アフォリズム 601-610
- 601.「男」として、女との付き合いに辟易した男への処方箋
- 602.パパゾンビへの処方箋
- 603.はっきりと示された女の反応
- 604.ゆったり者の適職
- 605.役人のお願い
- 606.君たちの目標
- 607.いいところを引き出せない場合
- 608.努力不足ではなく適性
- 609.評価対象のあり方
- 610.主従関係の逆転
601.「男」として、女との付き合いに辟易した男への処方箋
「男」として、女という生き物との付き合いに辟易し、混乱し、錯乱し、今後どのように付き合うべきかに迷う男への処方箋は、
サマセット・モームの「人間の絆」、「月と六ペンス」である。
「はっきりと示さなければ気づかない」という意味で、あくまで極端を示すための処方であり、答えをそのまま示すものではない。慈悲との葛藤も生まれるだろう。
しかしながら、ひとまず迷いは半分程度落ち着くだろう。
一方、様々な感情が押し寄せるだろう。
それらを消化し、慈悲との統合、抽象化することを願うところである。
602.パパゾンビへの処方箋
女子供の言いなりになるとどうなるかを示すもの、パパゾンビへの処方箋は、オノレ・ド・バルザックの「ゴリオ爺さん」、サマセット・モームの「月と六ペンス」である。
人によっては、笑ってしまうかもしれないし、笑えないかもしれない。
こちらもあくまで極端を示すための処方であり、答えをそのまま示すものではない。これもまた慈悲との葛藤が生まれるだろう。
しかしながら、こちらについても迷いは半分程度落ち着き、ゾンビ化を治癒させるものとなるだろう。
603.はっきりと示された女の反応
おそらく先の書によりその性質がはっきりと示されてしまった女性側としては、ムキになって反抗するか、ため息が出るだろう。
ただ、弁護しておくと、自らでもどうしようもない点であり、彼女たちにも悪気はない。
604.ゆったり者の適職
一般的に仕事というものは速度を求められ、速度が高い方が人に求められる。
ゆったりした者は、そうした「速度が求められる職業」に適していない。その一方、「ゆったりとした時間経過」にストレスを感じないという強みを活かし、早くこなしても仕方がないような業務、あくせくしない方がありがたがられるような職業に就くとうまくいく。
「なるべく短時間で可能な限りたくさん押す」ということが求められているのではなく、「1時間かけてゆっくり押す」ということが求められているようなマッサージや、なるべく長時間の方がありがたい様々な「預かりサービス」などがそれに当たるだろう。
ただ、人との比較なしに、自分の中では「できるだけ早くやる」というような意識は持っていた方がいい。
605.役人のお願い
何かしらの困りごとに対する対応を役人にお願いをしても、概ね「決まっていることですから」と突っぱねられるだろう。
では、正当な手続きを経た「決まっていること」ならまだしも、そうでないような「役人のお願い」を聞くような義理はどこから生ずるのだろう?
606.君たちの目標
その目標を君たちが掲げるのは構わないが、民主主義の法治国家において、正当な手続きを経たものでもないようなものを、なぜ全員が賛同せねばならないのかね?
かつてのナチスのように、もし正当な手続きを経たものであっても、狂気の感染、マインドコントロールによる結果であり、本質的に正当なものではないというような構造すらある中で。
607.いいところを引き出せない場合
自分の気持ちのあり様によって相手のいいところを引き出すか、悪いところを引き出すかということが決まるという面はあっても、相手の状態というものは、直近の出来事や体調等々こちらの態度だけですべてが決まるわけではないため、いいところを引き出せなかったとしても、それはそれで致し方ない。
そうした理由から、相手のいいところを引き出せなかったとしても気を落とす必要はない。
本来、相手の機嫌は相手に責任があり、自分に責任があるわけではないのだから。
608.努力不足ではなく適性
頑張りが足りない、努力が足りないというわけではなく、根本的に興味がなく、向いていないというだけの場合が多い。興味があって向いているのであれば、隣接する面倒なことや鍛錬も楽しく感じるため、周りが止めてもやり続けてしまうはずである。
向いていないのは個性であるため、劣るというわけではない。
「学業成績」等々を始め、世間の評価対象が狭すぎるだけである。
609.評価対象のあり方
数値化されたものは評価しやすく、他人との相対比較がしやすい。よって評価対象になりやすく、人と比べるということを周りがしやすくなる土壌を持っていることになる。
学業成績や知名度、会社の規模、給与水準というものの他に、金銭で取得できる所有物はその対象になりやすい。値段という数値があるからである。
しかしながら本質的には数値化しにくいものも、それらと同等かそれ以上の価値がある。
「良い成績を収めた」というものと同様に、「友達と喧嘩をしたが仲直りをしてもっと仲良くなった」というものも正しく評価すべきである。
考え方によっては後者の方が、経済社会においても、地域や家庭といった社会においても、人生を円滑にしてくれる能力となり得る。
前者のみ評価し、時に褒賞を与えるというのは意識的な歪み、つまり偏見である。
610.主従関係の逆転
無明のひとつの表現として、生存本能としての恐怖心しか持たない原始脳が前頭前野に至るまで脳のすべてを支配している状態と表現することができるかもしれない。
生存本能としての恐怖心は、時に恐れを生じさせ、時に怒りを生じさせ、時に欲に走らせ、時に報酬を与えるというようなやり方で、生理現象、単純な行為行動のみならず、劣等感や不足感を生じさせて抽象的な思考の空間までも支配する。
支配のための回路はつながっている。
その回路を逆流して、原始脳を殺さずに「善良なる統治者」として支配すること、つまり主従関係を逆転させることが、安らぎへの道であると表現することができるのかもしれない。
主従関係が逆転した暁には、善良なる統治者は次のように宣言するだろう。
「恐がらなくてもいいよ。君のことは嫌いではないし、そのままでいてくれてもかまわないよ。本当に必要なこと、合理的なことなら、言うことにも付き合うよ。でも、わがままは聞かないよ」
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