蓄音機という牢屋

製品の開発において「とりあえずベータ版で出してみて、不具合報告があれば修正する」とか「後々機能を追加する」というような方針の方が、投資回収期間の関係で収益が上がるという感じの風潮が蔓延したことと、近年のアプリケーションのアップデートのあり方などでその感覚がスタンダートとなった現代では、あまり煮詰まらないままに物事がスタートするということがよく起こっています。

サービス業における企画のようなものも、やれ価格の変更、条件・規約の変更というものが月ごとに起こったりしていて、「キャンペーンによって顧客を獲得しよう」と思ったものの逆に不信感を持たれてしまうということも起こっているような気がします。

おそらくそれは軸となるものがまだ曖昧である中、「とりあえず始めてみる」という感覚が発端となっているということにはなりますが、そうした試験的なことは、本番よりも随分と前にいくらでも実施可能なことだったりもするので、単なる慢心や全体像の把握などに対する怠慢から起こっているだけのような気もします。

「蓄音機という牢屋」とは異なり、出してからでも修正可能というのが普通になりました。収益や手間の合理性から考えれば、その方が理にかなっていますが、その裏で「小出しによる低経験値」というような現象が起こっているような気がしています。

それはつまり、やれ誰かが何とか云々という言葉を発したということをわざわざ取り上げるような一過性の浅いコンテンツに触れてわずかばかりの暇をつぶすというような感覚が標準となり、より練り込まれたものや長編の物語を読み解く機会が減るというような感じです。

そうした浅いものを浅い近視眼的な視点で検討し、ツッコミを入れるのがスマートかのような風潮がありますが、本来ツッコミたるものは、よほど抽象的な視点から最適なものを選ぶという洗練さを要求されるものであり、そのレベルとなればツッコミですらスベるというケースすら生じてきたりします。

そんな中、低レベルなツッコミは、自分を傷つけなくても良いという側面を持っており、浅い近視眼的なツッコミが蔓延しているのは、単に「自分は恥をかかなくてよい」という無リスクな点に甘んじており、時に自尊心の補償すら叶えるという感じで臆病な人にはもってこいのものだからという程度でしょう。

物語などに関しても長編になればなるほど、感情の揺れやジレンマ、背景の移り変わりや、伏線がまとまる瞬間などを味わうことができます。そうしたものに触れていると、単なる場面での一つの感情や論理だけでは語り得ないということが見えてくるはずですが、そんな長編に触れる機会が減っているような感があります。

その結果、やはりサービス業における変な企画のような、「月ごとに条件があれこれ変わるようなもの」が増えていくのでしょう。

Category:笑う月

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