お母さんというものは不思議な存在です。
もともと体がつながっていたのだから、その時点から不思議が始まります。
会社を作った時です。
僕は男に生まれたので、子を産むということができません。遺伝子的に。
でも、なんとなく我が子を産んだような心持ちになりました。おそらく実際のお母さんの気持ちとは別物なのでしょうが、世の男性クリエイターや起業家の「何かを生み出したいという気持ち」は、もしかしたら女性への永遠の羨望とリスペクトがそうさせているのかもしれません。
オカンとの修行
お母さんとは最大級の修行をしなくてはなりません。
最高の瞑想(深い意味はありません)対象でもあります。
世にはマザコンと言われる人がいます。
しかし、ほとんどの人はマザコンなのではないでしょうか。
そして、お母さんの代わりを求めて女性に近づく人もいます。
そして、その人とお母さんを比較した時にお母さんを優先してしまいます。
女性の最大テーマは「支配」であるというようなことを言った人がいます。
ニーチェです。
そして我が子を通して、または夫を通して自己実現、自己表現をする、というようなことも聞いたとことがあります。
オカンは息子で自己表現します。
ということは、その息子を「支配」できていないと困るわけです。
まして、他の女に支配権を奪われたとなれば、自分の生きがいがなくなってしまいます。
そういったことで、嫁をいじめることになります。
ニーチェがそんなことを言っていました。
そんなオカンと、いつしか勝負しなければならない時がやってきます。
普通は、粗末に扱いたくない、喧嘩がしたくないという気持ちのためにこれを避けようとします。
粗末に扱わずに喧嘩もせずに解決する方法があります。
それは説法です。オカンより先に悟ってください。
というのではハードルが高すぎるのかもしれません。
それでもただ一つだけ、重要な点があります。
人の幸せと自分の幸せは別物だということです。
何かを媒介して、幸せを感じることはできますが、その媒介は遠回りなだけで、直接的に感じることはできます。
自分の状態を相手の安心の条件にしないこと。
これができるかできないかで、すべてが決まります。
できなければ、勝負は何度も繰り返されます。
「自分がどういう状況であれ、この人は幸せなんだ」
それを確信して、当たり前だと思える時まで、修行は続きます。
そして論理上で勝負するわけでもなく、「なぜか嫁をいじめてしまう」オカンを解放してあげましょう。
吉本隆明氏の言葉で「お母さんは自分の手料理で家族を馴致することができたらきっと家族を支配できる」というような旨の言葉があります。かつて、家庭で台所は母の聖地であり不可侵であるというような空気がありました。
よく嫁姑問題は台所から勃発するということがあります。それは家庭内における支配権獲得のための女性の聖地争いという面があります。本能レベルとまでは行きませんが、食による馴致は、かなり古くからの伝統として根強く残っています。
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