人の多いところに行くと酔います。人酔いです。
旅行に行った時、大して何もしていないのに疲れます。
商品が多いところ、ショッピングモールのようなところに行くと酔います。
これらは一応「たいてい初めて見るもの」が情報として入ってくるからです。
19歳か20歳くらいの時に本を10冊読むと、それ以上読めなくなりました。大抵は気絶するように眠ってしまいました。
物理的には可能そうでも、短期的に溜めておける情報量には限りがあり、何かしらまとまるまでの時間が必要になるのでしょう。
それができないとなると、おそらく気絶するようにできています。
現代では、簡単に行くことはささっと物事が終わりますが、その早さに慣れていると、他のことが待てなくなったりします。
昔は数日かかっていたことが数分で終わる、そういうことはよくあります。
でも、数日かかるものはかかるものとして、構造上仕方ない場合もよくあります。
「早く終わる方が例外的」ということを忘れそうになります。
もちろん、結果ベースで考えて、何事も早く終わることにこしたことはありません。
しかしながらそれを基準にしてしまうと、結局、いろいろと損をしてしまうのではないかと思います。
で、「出すだけ出して出し切る」という点についてですが、大したことをしていなさそうでも、日々大量の情報を浴びているので、情報自体が溜まっています。
放っておいても落ち着いてはいきますが、放っておこうと思ってもまた情報が入ってきます。
そんなこんなでジャンク情報で頭がパンパンになります。
文字も逐次的には呼んでいないかもしれませんが、速読的に一応全部無意識的に読んでいるとすれば、流し読みでも大量の情報になります。これに画像が加わればものすごいことになります。
ここ数年で「大したことではないのに疲れるなぁ」と思ったことといえば、アイキャッチ画像用の画像を探してPC内の画像をいろいろと見て回っていたときです。
大したことをしているわけではないのですが、ものすごく疲れました。
画像が持つ情報だけでなく、自分が撮ったものであるならその前後の記憶なども振り回されるので、より情報のうねりは激しくなります。
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で、こうした情報は、何かの形でまとめたほうが早く頭をクリアにしていくことができます。
ということで書いているのですが、とにかく情報というものはインプットに偏りがちです。
なので出して出して出しまくるしかないのですが、やはり書いていると頭はまとまっていきます。
こうした時にうまくやろうと思うと進みません。
読む人のためにという着眼点もよいですが、それでブレーキが掛かるのであれば、それはそれで別の時にやって、とにかく出しまくるしかないと言う感じで進めたほうが楽です。
なんでもいいから書いていいとなるとスラスラと書けるものです。
ただ、たまにその何でもいいから書いていいが足枷になる場合もあります。限定されている方が書きやすいという感じです。
これはおそらくどれだけ情報が溜まっているかによって変わるのだと思います。
出すだけ出して出し切るとよく眠れるようになります。
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意味不明な思い出というか、なんてことない不要な記憶、どちらかというと自分の気分を下げるような記憶を思い出すときがあります。
本当に無駄です。
そうしたものを思い出して、さらにそれに抵抗するということに日々のエネルギーを無駄に使っています。
たいていエネルギー不足を感じる時は、根本的に不足しているのではなく、自分への否定とか他人への非難とか、そうした記憶への対抗とかそうしたものにエネルギーを使いすぎているというのが本当のところです。
ただ、気にしなくていいことはわかっていながら気になってしまうという構造になっています。
しかしここで気にしないでおこうと抵抗するとまた抵抗することにエネルギーを消費してしまいます。
なのでいっそ、出てきた考えは言語化して記述したりする方がいいですね。
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大したことは書いていないのですが、今書いていると、明らかに調子が良くなってきました。
そう考えると、これもやはり人間としての「仕事」に近いような気もします。
たまにボーっとするときがありますが、あれはあれで無意識で計算しているだけですね。
ただ、それをさらに加速させるのが記述です。
もちろんこれは人によって異なると思います。
言語空間が得意な人はその傾向があるのではないかと思います。
まあ考えてみるとヴィパッサナーも一種のリアルタイム記述ですからね。
現代においては情報量が増えていたり想定外のパターンが来たりするので、集中力を保つためにはより一層工夫が必要になるような気もします。