絵のように美しい道徳。それは、まっすぐにほとばしりでる感動の道徳であり、けわしい通路の道徳であり、激昂した、強烈な、ものすごい、荘厳な挙動と口調の道徳である。それは道徳の未開の段階である。その美的な刺戟によってそそのかされて、高級な順位をそれに割り当ててはならない。 曙光 141
より美しいが、価値は劣るということで、安物の心理学を駆使する水商売の人や胡散臭い人、そうした人たちに騙されてしまう正体である「劣等感」についてでも書いていきましょう。
よく利用されるのはアドラー心理学あたりでしょうか。まさかアドラーも自分が研究した内容が水商売の人間や胡散臭い詐欺師に利用されるとは思っても見なかったでしょう。
書庫の心理学についても、もっと詳しく書いてもいいのですが、あまりに実践的に書くと攻め側の人間だけ成長させ防御側の人間との差だけがついてしまいそうなので、あの程度にしています。
他人を条件とするな
つい先日に書いた、「うつ」を自力で克服するの最後に書きましたが、他人を拠り所とせず、自分を拠り所としましょう。
世間では幸福の条件として「仲間がいること」とか「コミュニティ」に属していることというタイプのものを条件としています。
また、自殺の確率が下がるものとして、パートナーや仲間、家族、コミュニティを良きものとして掲げることがありますが、統計と真実をごっちゃにしてはいけません。
日常会話レベルでは、そうしたものが良きものであるとされ、それは必須の条件であるとされ、その「不足を満たすもの」はすばらしいものであるという論調があります。
束の間の満足か不足自体が無くなるか
しかしながら、よくよく考えていただきたいのが、不足を満たすということと、不足自体をなくすのではどちらがいいでしょうか?
「寂しい気持ちを埋めてくれる人」を求めて、束の間の満足を得るか、「寂しい気持ち」自体を無くしてしまうか、という捉え方の違いです。
安物の心理学を駆使してマインドコントロールを行う人たちは、こうしたところを見つけ、誘導していきます。
何に不足を感じているか、そしてそれを解決するための方法論として「自分」を必要とするように仕向けるのです。
その極地が洗脳系自己啓発コンサルタントやカルト教団、マルチネットワーク、胡散臭い洗脳系占い師と言ったところでしょう。そこまで行かなくても、水商売はこれと似た構造を持っています。
劣等感のある人
劣等感のある人は「すごいね~」や「わかるよー」に騙されます。
自分を気にかけてくれるということに陶酔します。
「さすがですね~」といった感じで褒めてもらうこと、認めてもらうこと、意識を向けてもらえることに欣喜雀躍します。
そのような感じで、「適当に褒めておけばいいのだ」ということを知っている人たちに都合よくコントロールされてしまうということが起こります。夜の街の店にハマりきる人などを見るとすごくわかりやすいはずです。
劣等感と言ってもその種類は様々ですが、策士は何に不足を感じているのかを見極め、それを埋めるようなことをやりはじめます。
「自尊心という虚像」の中の自尊心の欠落
概ね劣等感など「自尊心という虚像」の中の自尊心の欠落にしか過ぎず、欠落したものを埋めたいと思っている状態を見抜かれ、「承認欲求を満たす」行動を取るのです。
そして、その上で「あなたの心の安定には私が必要だ」というようなことを思わせるのです。まあマインドコントロールですね。
では、劣等感のある人が「すごいね~」で、毎度毎度束の間の安心を得るのがいいのかということになりますが、根本的に「劣等感」の虚像に気づけばそれで大丈夫です。
劣等感を消すための方法論として、他人や何かのサービスを成功法則としていましたが、結果はどうだったでしょうか?
束の間の満足はあったかもしれませんが、また、満足を求めて他人に満たしてもらおうとするのが関の山です。
「劣等感を克服する」とか「承認欲求を満たす」という方向で物事を考えることは「劣等感」や「承認欲求」という虚像を実体として捉えることになり心がかき乱される要因を残すことになります。
では、劣等感を消すためというよりも、劣等感そのものが根こそぎ無くなればどうなるでしょうか?
そうしたものを求めることはありません。
より美しいが、価値は劣る 曙光 141
劣等感を克服したいとか、劣等コンプレックスを解消したいという思いを持っている人も多いようですが、劣等感・劣等コンプレックスそして「劣等」という評価は「虚像」です。
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