うさぎの絵に関して、名実共に最高峰にいるのはピーターラビットの作者、ビアトリクス・ポター氏であると思っています。
「誰よりもうさぎのことをわかっている」
という感じがします。
うさぎなどの動物とずっと暮らしていた上に、亡くなったうさぎの骨まで確認していたというポター氏。
ということでやはり骨格や筋肉のつき方を捉えているということが、生き物の絵を描くにあたって一番大切なのでしょう。
そういえば、芸大で教鞭を取っている友人が言っていましたが、基礎デッサンを教えているときに、特定の動物を指定すると、教え子さん達の完成物にかなりの差が出るので、何故かと思い調査すると、上手い人はその動物と暮らした経験があるという事実が出てきたそうです。
ということで、なるべくそうした優位性が出ないようにと「好きな生き物を描くように」といって次回からは課題に変えたそうです。
するとイグアナと暮らす人は抜群のイグアナの絵を描き、鯉と暮らす人は抜群にうまい鯉の絵を描いたという感じになったそうです。
普段から仕草を観察していて、何となくの骨格や筋肉のつき方がわかっているという感じが、絵のクオリティに大きく影響しているのでしょう。
そこで考えてみると、たった一枚なら写真などから模写する形で上手く描けそうなものですが、複数枚になってくるとどうしてもアラが出てくるという感じになりそうです。
うさぎのしっぽについて
うさぎの絵、とりわけウサギのイラスト画について
「しっぽが違う!」
といつも思っています。
ポンポンのように描かれることが多いのですが、
「うさぎ素人が!」
と思ってしまいます。
「もっと下から、こう⤴」
といつもつぶやいています。
いくらデフォルメされている、といっても、構造自体が違うのだからやはり違和感を感じてしまいます。
「うさぎに興味がないことがバレてますよ」
と思ってしまいます。
ピーターラビットについて
ついでなのでピーターラビットについて触れておきましょう。
20代前半の頃、百貨店にてピーターラビット展があり、親戚にチケットのようなものをもらったので、当時の彼女に「行こう」と誘ってみたのですが、
「いや、ええわ…」
と言われてしまいました。
まだ養子のうさぎとも出会っていない頃ですが、僕としては、そのチケットのようなものに描かれたうさぎにグッときて、いわば多少なりの感染のようなものがあったので、ぜひ行きたいと思いました。
しかし、特に何の説明もなく、
「いや、ええわ…」
と断られてしまいました。
これは二重にショックでした。
ひとつは、ピーターラビットに対する一種の共感がないこと、そしてもう一つは、「あまり関心がなくても『付き合う』とはそういうことではないのか?」というような面で、すごく嫌な思いをしたということと共に、やりきれない怒りのようなものがやってきました。
例えば、ピーターラビットにまつわる嫌な思い出があるとか、そうしたものが背後にあり、そうした説明があったのであれば納得もいくような感じがしますが、そうしたものもなく、ただ「いや、ええわ…」と言われてしまいました。
一応理由を聞いてみましたが、「何となく」という回答のみでした。
一応その場はそれで終わりました。
そして、一人で行ったり友人と行ったりすることは、怒りに加え、何だか惨めなような気もしたので、結局ピーターラビット展は行かずじまいになりました。
―
ということを思い出したので、少し前になりますが、ピーターラビットを爆買しました。
改めて手にとって読んでみて
「最高じゃないか」
と思いました。
あの怒りは、ピーターラビット愛の裏返しだったのでしょう。
「かわいい」とかそうした表現は適していません。
「ちゃんとしたうさぎ」
というだけで「うさぎ的満足」がやってくる感じです。
「きつねどんのおはなし」で、バウンサーさんがフロプシーに叩かれる絵に爆笑し、叩き方にちょっと「燃える闘魂」を感じて追加で笑ったりしてしまいました。
(なお、バウンサーさんは血縁関係上、ベンジャミン・バニー氏であると思いますが、フロプシーとの間に子が生まれた段階で息子のベンジャミン・バニーが「ベンジャミン・バニー」を襲名し、ベンジャミン・バニー氏は本名に戻ったということになるのでしょうか)
という面を含めて、ピーターラビットがすごく好きです。
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