞰する能力に欠けていると言えば良いのか、近年では言葉が通じなかったり、ふとしたことから意味不明な説明をされる場合が増えてきたりもしました。
以前「野放図への白眼視」で触れていた「…ということのようですが…そういったお話はどちらに伝えればいいですか?」「下!」というようなやり取りのように、それで相手がわかるわけがないということが推測できないようなタイプの人が増えてきたような気がします。
「そりゃあんたらの内輪ならそれで通じるよ」と言った感じで、相手が前提知識を持っていると推測できるならいざしらず、その前提知識が無い可能性のほうが高いということを推測できないという感じです。
まさに「愚」と言った感じです。
まあ先の例でも病院でしたが、今回もまた病院にて同じようなことが起こったので覚書程度に記しておきましょう。
再び大きな病院にて
先月、下部消化管内視鏡検査を受けました。
初診の時は紹介状を持っていっていたので、係の人が地下の検査室まで連れて行ってくれるというような段取りで進み、その日は何の問題もなく検査を終えることができました。
しかし、その検査と同時に行った組織の検査の方の結果を聞きに再診した時のことです。
近年の大きな病院でありがちですが、システム化されており、診察受付等々も機械にカードを入れて的な感じで進めるような感じでした。
前回は紹介状を渡して、その後全て案内される形だったので、こうした形での診察は初めてです。
「あちらで受付をお済ませください」とコンシェルジュ的な人に言われ、受付を済ませたのはいいのですが、レシートのようなものが出てきたのはいいものの、その後どうすれば良いのかわかりません。
ということなので、レシートを持って総合受付に行きました。
すると
「血圧を測ってください」
と言われました。
「どこで?」
という感じだったので、
「どこに行けばいいですか?」
と聞くと、近くの血圧を測る機械を指差される感じになりました。
「ああ、これでいいのか」
とは思いましたが、まれに「ご自由にお測りください」的に設置してあるようなものもあり、また、この時は診察だったので、「誰の監督もないまま患者が勝手に測ったようなデータでもいいのか?」というようなことも思ってしまいました。
まあそれでいいからそうなっているのでしょうが、「変な感じだなぁ」と思いながらとりあえず血圧を測ったりしました。
今回も予約診療かつ予約表のような紙も渡されており、そうなら事前にそこに記載しておいてくれと思いました。それに本当に血圧データが必要なら、食事タイミングとかも影響しそうなので、「血圧を測るなら事前に言っておいてくれ」とも思いました。
ということで、えらく適当だなぁと思ってしまいました。
まあこの日は前回ついでに行った検査の結果を聞きに来る程度だったので、「まあいいか」と思い、血圧を測り終え、また総合受付に行って次はどうすればいいのかを聞いてみました。
「じゃあ6診で」
すると
「じゃあロクシンで」
と言われました。
思わず「は?」と言ってしまいました。
結局「6診」こと第6診察室の前で待っておけということのようでしたが、先の感じもあったので、ひとまず少し説教しておきました。
「さっきからさ、全部知ってる前提で説明してるけど、なんでこっちがそんな内輪の専門用語をわかってる前提で話してるのかな?
そのロクシンはどこやねんな?
前回は紹介状で来て地下に連れてってもらったけど、そのロクシンは地下?この一階?どこ?」
と言った感じです。
最初に受付とコンシェルジュ的な人に、「前回は紹介状で来て、全部案内してもらったから、普通の診察は初めてで基本的にどんなシステムかは知らない」と言っていたはずです。
そんな時にふと、その人達は今まで何を教育されて生きてきたのか、と思ってしまいました。
きっと叱られたことがないのでしょう。ということで、僕が「初めての人」になっておきました。
「誰も言う人がいないなら、ぜひその一人目になりましょう」ということをいつも思っています。
「システムを導入して合理化するんはええけど手抜きすぎやぞ」
と言っておきました。
こうした「前提知識が無い可能性を推測できない人たち」との遭遇は病院で起こることが多く、かつ、大きな病院でばかり起こるような気がします。
まあ肝心の医師は、話がよく通じる方だったのでよかったです(逆なら大変ですからね)。
こうした事例は、奥にある構造を推測できずにその場の対応で「済ます」という感じになっています。そんな人で溢れかえってしまうと収益性も含めて社会的な仕組みがガタガタになっていくでしょう。
他の大きな病院での出来事。
予約時間に病院に向かったのですが…
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