頷けるような明るいイメージ

今がどんな状況であれ「常に爆笑し、誇りや自信に満ち溢れ、爽快に過ごしている」というような自分自身が頷けるような明るいイメージを持つことで、物事の見え方が変化します。

未来に合わせるように、見えるものが変化し、現在が変化していきます。そうなると結果的に過去の記憶すら解釈が変化していきます。

ただ、普通に過ごしていると「そうなるためには…」と思いを馳せる時に起こりうる負担、負荷に対する辟易がやってきてしまいます。

しかしながら、先の自分がそのような明るい状態でありたいと思うこと自体は正しさを帯びています。

視点を少し遠くに置くと目の前の問題は「大事の前の小事」となる

あまりに近いところばかり見ると、目の前の問題にばかり気が取られます。そして、「誰にどうやってどの部分の負担を押し付けるか」というようなことに思考の力を使ってしまいます。

しかしながら、自分自身、そして自分と相手の関係において、自分自身が頷けるような最高の状態を先に置いておくと、目の前の問題が「大事の前の小事」となっていきます。

もちろんその中で大切なのは、この「心」を大切にするということになります。本来は外界に依存せず、心が穏やかであるための条件を限りなくゼロに近づけるほうが正しいということになりますが、人と人との関係において何かしらの辟易があるのであれば、最高の関係性、関係性の最高の状態を先にイメージする方が思考は有意義に働いてくれます。

相手を頷かせる必要はありませんが、自分自身が頷き、かつ、相手もきっと頷くであろう状態をイメージしておくというような感じです。

少し先になるかもしれないそうした最高の状態を軸に置いておくと、目の前の出来事が「大事の前の小事」となっていきます。

これは対象が人であれ、事業であれ、何であれ同じような感じになります。

再最適化が始まる

そのようにして、イメージが明確になってくると、今までの「最適化」が不完全であったことに気づきます。

何かしらの方法論に縛られていたことに気づくかもしれません。

お金の使い方から、日々の過ごし方の細かいところまで、たくさんの改良点が見つかるかもしれません。

もちろん中心はこの心の安穏です。しかしながら、心は受け取り、認識する働きであり、そこに流れ込むのは関係性によって生ずる状態です。

新しい視点が構築されていくと、関係性で成り立つ「今の状態」がどんどん変化し、再最適化が始まっていきます。

問題が問題ではないことに気づくこともあります。

日常が根本から変化することもあります。

そしてその変化は冒険のような楽しさになるかもしれません。

自分が頷けるイメージ

世間では「そうなったらいいね」くらいにしか扱われず、あまり重要視されないことであっても、自分自身としてどのような経験であって欲しいか、というところを世間の評価基準を受けずにイメージすることが重要になります。

例えばですが、世の中では「妻の顔など見たくもない」という感じになっている人もちらほらいたりします。しかし、元々好きで一緒になったのだから「最高の夫婦でありたい」ということを思ってみるくらいは可能なはずです。

今の相手を好きになる必要は無いどころか、感情はどうしようもできないものなので、ひとまず嫌いなものは嫌いで構いません。

ただ、現状がどのようなものであれ「最高の夫婦でいたい」と思い、「最高の夫婦状態とはどのようなものか?」というイメージを持つことは可能です。その方が自分も相手も気楽で幸せということになるので、気楽で幸せになりたくないはずがありません。

それと同じように「最高の親子」の状態とはどのような感じかというものを自分が頷けるイメージで、イメージしてみましょう。

あくまで自分が頷けなくてはなりません。

世間では「仲良し」が理想とされていても、相互依存のようになっている場合もあります。

そうなると

「干渉しあわず、各々が自立し、すべての部分ではないが相互に尊敬できる」

というようなものになるかもしれません。

そうしたイメージを持つにあたっては、世間的な基準は度外視しなくてはなりません。

「今すぐでなくてもいい」「そうなる必要はない」で義務感を排除する

少し先の状態として最高の状態をイメージしておくと、目の前の些細なことが大事の前の小事になったりしますが、時に「そうなるためには…」と義務感に苛まれてしまうことがあります。

「そうなるに越したことはないが…」というような感想です。

最高の状態になれば同語反復的に最高であるはずなのに、そのような気持ちが生じる時は、義務感が生じているときです。

そうした場合は、「今すぐでなくてもいい」「そうなる必要はない」とひとまず一呼吸します。

本当に今すぐでなくてもいいですし、「生命維持のためは酸素が必要である」というレベルに「必要」というわけでもないので、別にそうなる必要もないというのが事実です。

ただ、一応軸として最高の状態のイメージを持つことは、見えるものを変化させていきます。

悲観的なイメージを持つと、現在の閉じ込められた空間の中ではジリ貧になります。

それはすぐに起こるかもしれませんし、徐々に変化していくのかはわかりませんが、必ず変化していきます。

何かが起こっても

「まあきっと中間プロセスなんでしょう」

というようなことを思えるようになってきます。

ハッピーエンドに向かう長編作品のようなイメージ、といったところになるでしょう。

Category:miscellaneous notes 雑記

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

日本語のみ