足音や振動など隣の家の騒音への対処

足音や振動など隣の家の騒音への対処ということで、隣人がもたらす騒音への対処について触れていきます。

二ヶ月ほど前、直接注意に行ったりしましたが、最近また調子に乗り始めているので、そろそろ本格的に対処しようかなぁと思います。

この騒音についてですが、一般生活レベルの騒音ではなく、親が煽ることで子供が走り回る時に生じる強烈な足音というか振動という感じです。

まあ単純には親が「えーい!うぇーい!」などと煽り、子供が「あーあー」などと騒ぎながら「ドドドドドドド」と走り回るという感じです。

「公園でやれ」

ということになりますが、話が通じないので本格対処です。

まあ子供の奇声・絶叫についてでも同じですが、いくら「子供がしたこと」とか「それくらいで文句を言うな」とかそうした感じで居直ろうとも、限度が過ぎれば不法行為による損害賠償の対象になります。そういうわけなので、話が通じない相手には金銭で解決を図りましょう。

というよりも、金銭的解決は最終手段です。

近年ありがちな「私は間違っていない」と自分のことしか見えていない人たちに対して、「居直るのもいいですが、最終的にはそうなりますよ」ということを伝えて解決しておくに越したはありません。

弁護士に相談の上騒音を計測

先日、会合で知人の弁護士に会ったので、「どうしましょうか?」ということを相談してみました。

まあ近年の傾向として、誰の意見も尊重されるべきで、私の意見も尊重されるべきだという謎の論理が蔓延していますが、そうした譫言をいくら言おうと司法には勝てるはずはありません。

「とりあえず騒音計で測っときなよ」

ということだったで、行政から騒音計を借りて客観的な数値を計測することにしました。

なお、以前は保健所からの貸し出しだったようですが、京都では今は環境共生センターというところが貸し出しを行っています。

受忍限度

この手の問題の争点としては、「受忍限度」として捉えられている「ある程度基準とされている数値」を超えているかというところが問題です。

いわば、「これくらいなら我慢しなさいよ」、「これくらいなら我慢しろという方がおかしいよ」という基準です。

それらは、雑な人と繊細な人で感覚は違いますし、主観的なものになるため、「これくらい」がなかなか決まりません。

もちろん「どのレベルから騒音か?」ということを客観的に捉えて、それは受忍限度の範囲なのか、それを超えているのかという部分をある程度正確に取り扱う必要があります。

音を出している方は、「これくらいの音でグチグチいうな」という理論を展開するでしょうが、こうした主観的な基準が通用しないように、騒音の環境基準という概念があります。

「耐え難い騒音」とは一体どれくらいの音なのかの目安です。

うるさいのかうるさくないのかを主観で主張されても困るので、第三者が判断する上で求められているのは客観性です。

で、客観的証拠があった場合は、雑で話が通じない相手の「これくらいでグチグチいうなよ」が通用しなくなるということです。

ということで、そんな客観基準について見ていきましょう。

騒音の環境基準

どのレベルから「受忍限度」を超えると判断されるのかという点ですが、概ね昼間なら55デシベル、夜間なら45デシベルがその境目です。まあもちろん大通りに面しているとか「地域の種類」がどうかとかそうしたところで調整は入ります。

根拠法は環境基本法と環境省の告示です。一応引用しておきましょう。

騒音の環境基準について(京都府)

騒音に係る環境基準について(環境省)

そして様々な判例を見る限り、騒音の基準、受忍限度として、概ね50~65デシベルという数値が表れています(東京地判平成19年10月3日判決など)。また、東京地裁平成24年3月15日判決では「53デシベル」あたりとなっています。

「重量衝撃音を発生させた時間帯、頻度、その騒音レベルの値(dB(A))は、静粛が求められあるいは就寝が予想される時間帯である午後9時から翌日午前7時までの時間帯でもdB(A)の値が40を超え、午前7時から同日午後9時までの同値が53を超え、生活実感としてかなり大きく聞こえ相当にうるさい程度に達する」

そういうわけなので、だいたい50を超えたあたりから「うるさい」という感じになるのでしょう。

騒音計で計測

騒音計 CEM DT-805

騒音計 CEM DT-805

ひとまず今回お世話になるのがこちら騒音計 CEM DT-805。買ってもそれほど高額ではありませんので購入しても良いでしょう。

環境共生センターに借りに行って手にした時、「通常の物理攻撃も魔法攻撃も効かない敵ボスに、唯一ダメージを与えられる伝説の剣」を手に入れたような気分になりました。

まああとは「うぇーい!ドドドドドドド」が始まったら、時間と状況と数値を控えるという感じですが、念のためにICレコーダーなどで声を含む状況を記録しておくとより安心です。

騒音を測る上で、「A特性」と「C特性」という分類があり、一般的な音は「A特性」、機械などが出す低周波は「C特性」で計測するという感じのようです。先の判例引用文中dB(A)はA特性を示しています。

一般的に「C特性」の方が高い数値を示しますが、判例では「C特性の数値をA特性に補正」というようなの記述もあったので、「A特性」で測るのが正しいという感じになるでしょう。

騒音が喜びに変わる

まあ変な感じですが、この騒音計が来て実際に計測するという段になった時、「受忍限度を超えて欲しい」とすら思ってしまうはずです。

そして何より証拠を掴むことができるので「さあ走り回れ」くらいに思ってしまうかもしれません。

判例を見る限り、30万円程度の損害賠償額なので、「ウェーイ!」「ドドドドドドド」が「30万円に一歩近づく福音」にすら変わります。そうなると、多少は気楽になるでしょう。

まあうちの場合は、既に計測済み数値が57デシベル程度に到達していたので、「受忍限度超えの主張」に関して余裕で胸を張ることができます。

あとは、警告をしに行くだけです。

話が通じない相手への対処

先日家族に起こった自転車トラブル(頻発した自転車トラブル)等々、最近はどうも話が通じない人というよりも精神年齢的に低レベルの人に当たることが多くなりました。スマートフォン汚染された時代的な影響なのかもしれません。

で、相手には相手の理屈があって、意見や主張を持ってもらう分には構わないのですが、それが社会における関係の中で通用するかしないか、それでも主張を貫くことは責任を伴うことになるというところからは逃れることはできません。

なんだか無責任でいい十代のときのような感覚で主張を繰り広げるということがよく起こっているような気がします。そういう意味で精神年齢が低いという感じです。

別にそれでもいいですが、他人に損害を与えた場合にはそれ相応の責任がのしかかるということは理解しておくべきだと思います。

まあなんか行き過ぎたコメントとかツイートとかで捕まったりして「そんなに大事になるとは思っていなかった」ということを言う人たちも結局「ごめんなさい」では済んでいないので、それと同じです。十代ならば多少許容される部分はありますが、責任のかかり方は未成年と成人では大きく異なるので注意が必要です。

ということくらい、わかっていてもいいはずですが、話が通じないので、本格的に対処をしようと思ったしだいです。

なぜ、話が通じないという感じなのかというと、2ヶ月ほど前に一度注意に行った時に、相手は家主さんに電話し「一生懸命子育てをしているのに文句を言ってくる」などと言っていたからです。

僕が家主にクレームを言ったわけではありません。

「ドンドン走り回るのはやめろよ。限度を知れ」

というようなことを言うと、「私達は一生懸命にやっているのに」的に居直りだしたという感じです。

そう思うことは自由ですし、別に止めませんが、実害に関しては責任がかかってきますよということになります。

「みなさんどう思いますか?」は、ソーシャルネットワークの世界です。

僕はそんなチンケな素人の意見を飛び越えて、社会的に一番有効なフィールドで決めましょうという感じで対処をすることにしたという感じです。

「群れて譫言をいくら言おうと通用しない」という感じです。

一応家主さん側からも軽い注意はありましたし、僕も再三注意はしています。しかし、多少は後ろめたさを持ちつつも「文句を言われた」くらいにしか思っていないので、弁護士に相談の上、対処を始めたという感じです。

つまり、話が通じない相手には、相応の強行手段が必要だということです。

といっても僕は相手を傷つけるつもりも、既に終わったことについて蒸し返すようなつもりもありません。

野放しにしていると、「朝に足音というか足の振動で目が覚めてしまう」ということが今後も起こりうるのでそれを予防したいということにしか過ぎません。

なので、「今後起こる騒音は訴訟の時の証拠になっていくので、ご注意ください」という事実のみを伝えるという感じです。

それでも「ドドドドドドド」を続けるのならば賠償してもらう、というだけの話です。

そして万が一、賠償にあたらないということであれば、その程度の騒音はこちらも鳴らし放題ということになります。家の中で走り回ってやればいいのです。

問題を理性的に観る

まあこうした問題に頭を抱えている人たちもいるだろうということで書き記しておきましたが、結局騒音を出している方が余裕をかましているということは、そちらのほうが正しいということになってしまいます。

意図的ではないかも知れませんが、加害者側が正しく、被害を受けている人のほうが間違っているということになってしまいます。

まあ法においては、「これを容認すると今後起こりうるトラブルを予防できなくなる」という考え方があるので、よほどの言いがかりでない限り迷惑をかけられている側の方が保護されるでしょう。

もちろん50デシベルとか55デシベルとかそうした基準を一回超えたら即賠償なんてなことにはなりません。そんなことを決めてしまったら、人々が安心して生活できなくなります。

なので、基本的には「50デシベル超え」が「日常的に続き」、「注意の上でも改善が見られない」という状況からが問題として扱われるという感じになるでしょう。

いつも使う言葉ですが、「仕方がない」という言葉は、「本当に何の仕方もない、どうしようもない」という時に使う言葉です。

「改善策があるにもかかわらず、ケチったり怠けたりして仕方がないというのは通りませんよ」ということになります。

騒音計で騒音を計測するということは、いわば理性的解決です。感情にとらわれず、問題を理性的に観ると全体像や着地点が観えてきます。

どちらの主観が正しいか、どちらの意見が正しいかということになれば、威圧的な方が勝ったり群れている方が勝ったりしてしまいます。それを防ぐための司法であり、客観的な証拠と国家というものに解決を委ねるのが一番です。

でも、実際に訴訟云々よりも、騒音が止まればそれでいいので、理性で準備をしておけば憂いはありません。

備えあれば憂いなしです。

騒音計で測っておくことは、まず「客観的な証拠が取れれば、いざという時に有利になる」という余裕を生み出します。そして、それ自体が主張を裏付けるものになるので交渉もしやすくなります。

実際に事が起これば、証拠の獲得になるので騒音のたびに「よし!」という気分になります。そしてさらにその証拠は後の損害賠償額を保証するものにすらなります。

そうした証拠をもって今後の流れを説明しに行くことは、相手に対して相当のプレッシャーを与えることになります。そしてこれは単なる意見や主張や脅しでもなんでも無く、判例と事実に基づいた主張です。

相手が「そんな意見は通らない」と言っても無駄です。意見の話ではありませんからね。「通らないのはあなたです」ということになります。

まあ「子供がしたことなので仕方がない。そんな意見は通らない」というのは勝手ですが、それが裁判で通るか通らないかはその人が決めることではありません。

で、それを飛び越えて無視してくるなら、一定の手続きを踏んだ後、ほとんどの確率でお金がもらえます。もらえるというよりも賠償してもらうということです。

ということは、希望的観測になりますが「騒音が止むかお金が入るか」ということになります。

そしてそうした騒音に関する主張が裁判で通らないとすれば、逆にこちらも騒音を鳴らし放題ということになります。

基本的には、騒音が止むか、お金が入るか、こちらも騒音を鳴らし放題になるか、という3通りの結果しかありません。

「理に沿って考えるとそうなる」という意味で理性的な解決という感じです。なので憂いはありません。

僕の場合は、自分自身が体格的に相手になめられにくいという点と、友人・知人に司法関係の人達がいるので対処が楽でしたが、人によっては相手になめられ、「どうせ文句を言ってくる程度でしょ?」と居直られているケースもあると思います。

こうした問題はケースバイケースなので、一律に論じ得ない問題ですが、周りに愚痴を言ったり、堪え忍んだりするくらいなら、弁護士さんなどに相談してみても良いと思います。

少なくとも「いざという時に有効な『客観的な証拠』」は一体どういうものかを捉えて備えておくという程度はしておいたほうがいいでしょう。

迷惑をかけられたことや蔑視されたことに関する感情の騒ぎを一度落ち着けて、冷静に、そして理性的に「どういった着地点を目指すのか?」をしっかりと定めれば、やるべきことも見え、落ち着いていられるようになるはずです。

この世から無駄な苦しみが少しでも無くなりますよう。


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Category:miscellaneous notes 雑記

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