見る方向と視野の広さ

社会的な問題、とりわけ経済格差的な問題や生活の自由さなどについて触れられる時、単なる愚痴のようにしか見えないような論調が多い傾向にあります。

「もしかするとですが…きっと儲かってないんですね」

というようなことを思ってしまったりもするのですが、問題は問題としての正しさはありつつも、そうしたものは、個人レベルでは「見る方向と視野の広さ」だけの問題だったりもします。

いくら難しい事を言ったり、統計を持ち出したりしても、個人としての問題解決としてはほとんど意味がありませんし、「賢明さ」の面から考えれば、あまり賢いやり方ではないというような印象を受けます。

そうした賢明ではないやり方の背景にある姿勢としては、基本的に「誰かのせいにしたいのか、それとも本質的に別の世界に行きたいのか」というような見る方向のズレと「誰に相談するか、どうした情報に触れるか」というような見る方向のズレ、そして視野の狭さがあるわけです。

相談先が同種同レベルでは諦めが生じるだけになることが多い

例えばですが、いわゆる貧困層であるとか、非正規雇用であるとか、そうした状況にある人が、豊かになりたいとか、もっと安定した生活を送りたいと思ったとしましょう。

そうした時に、同じ職場の同じような人と話をしても、その状況を変えるような肯定的な話はほとんどの確率でやってきません。

すなわち、相談先が同種同レベルの人である場合、嘆きであったり、愚痴であったり、下手をすれば社会統計的な根拠まで提示しつつ「諦め」が生じさせるような情報しかもたらしてくれないということになりがちであるという感じになります。

そうした人たちとは距離も近く話しやすいので、どうしても話し相手として選んでしまいがちですが、それはそれで良いとしても、まったく違う分野の違うポジションにいる人と話してみると、変についてしまった諦めグセ、そしてそれを支える偏った情報を突破することができたりします。

というようなことを言うと

「そんな人とどうやって出会うんだ?身近にはいないぞ」

という声が返ってきそうなものです。

そうした点が、「見る方向と視野の広さ」に関わってきます。

また、話し相手として距離の近い両親や友人などに全く畑違い、お門違いな質問をしてしまうということも起こったりします。

例えば経済社会のことについて僕が母に相談したとしても、企業のあり方、就職のあり方等々、お母さんの現役時代とは大きく様子が異なっているので、聞いたところであまり参考になりません。昔の様子について聞くくらいは良いかもしれませんが、今自分に必要な情報とは少しズレています。

というような感じで、話しやすいところばかりに意識を向けると情報的な突破口が無いまま思考がループするだけになってしまいます。

結構情報は開かれているという事実

「じゃあどうやって出会うんだ?それすら格差じゃないか」

というようなことを思う人もいるかも知れませんが、話すくらいなら簡単です。道を歩いている人に声をかけるということもできますし、どこかの飲食店ででも隣り合わせた人に話しかけるということもできます。また、友人知人のそのまた友人知人などを当たっていったりすることもできるわけです。

さらに、自分が事業主で店を収益を上げたいのであれば、いくらでも競合店舗などを見に行くことができます。

同業でなくても、近いような業種で儲かっていそうな店を見に行くくらいいくらでもできます。

「相手は大企業だからうちは関係ない。きっと仕入れが安くで済むから儲かっているだけだろう」

というのは視野を狭めます。

そうした点もあるかもしれませんが、それ以外で応用できる点が見つかるかもしれません。

「あ、あの張り紙のフレーズはいいなぁ」

というような発見もたくさんあるはずです。

ということは結構簡単なことのはずですし、結構情報は開かれているということになります。

インターネットメディア等々で「再就職は何歳まででないと難しい」というような情報があったとしても、そうした一般論とは異なった情報が入ってくる場合もあります。

たまたま話した人がどこかの企業の人事の人で「うちの社長は変わっててね。何歳でも採用するんだ」というような情報が入ってくることもあるでしょう。

そう言えば、以前にどこかで触れていましたが、あまり規模の大きい業界ではありませんが、某業界はイメージ的に省庁の天下り企業しか無いような感じでありながらも、そうした企業は少なく、むしろなり手が少なくて「それほど爆発的には儲からないが、創業して人員さえ確保すればお客は入れ食い状態」というような話を聞いたことがあります。

多少の技術は要るようですがそれほど初期投資もかからない業界なので、勉強のために数年働いて独立でもすれば、それだけである程度稼げるようになります。

元気でいることの重要性

ただ、弱っている姿を見せようものなら「こいつを利用してやろう」という輩にひっかかってしまうことがあります。

確かに正社員雇用ではあるもののブラック企業だったりだとか、高圧的で無理難題を言ってくる取引先だったりとか、そうしたものに当たってしまいます。

なので、何をするにも先に明るく元気でいることが重要です。

「自分から話しかけるのはちょっと…」

という場合は、ひとまず先に話しかけやすい感じでいるということを心がける程度から始めてみるというのが良いでしょう。

というような「明るく元気でいる」ということに関していえば、「暗く、気力を下げるもの」を避けるということも肝心です。そして触れてしまっても「影響されかけていることに気づいて影響を解く」というような心がけも重要になります。

「他人の悲痛な意見」と「自分の感想」

そういえば思い返すと、学生バイト時代は、職場内外のバイトから平社員くらいまでの色んな人が「正社員は厳しい」というようなことをいっていましたし、自分がその先に行った業界についても「厳しい」というようなことがインターネットを中心に至るところで説かれていました。

しかしながら実際に行ってみると様子は全く異なっていました。

「高校生の時のバイトの方がキツい」という感じで結構楽でしたし、充実と楽しさでいっぱいで、さらにもらうお金も多いという感じでした。

「他人の悲痛な意見」と「自分の感想」は大きく異なるというような感じです。

肯定的意見と否定的意見

肯定的意見にしても否定的意見にしても、基本的に強い感情を感じないと、そうした意見というものは世に出てきません。

肯定的意見に関しては、よほどの楽しさが無いと強い感情は怒らないので世に出にくく「まあそこそこ楽しい」程度であれば、あまり外には情報を発信しないという感じになっています。

しかし否定的意見に関しては、すぐに強い感情になりやすいので、情報が世に出やすく数も多くなります。

「ああ、たったそれだけだったのか。世に出る情報と実際は大きく違うなぁ」

というようなことをよく思ったりしました。

元々多数決が正しいという考えはなかったので、その時も「実際に行って、実際を見る」ということに意識を向けていました。

「逆を選ぶ」というわけではない

というようなことを考えると、「その逆を行けばよいのだ」「逆を選んだらいいんだ」と言うようなことも思い浮かんできます。しかし、その方が正しい時もあれば、そうでない時もあります。

なので短絡的に逆を選ぶということではなく、見る方向と視野の広さを少し無理にでも調整するということの方が大事です。

情報は結構開かれているのにそれを見えなくさせるものは「現状の中で到達しやすいところを選ぶ」という癖にあります。それも一つの視点としては良いですが、一定の領域にとどまってしまい、時にジリ貧になっていく原因となります。

「実は探せば見つかる」ということを念頭に置いておくと、チャンスが近づいた時にそれを手にすることができます。

マクロ的な問題に意識を向けて、愚痴っぽいことを延々と言い続けるよりも個人的問題を解決するには有効的です。

Category:company management & business 会社経営と商い

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