肩の力を抜いてあとふたこぎ

常日頃「そろそろ切り上げようかなぁ」と思ったときには「あと2つくらいだけ進めておく」という感じにしています。

まあできなくてもそこで切り上げてよし、2つくらい進めばかなり良し、1つだけでも結構いい感じ、ということになるので、だいたいそんな感覚で事を進めます。

何が1つの単位なのかは具体的には示しえませんがそんな感じです。

「激甘コーヒーでも飲んでからもうちょっと進めておくか」と思い、「その前に」と、外の空気を吸いに表に出ると、ちょっと眩しい夕暮れと爽やかな風が舞い込んできました。

「これはイージューライダーしかない」

考えてみると「ゆるい仕事」の時と同様の類型です。

よほど根深く残っているのでしょう。

そういえば中学1年生のときの今頃、まだベースと出会いもしていなかった頃に、48時間耐久、72時間耐久の友人とカセットテープ時代のウォークマン持参で滋賀県の方に自転車で行ったことを思い出しました。

デスクに戻りメールを見ると取引先からのお礼メールとお得意さんからの新規案件。

「うーん。恵まれてるなぁ」

と思いつつ、現在進行中のウジウジして決断の遅い「代理者の先にいる取引相手」について再度思い返したなら「まあ全てにおいてゆるく適当にいこう」という気分になって来ます。

「考えれば面白半分どころか完全に面白さ目的でわざわざおじさんを怒らせたりしていたなぁ」

と思うと、心が踊りすらします。

「うまくいけばそれで良し、まあまあでもそれで良し、何かが起こっても孫の代まで語れる話のネタになる。まあ大したことじゃなくても次に友だちが来て一緒に散歩に出たときの話のネタにはなるだろう」

くらいの感じで、あと二漕ぎがスイスイ進んだりします。

全く生産性がなく、意味がなさそうな旅でも、そのイメージが後の人生において「あと少しを軽やかに進めること」に関わってくるのなら、「今意味がなくても、それはそれでいいのではないか」ということを思います。

その実感自体が「何事も人に説明できるような意味がなければ意味がない」という「固有名詞に依存した具体性を求めるズルむけ感」に対するアンチテーゼとなる、という意味でもさらに意味が重なり合っています。

しかしながらその意味は、この内側だけで完結しています。

そうした「対外的な証明の必要がなく即時的」という面でも、さらに意味を重ねることでしょう。

Category:music 音楽

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