遠回りして帰ろ

ソーヤングでスウィートな頃は、よく学校から遠回りして帰ったものです。

立ち止まって話してもいいのですが、なぜか遠回りしたものです。

同じ景色より、違う景色を見ながら話したほうが心地いいのでしょうか。

ギリシャの哲学者のように歩きながら哲学について語ると、頭が働きやすいということを本能的に知っているのでしょうか。

最短ルートを模索することもそれはそれでいいことかもしれませんが、「旅」を考えると、道すがらが楽しいものです。

仕事などでは、時間効率を考えることは当然に必須になってきますが、普段はそんなに焦らなくてもいいはずなのになぜかみんな満員電車で帰ります。

ぼーっと道を歩きながらでも時間をかけて、少し時間をずらせばいいことなのに、あんなギュウギュウの中をわざわざ電車に乗る必要もないような気がします。

青き初期衝動

十代の頃なんかは、よくわからないままに衝動に突き動かされて、非論理的かつ非合理的な事柄に走ってしまうものです。

それを世間で言う大人は鼻で笑いますが、その衝動による行動は思いっきりやったほうがいいのではないでしょうか。

その衝動に突き動かされた行動は、たいてい非合理的なものが多いです。しかし、そこで得た経験や友達などは、合理的にしか進まなかった場合よりも貴重な財産になる場合が多いように思います。

貴重な財産を得る目的で非合理的な行動を起こしても意味はありません。

そんな合理性など一切無視して、突き進んでしまうような衝動に従った場合の行動です。

たまの無理というか、たまには非合理的で理性的ではない行動も起こしてみてはいかがでしょうか。

パートナーが見つからないと言う前に

自分のペースを守ることも一種の才能です。

それはそれでいいのですが、たいてい「出会いがない」とかコンパで「いい相手がいない」という人は、理性的すぎるのではないかと思います。

そういう方々は、「次の日が仕事で朝6時には、起きなくてなならない」という場合、たいてい9時か10時には帰るものです。

たまには朝まで遊んでみてはどうでしょうか。

年に数回無理に起きていたところで、次の日にたくさん寝ればいい話です。

一日くらいいいのではないでしょうか。

「計画的に生活すること」を主軸に置くのはいいですが、それの奴隷になっているような気がします。

たまには朝まで

僕は社長同士の集まりなんかがあったときは、たいてい朝まで道端で語り込んでいます。

ヤンキーみたいでしょう?

でも、そこに集結しているのは税理士の方や企業の社長さんなど、世間ではそこそこと言われるような方々です。

終電は11時くらいがほとんどなのですが、みんな帰りません。

タクシーで帰る人もいますが、最後には2,3人で始発で帰ることになります。

「明日は空いてるんですか?」と聞くと

「9時から顧問先の方が事務所にいらっしゃいます」

「7時に家を出て名古屋に向かいます」

などと返してきます。

そこで話し込んだ内容は後に地元経済を少し動かしたりします。

そんな風にして経済は動いています。

深夜の路上は人を裸にします。

Category:さよなら私 / 自分なくし

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