秘密の抜け穴

どのような業種でもプロだけが知っている秘密の抜け穴のようなものがあり、それを知っているかいないかで結果に大きな差が生まれたりすることがあります。

その秘密の抜け穴は、現実には隠されているものでも何でもなく、「その領域にいない人としては、目に映っても見えていないもの」という感じのものばかりだったりします。

また、「わかる」と「できる」は全く異なるので、わかっていてもできないという場合もあります。

ということで、そうした秘密の抜け穴については、知っただけで万事解決というわけではなく、一定の全体的な知識やスキルがあってこその「秘密の抜け穴」という感じになります。

素人を勘違いさせる代物

使えないスキルに執著する「技量的には玄人」の人もどうかと思いますが、便利になった現代では、何事も「素人を勘違いさせる代物」が増えてきたような感じがします。

何でもそうですが、自分が楽に到達できたというような事柄は、他の人も同じように楽に到達できるということなので、競合相手は増え、競争は激化します。

例えば、カメラか何かにおいてオートで簡単に撮ったものを、親戚のおばさんに見せたところ、「きれい、プロみたい」と言われることがあるでしょう。

しかし、オートで簡単に撮れたものは誰しもが簡単に撮れるということになります。

ということは、それでプロになろうと思うと、そうして美しい写真を撮ること自体が技術によって底上げされた中から、頭一つ、ふたつ飛び出る必要があるということになります。

八割方はすぐに叶う時代の一眼レフカメラ

それは特定の技術のみならず、マーケティング等々でも同様です。

かつては優位性を持っていたような秘密の方法が、システム的に簡単になり、導入コストも低下していくとなると、それはもはや何の優位性ももたらさないものになってしまいます。

友人周りといった身近な範囲であれば、周りは知らない人だらけということで、一見優位性があるかのように思ってしまうこともありますが、競合相手は、身近な範囲の人たちではなく、それで飯を食おうという人たちです。

ということで、スタートはそうした「素人を勘違いさせる代物」からスタートしてもいいですが、その先の厳しさは、それまでの時代環境とあまり変わりありません。

資金面的な敷居が低くなった分

むしろ「資金的に諦めた」という感じでスタートに立たなかった人たちも出てくるので、さらに激化するという方が正しいかもしれません。

しかしながら、資金面的な敷居が低くなった分、生まれ育った環境による篩い分けが消えることになるので、一種のチャンスが訪れたということでもあります。

激化することは避けられないとしても、技術の進歩等によって新しく変化した環境の中で、まだ誰も発見していないような「秘密の抜け穴」を見つけ出すというのが、頭一つ飛び出るために必要になってくるという感じになるのかもしれません。

古典の中に潜むヒント

しかしながら、人の考えること、人が望むようなことという核心の部分については、太古の昔から変わっていなかったりします。

新しいものを追いかけて行き詰まった時、古典の中にそれを突破するようなヒントが隠れていることがよくあります。

様々なモノを読み解いていくうちに、環境の差はもちろんある中、表現は異なれ結局古代のアテナイなりインドなり、文献が残っている「2500年くらい前に書かれたもの」によって、そのほとんどが既に記されていたという事実を目の当たりにしたりします。

洋の東西を問わず、昔から人の考えることなど同じです。

なので、秘密の抜け穴は、どこか遠くではなく、案外足元にあるかもしれないということになるでしょう。

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