今では特にお金を稼ぐことにあまり興味がありませんが、やはり経済社会の中にいて貧乏な状態にあるのは辛い出来事を呼び起こしたりもすると思うので、「経済や金融のリテラシーが高まっていくプロセス」といった感じで、僕の中で経済や金融全般のリテラシーがどのように高まっていったのかを思い出がてら書き記しておこうと思います。
まあお金の面にしても結構精神論が語られたりしていて「そういうのが知りたいわけじゃない!」となっている人も多いと思います。しかしながらお金を稼ぐことにしろ何にしろ、最終的な着地点はお金によって心が乱されることのないような状態になることです。といってもこれは、「気にならないようになる」といえばそうですが、我慢するとか現状を受け入れて忍耐するとか清貧な禁欲主義になるというようなニュアンスではないのでそのあたりはご注意ください。
そういえば、東洋思想の中では「魔道」という発想があって、聖者になるためのイレギュラーな道として「好きなだけやりたい放題やって、全てに飽きて執著がなくなる」というような感じの考え方があります。途中段階までしか心は成長しないと思いますが、「全ての欲を満たし切ることで欲が沈下する」という感じです。まあその瞬間にある意味がっかりが来て、何かに気づくきっかけができるかもしれないという意味で、邪道・外道ながらそういう道もありますよというようなお知らせでした。
強烈な怒りとワクワク
さて本題に戻りますが、僕が経済全般や金融全般に興味を持ったのは高校生くらいの時です。もちろん父の事業の影響もありましたが、まあ高校生が抱く程度の疑問です。
「働くってなんだろうなぁ?」とかそのレベルの感覚です。
高校一年生からアルバイト生活をしていましたが、「お金が無いって嫌だなぁ」と明確に感じたのは、高校二年生くらいの時だったでしょうか。
その時はアルバイトを辞めていて、お金のない高校生でした。
そんな中、当時の彼女はアルバイトをしていてある程度のお金を持っていました。
で、デートに行った時に「財布と相談」的な感じになりました。
そこで相手と僕との感覚にギャップが生まれて、少しばかりみすぼらしいような感じになってしまいました。
まあ高校生なので仕方がないと言えば仕方がないのですが、「なんだか相手を自分に合わさせたようで気を使わせて悪いなぁ」というような感じになりました。
その時の思い出はその程度です。
まあ「なんだか嫌だなぁ」程度の感想です。
そしてその後、病中に入った時に転機が訪れます。
経済学の初心者本との出会い
「奴隷と理想主義者」で触れていましたが、病院の待ち時間が長すぎて、暇をつぶすのに必死だったのですがその時に「猫でもわかる経済学」的な本に出会いました。
一応携帯電話で暇を潰せる時代でしたが、無駄に通信量が高くその上情報量が少ない時代だったので、あまり読み慣れていない本を読むことにしたという感じです。
「ふーむ…なるほど」
気付けば夢中になっていました。
まあ経済学の総論をさらに噛み砕いた感じの本でしたが、ひとまず当時の自分としては凄まじく面白かったという感じです。
そして帰りには図書館に行って、経済学関連の初心者本を上限まで借りました。
そしていろいろな本を読んでいくに従い、その当時していたアルバイトの給料に疑問をいだきました。
疑問を持ったところで給料が上がるわけでも何でもないのですが「どういう事になっているのだろう?」という感じになりました。
そこで、ダメ元で店長に聞いてみることにしました。
「お店のお金の流れってどうなってるんですか?」
すると教えてもらえないと思っていたお店のお金の流れをすべて公開してくれました。
「へぇ…」
という感じで、それをメモに取って家に帰っていろいろと考えてみることにしました。
何ですかこれは?
まあまだ十代だったので当然にびっくりしたのですが、だいたい人件費率というものは、売上に対して3割位だったりします。もちろんそれよりも低い場合も高い場合もありますが、店舗ならだいたいそれくらいです。
また、原価にもびっくりしました。
「へぇ…なんだかすごい」
そんな感じでした。
で、自分の給料とお店のお金の流れを照らし合わせてみました。
「何ですかこれは?」
という感じがしました。
「なんだかマルクスが言ってることも理解できるような気がするなぁ」
というような感じで、どんどん怒りが増してきました。
ただ、怒りが増したところですぐにどうすることもできないですし、病中なので動悸がしてしまいます。
「少し考え方を変えてみよう」
そう思った僕は「雇われる側ではなく雇う側になればいいのではないか?」ということを思いました。
で、一応正社員の人たちはいくらくらい給料をもらっているのかを聞いてみることにしました。
バイト先の人を含め、いろいろな人に「いくらくらい給料をもらってるんですか?」というような質問をして回りました。
普通に考えると失礼極まりないような質問かもしれませんが、十代だったので許されていた感があります。
店長、エリアマネージャーなどなどに給料を聞いてみました。
「天引き後の給料を時給換算したら君らと変わりないよー」
そんな感じで、詳しく聞かせてくれました。
「へぇ…じゃあ出世していくってのもバカらしいなぁ」
そんなことを思いました。
「まあ業種によって給料の上がり方はいろいろだけど、だいたい大卒の初任給なんて20万円くらいじゃない?
で、天引きされたりなんかした後の給料を時間で割ったら君らのほうが割がいいくらいじゃないかな。まあボーナスは大きかったりするけど」
「出世していくとどんな感じで給料って上がっていくんですか?」
「それも会社によってまちまちだろうけど、月給が年間3000円くらい上がっていって、あとは役職ごとに3万とか5万とかがプラスされる。で、家族を養ったりしていたらその分プラスされたりとかそんな感じだ」
「え?じゃあ10年勤めても月30000円くらいしか上がらなくて、年間で36万しか上がらないんですか?」
「まあ基本給はボーナスの額に影響するからもうちょいは上がるけどな。それに残業した分は時給換算に割増がついてそれにも影響するから、トータルでもう少しは上がる。
あ、でもある程度の役職になったら残業代無しな」
「え?」
「一定以上の役職についたら経営者側の扱いになって残業代出ないんだ」
「え?そうなんですか…」
そんな感じでいろいろと教えてもらった後、「ないわー…ないわー…」と独りでつぶやいていました。
もともと、勤め人で一生を終わるというは選択肢になかったのですが、実態を知って怒りばかりがやってきました。
しかし怒ったところで一介のバイト君がそうした制度を変更することはできません。
ということで再度考える方向性を変えることにしました。
「じゃあ逆なら、逆なんだ」
お店を始めるのにいくら掛かるんですか?
「雇われる側が嫌なら雇う側になればいいのではないか?」ということ思った僕は、店長に「お店を始めるのにいくら掛かるんですか?」というようなことを聞いてみました。
しかし雇われ店長が知っているのは現状のお店のお金の流れのみ、最初にいくらかかったのかは全くわからない感じでした。
まだ十代の感覚らしく「毎月かかっているこの金額と備品代くらいがあればできるんですかねぇ?」とコストの金額を見て質問していました。まだまだそんなレベルだったということです。
「そんなわけはないだろう。家賃にしても手持ちが一ヶ月分じゃ誰も貸してくれないよ」
「それもそうですね…」
「店舗のテナントは保証金を積まないと貸してくれないよ」
「それってどれくらいなんですか?」
「賃料の半年分とかだ」
「え、じゃあすごいお金がいるじゃないですか?」
「まあ消えていくわけじゃないが、ひとまずそれくらいのお金が手元にないと信用されないってわけだ」
「ああ、いろいろな本に書いてありましたよ。信用が大事だっていう感じで…その信用って結局何なんですか?」
「まあ仕事ならちゃんと仕事をするとか、お金をちゃんと払えるとかそんな感じだろう」
「へぇ。じゃあ仕事に対する信用ってことであれば、何か資格とかもいいんですかねぇ」
「まあ無いよりはマシじゃないか」
当時の店長と僕の会話はその程度でした。
「とにかく大きなお金がいる」ということと「信用が大事」ということはわかりました。
そこで自分の毎月の給料を見返してみると、
「何年かかるんだ?」
というような不安がやってきました。
「なんか事業をするのってリスクがあるって書いてあったし、何年もかかってやっとたまったお金がパーになる可能性もあるのかぁ…」
まだ十代だったのでそれくらいの感覚でした。
「どうしようもないじゃないか…」
このときの僕の「経済や金融に関するリテラシー」はその程度でした。
どうやったら資金が貯まるのかな?
その時くらいに感じた関心事と言えば、「どうやったら資金が貯まるのかな?」くらいのことでした。
もちろんお金を借りるという事も思っていました、「信用=約束を守る」くらいのことだと思っていましたし、「きちんと挨拶をしていたら信用されるだろう」くらいの感覚でした。
そういうわけで、稼ぐとなればバイトくらいしか思い浮かばない頃であり、どちらかというと「どうすれば支出が減らせるか」ということを考えていました。
以前にも触れたことがありましたが、当時同い年くらいの人たちの間では携帯電話代で月に数万円という人もいました。さすがに「それならば旅行に行ったほうがいい」という感覚くらいは持っていて、その延長で「無駄に大きく出ていくお金」について思いを馳せるような日々が続きました。
その当時といえば、自動車の運転免許を取得できるくらいの年齢ということで同い年の人たちの中にはローンで車を買う人もいました。まあその時にしか味わえない青春の代償としてはいいのかもしれませんが、「出ていくお金」を計算してみると、「割高すぎるだろう」というようなことを思いました。
そんな感じで、消費するにあたって「割が良くないもの」をはじき出したりはしていました。
ある時、バンド仲間がバイトに行くのに車で通っていて「コインパーキング代を差し引くと時給が500円を切る」ということを話してきて爆笑したのを覚えています。
株式投資を始めてみる
それからしばらくして「とにかくもっと経済のことが知りたい」と思った僕は、ひとまずなけなしのバイト代で貯めたお金を使って国内株式の現物取引を始めてみることにしました。
「何事も実践だろう」
という根拠なき形で「全額パーになっていい」という感覚で始めることにしました。
「学費を払って1年で学べることより多くのものを実践で学ぶ」
という感じでした。
この時から学問寄りの経済学系の本ではなく、実践系の株のテクニック本などを読み始めました。一応取引を始める前に30冊位は読んだでしょうか。
一応成績的には初年度は+9%でした。ビギナーズラックなのか何なのかという感じです。
もちろん元手は少なく、四六時中相場を張っていたわけでもなかったので「それほど大きくは儲からんだろう」と思っていましたし、まあ「ひとまずは勉強だ」という感覚を維持しながら、本を読みつつ実際の財務諸表の分析、チャートのテクニカル分析などをしていました。
この時、まだ預金金利も今ほど絶望的なものではなく、ネットバンクの定期は金利が高いということに驚いていろいろと考えてみたりもしました。証券会社の口座に入れておくだけで、普通預金よりもかなり割の良いMRFになったりしていたので、投資用につかわないにしてもひとまずMRFにしておいたりしました。
それでもネットバンクの定期のほうが割がよかったので、「あまり動かさない最低限持っておくお金」をそちらで定期預金にしておきました。そんな感じで「時間ってすごいなぁ」というようなことを思ったりしていました。
なお、この時に最小単位で定期化しておくことを思いつきました。100万円1本よりも10万円10本にしておけば、いざというときに解約するにしても一部で済むので金利は稼ぎやすいという感じです。
僕のファイナンシャルリテラシーが日に日に高まっていっていた時期でした。
市場と相場
この時に掴んだ一番のものは「あ、これは心理戦だ」ということです。そして市場と相場の感覚を掴んだという感じです。
「今のこの状態を見てどう判断するかだけじゃなくて、この状態を見た他の人がどう判断してどう反応するかを見ればいいんだ」
「無理せず時に力のあるものに追従するだけでもいいんだな」
そんな感じの感覚を得ました。
「これは何にでも使える」
その時純粋にそう思いましたが、その直感正しく、それは商いにおいても使える概念として今でも役立っています。
その後テクニカル系になりますが、ある程度の金額を稼ぎました。
そして、ある時「これくらいの元手ならあまり大したことはないし、投資としてリアルな事業をやったほうが割がいいんじゃないか?」ということを思いました。
しかしその前に「世界に冒険に行きたいなぁ」と思ったので、ひとまずある程度のお金は、冒険の旅の費用になりました。
さらにいうと、「でもある程度の枠組みは分かってても、細かなお金の動かし方があまり分かってない気がするなぁ」という感じのことを思ったので、お金を扱う会社で働くことにしました。
一からのファイナンスの勉強
それまでの経済金融の勉強は、荒野での戦いの中の実践の勉強でしたが、次にはカタイ系の勉強です。順序が逆のように見えますが、結果的にそれでよかったような気もします。
一からの勉強ということにはなりますが、用語や理論などはある程度実践を合わせて本を読んでいたりしたので楽勝でした。そういうわけで入社初年度で金融に関する7つの資格を取得することになります(といってもそれほどレベルの高いものではありません)。
もちろん専門の大学院レベルのお勉強ではありませんが、まあそうした専門職種に就くつもりもないので、まあいいかなぁと思う程度に勉強したりしました。
おかげで、少し上の体育会系からは徹底的に嫌われたりしたので、勤め人時代は資格取得でプラスになった面よりもデメリットが大きかったというような印象すらあります。
「いやそんなことがしたいんじゃない」
改めてそう思った僕は、なぜ勉強したのかをもう一度確認しました。
「あの時の『ないわー…』を解消しよう」
ということで、ある程度勉強した後、そそくさと辞めて起業します。
見えなかったものがどんどん見える
「えー…こんなに手間がかかるんだ」
創業当初の印象としてはそんな感じです。
まず実感したのは、「あの時の『ないわー…』は、見えていないものが多すぎた」ということです。
バイト君の感覚では、「売上を上げるための準備」を整えるのにどれくらいの労力がかかっているのかが見えていませんでした。
「結構お金も時間も取られるんだなぁ」
そんな感じでスタートしましたが、次に出てきた感覚は強烈な苦しみでした。
従業員がサボっていたり、事業とあまり関係のないことをしているのを見る度に「身を削られるような思いになる」というやつです。
「今までのすべての上司に謝りたい」
という気分になりました。
そんな感じでいろいろと勉強が続く毎日でしたが、今思うと逆の現象も起こっていました。
知識が盲目にする
見えなかったものがどんどん見えてくる一方、今思うと「お金の勉強のために」と勉強したいろいろな知識が盲点を作って、自由な発想をブロックしていたような気がします。
単純には「真面目になりすぎてしまう」という感じです。
感覚で言えば、株式の取引において財務諸表の分析のみ完璧にやろうとするような方向です。それは確かにテストなら高得点が出るかもしれませんが、実際に利益が出るかと言われれば売り時買い時を逃してしまうことになりかねないという意味で、あまり良い傾向ではありません。
また、事業においては物事を判断するのにかかる時間も人件費として考えなくてはなりません。
自分が決めないと進まない状態にあっては、何も決まらないとすれば周りの人たちはある意味遊ぶしかなくなるということにもなります。
そんな感じであまり良い状態ではないということに気づきました。
せっかくの市場の動きと相場を見るというような経験も、間に挟んだ「お勉強」のせいで隠れてしまうようになったという感じです。
普通は学習が進むと正比例していきますが、ある段階を超えると知識や経験同士がぶつかって、それらが統合されるまでの間はうまくいかない時もあるということを実感しました。
お金によって心が乱されることのない
錯覚云々はさておいて心の状態がどうあれ、ある程度リテラシーが高まってくるとお金で憂うことが無くなってきます。
お金が無いうちは「嫌だなぁ」と思うこともよくありますし、下手をすると嫌な人に頭を下げてまでお金を稼がなくてはならないという感じのことも起こったりします。ローンを抱えて勤め人などをしているとそんな感じなのかもしれません。
お腹が空いた時に何も食べ物がないというのも嫌ですし、体を壊した時に治療も渋ってしまうというのも嫌です。
「お金がなくても愛があれば」と思うのは、お金が無い辛さを経験したことがないからこそ出てくる言葉なのでしょう。僕は少なくとも日常においてそんなことは思いません。お腹が空いて食べ物がない時の辛さ、真冬でも野宿するしか無い時の寒さの辛さ、そんなことを棚上げする気はありません。
ただ、やはりお金に関してはそれに心が乱されないというのが一番です。
そして所有すればするほど煩いの元となります。
高校生の時の僕としてみれば、もっと上昇志向で続くだろうと思っていましたが、ある時から「しょうもない感」が出てきました。
もちろん世の中にはもっともっと稼いでいる人や資産を持っている人もいて、知識やテクニックの面でももっと長けている人はいっぱいいるはずです。しかしながら、所有は煩いの元ですし、元々欲は少なく怒りだけが強いような気質なので、怒りが静まったと同時にやる気もなくなりました。
「もっともっと」となる事自体が幸せではないということに気付いたという面もありますし、消費なんかで満たされるものはたかだか知れていて、どちらかというと執著を呼び起こすデメリットのほうが大きいということを感じました。
ただ、世界一の商人と称されるユダヤ人の多くにある発想のように、お金は奪われたとしても知識は奪われませんし、いつでもどこでも持ち出せる最高の資産だと思っています。
それが何かがわからなければオバケのように怖いものに感じてしまいますが、それが何かがわかってしまえば恐怖心はなくなっていきます。
勤め人しか経験していない人は、ある程度の年齢になって転職しにくい時期に勤め先が倒産したりクビになったりということが起こった時に、その先どうしていいのかが見えないことが多いでしょう。親から継いだ不動産で食べている人が想定外の法制度ができたり社会環境の変化があったりして現状を維持できなくなったりするという場合も同様です。
しかし、「裸一貫の白日夢」で触れていますが、僕はなんだかんだで一文無しになってもすぐにまたある程度お金を稼ぐことができると思っています。
「無明が消え、お金に執著することがない」
という意味でもお金に心を乱されることはありませんが、仮にそんなことを外して考えてみたとしても、「経済社会の中で生活が激変した時にどうしたらいいのかわからない」という感覚がないので、日常としても憂いがありません。
純粋に比例はしてくれない
どのような分野でも同じようなものですが、勉強すれば勉強するだけお金を稼ぐことができるようになるというのは正しくても、「本一冊読めば月給が1000円上がる」というような単純な比例をしてはくれません。
それぞれに壁があって「それを突き抜けた時に倍になる」というような感じの構造を持っています。
店長に媚を売ってバイトを頑張ったところで上がる時給は数十円です。いいところ月にしても数千円、年間で数万円くらいです。
ただ、目の前の仕事を頑張ってみるということに関していえば、そんなケチくさいお金の話を置いておいたとしても、稼ぐための何かは勉強になったりしています。
といっても「アルバイトのままでいいのだ」という発想だと、稼ぎが爆発することはありません。長年同じところにいると「後輩の面倒をみる」というような新しい経験によるスキル向上もあるのかも知れませんが、別分野に行くとその数倍も勉強になったりします。
成長する喜び
少なくとも僕は他人と比較してという感じで学習の進み方を確認したことはなく、己のリテラシーがどんどん高まっていくことに喜びを感じていたという感じです。
そう言えば友人とリサイクルショップに行った時に、彼が店に飾ってあったギターを商いのために購入している瞬間に同席したことがあります。
「ほら、これピックアップがダンカン(Seymour Duncan)やねん。店は素人やし気付いとらへんけどな」
まあ確かに本体はかなりの安ギターで、数千円という激安の価格がついていました。お店の人としてはメーカー名と型番で値段をつけたのでしょう。しかしよく見ると改造してあって、ついていたパーツは定価で数万円するシロモノでした。おそらく中古市場でも数千円ということはない品です。
「バラしてオークションな」
「へぇ。面白いなぁ」
そんな感じで小銭を稼いでいる姿をみて、何でもできるような感じがしました。
また、創業してからはいろいろな業種の人に業界の話を聞かせてもらえるので、どんどん思い込みが外れていきました。
「え?それって完全に利権のために官僚OBが牛耳ってる系じゃないんですか?」
「いやぁそうでもないんですよ。監督機関に相談に行っても『タウンページか何かで業者さんを調べてください』レベルですよ」
「へぇ…義務化されている法律がある系の話は全部その省庁のOBの会社が寡占でしきっていて、一般人は食い込めないと思っていましたよ」
「いやそれが全然いないんですよ。多少の技術もいるし労働集約型だから旨味がないんですかね…とほほ」
「でも法人として運営する分には多少儲かるでしょ。本人らには何もできなくても、従業員に任せておけばいいわけですし」
「まあ、そうなんですけど。何でなんですかねぇ。東京とかはわからないですけど結構な都市部でも一般の民間企業しかいませんし、地方に行ったら確実ですね」
「そんな中、法律としての義務があるから必ず依頼が来るわけでしょ?」
「そうですよ。監督機関から連絡が行きますから」
「じゃあ安定的に需要があるわけですね」
「そうですね。法律で義務化されている分野なのになぜか新規参入し放題ですよ。まあ実務ができないと何ともなりませんが、お客に関しては探さなくてもタウンページから来ますからね」
「面白いですね」
というような感じです。
最終更新日: