やはり英雄的

われわれがほとんどあえて口にしないほどいたって評判が悪いけれども、有益であって必要であることは行うこと。―これもやはり英雄的である。ギリシア人は、ヘラクレスの大きな仕事の中に厠の掃除を入れることを恥としなかった。 曙光 430

「やはり英雄的」ということですが、なぜか二十歳くらいから、英雄ならば「ひでお」、正義なら「まさよし」、勝利なら「かつとし」と読んでしまう癖がついてしまいました。

引用にある大きな仕事は、ヘラクレスがヘラによって狂気にされて妻子を殺した罰としての十二年間十二難題であり、そのうちの一つが家畜小屋の清掃、ということだそうです。

以前、掃除について少し触れたことがありましたが、トイレの清掃、養子の自宅の清掃などについて少し触れていきましょう。

厠の掃除

たまに、トイレを掃除すると金運が上がるというようなことを聞きますが、そんな目的を考えずに、それくらい自分でできなければ、どこかで誰かにすがっているのではないか、と思ってしまいます。

また、出るときにはフタをしなければならない、という事も聞きますが、すいませんが大昔はフタなどなかったはずです。かつての王国の王様なんかは主ですが、自分で掃除はしていなかったでしょう。そういう矛盾があることを考えてから人に説きなさい。

ということは「釣り」かもしれません。仮観の世界観ではお金はかなり重要視されていますから、みんなほどよく釣られるのかもしれません。しかしながら釣りであっても、誰にも迷惑がかからないどころかありがたがってくれることです。

結果だけ見ればなかなか優れていますが、それだけではありません。

すがり根性の克服と金運の上昇

その前にどうして清掃をしたがらないのかという抵抗感の源流は、ただ単に汚いからというだけではありません。そういう点を誰かに任せているという考え方の方に問題があります。

いっそ金運を度外視して、自分でやってみればわかりますが、スッキリした気持ちが訪れるでしょう。トイレを掃除してその時に感じるのは清潔さだけではありません。誰かにもたれかかろうとする気持ちが、自立へと向かいます。

占いを信じる人たちの責任転嫁の心理

食中毒の感染を防ぐフタ

さてもう一方ですが、フタをした方がいい、ということは、食中毒の感染を食い止めるという役割があるようです。

飲食店関係者に聞いたのですが、食中毒に感染していた人が、トイレでふんばったり、ゲロを吐いた時、トイレを流すときにフタをしていないと、食中毒の原因の細菌などを含んだ水が床に飛散る可能性がかなり高いようです。

そしてそこから感染していくというケースが有るということを聞きました。特に、介抱しに来た人から感染して、という場合が多いようです。

迷信に科学を

これもまた、以前に読んだ本に書いてありましたが、昔は人が病気にかかると、「悪魔や悪霊に取り憑かれた」と解釈し、それをやっつけるか追い出すことによって病が治るという迷信がありました。

この悪魔とか悪霊をそのまま、病原体と置き換えると、特に構図としては間違っていません。しかも両方肉眼では見えないものですから。焼き払うということで、滅菌するということはほとんどイコールです。構図としては間違っていません。

妄想は感情を知識がこじつけることで生まれる

養子の自宅清掃

養子のうさぎがいますが、養子入りする2歳まで他の家に住んでいました。ということで、排泄はどこでも行います。自然界ならそれが当たり前なので、特に気にはしていませんが、彼の自宅のスペースには限りがあるため、やはりすぐに汚れていきます。

彼はうさぎですから、自分で何とかすることはできません。人間の勝手で、もう自然界に帰ることもできず、一緒に暮らしているのですから、養父としては責任があります。

しかしながら、うさぎの住処を掃除しても、人間のようにこちらに感謝を示すようなことはありません。

例えば、ボランティアで、どこかの施設を掃除しに行ったのならおそらく、感謝されるでしょう。しかしその手のものは一切ありません。見返りが一切無くともやるということに意義があります。

相手が人間でないだけに潔くやれるでしょう。相手が赤ん坊なら潔くやれるのに、子供が物心ついてくると感謝や尊敬を強要しようとする人がいます。無条件でやっていると言いつつもそんなことはありません。そんな人に出会ったことはほとんどありません。

たまにガーデニングが趣味という方がいます。それはそれでいいですが、あくまで近所の人に「素敵なお庭」と言われたいがためにやっているような人がいます。

植物も生きています。花が枯れ落ち、シナシナになったとしても、まだ生きているのだから、庭がブサイクだと、引っこ抜いたりせずに、その生命の最後まで、見守ってみてはいかがでしょうか。

やはり英雄的 曙光 430

Category:曙光(ニーチェ) / 第五書

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

日本語のみ